第80話 最後の力を、君のために

 ゴブ吉の寝床は、もぬけの殻だった。

 そのあまりにも静かな現実に、俺は心臓を鷲掴みにされたかのような激しい衝撃を受けた。


 すぐにリサを呼び、二人で状況を確認する。  

 ランプの光が照らし出す地面には、か細く、おぼつかない足跡が、ダンジョンの暗い闇の奥深くへと確かに続いていた。 


​「まさか……」


 リサが震える声で呟いた。


「みくちゃんとの約束……。『明日まで、眠らないでね』って……」


 ​その言葉に、俺はハッとした。


 そうだ、約束だ。

 あいつは、ただ、自分の死に場所を探しに行っただけではない。たった一人の、大好きな親友と交わした最後の約束を。

 その小さな体を最後の力を振り絞ってでも、守ろうとしているのではないか。


​「行こう、リサ」


 俺は決意を固めた。


「あいつが何をしようとしているのか。俺たちは、最後まで見届けてやる義務がある」


 ​俺とリサは、ランプを一つだけ手に取ると、ゴブ吉の、か細い足跡を追って、夜のダンジョンへと足を踏み入れた。

 洞窟の中は、いつもより、どこか張り詰めたような神聖ささえ感じる空気が漂っていた。


 通路の脇では、スライムたちが動きを止めて、じっと、俺たちを見つめている。奥からは、他のゴブリンたちの心配そうな気配がいくつも感じられた。


 このダンジョンに住む、すべての生き物が、今夜、何が起ころうとしているのかを理解している。そして彼らの仲間である、ゴブ吉の最後の旅路を静かに見守っているのだ。


 ​足跡は、やはり、あの場所へと続いていた。


 以前、長老ゴブリンが、俺にだけ、そっと教えてくれたゴブリンたちの聖地。

 月明かりが差し込む、あの秘密の広場だ。


 ​俺たちは岩の裂け目を息を殺して通り抜ける。

 その先に広がる光景に言葉を完全に失った。


 ​月明かりがスポットライトのように降り注ぐ、ドームの中心。


 そこにゴブ吉の小さな後ろ姿があった。


 ​彼は最後の、本当に最後の命の力を振り絞っていた。

 彼の周りの地面からは、今まで、誰も見たことのない無数の可憐な花のつぼみが、まるで彼の呼びかけに応えるかのように、一斉に芽吹いていた。


 ​そして、ゴブ吉は、その一つ一つのつぼみに、おぼつかない足取りで、ふらふらと歩み寄っては、自分の小さな体をそっと優しく擦り付けていた。

​ 彼が、その身をつぼみに擦り付けるたびに、きらきらと輝く金色の光の粉のようなものが、ふわり、と舞い上がる。

 そして、つぼみの中へと吸い込まれていく。


 それは彼の「生命力」そのものだった。

 彼は自分の命を少しずつ、少しずつ、削り取り、まだ見ぬ花々へと注ぎ込んでいたのだ。 


 ​俺は、あまりにも壮絶で、あまりにも美しすぎる光景の意味を理解してしまった。


 明日は、みくちゃんの九歳の誕生日。


 そして、彼女との約束。


 ​彼は自分の命と引き換えに。


 たった一人の、かけがえのない親友のために。


 世界で一番、美しい最高の誕生日プレゼントを、たった一人で用意しようとしていたのだ。


 ​俺とリサは、その神聖な儀式の前で声を出すことも、動くこともできず、ただ、涙を流しながら立ち尽くすことしかできなかった。


 ​やがて、ゴブ吉は最後の一つとなった、ひときわ大きいつぼみの前にたどり着いた。

 彼は残された、すべての光をつぼみへと注ぎ込む。体から最後の金色の光が、ふわりと、離れた。


 その瞬間、​ゴブ吉の小さな体は糸が切れたように、くたり、と、その場に力なく倒れ込んでしまった。


 ​静寂。

 月明かりだけが、まるで彼の魂を天へと導くかのように、その小さな体を優しく、優しく、照らし続けていた。

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