第78話 優しい嘘
ダンジョンの聖地から戻った俺は、一睡もできなかった。
夜が明けるのを待ち、俺は、誰よりも先にリサにだけ、昨夜知った残酷な真実を打ち明けた。彼女は言葉を失い、ただ黙って俺の話を聞いていた。そして、その大きな瞳から、ぽろり、と涙をこぼした。
「そんな……。ゴブ吉が……」
「俺たちは、何もできない。ただ、最後まで、あいつのそばにいてやることしか……」
俺たちの間に重い沈黙が流れる。
一番の問題は、この事実をみくちゃんにどう伝えるかだ。
子供だからといって、いつまでも嘘でごまかし続けるわけにはいかない。だが、あまりにも彼女には酷すぎる現実だった。
俺たちが答えを出せないまま、時間だけが過ぎていく。
やがて、いつものようにみくちゃんが「おはよう!」と元気な声で民宿にやってきた。
だが、その笑顔は、すぐに俺とリサの沈痛な表情を見て、不安の色に変わった。
「……雄介おじちゃん? リサお姉ちゃん? どうしたの……?」
俺は意を決して、彼女にすべてを話そうと、口を開きかけた。
その瞬間だった。
「――みくちゃん、ちょっといいかな」
声をかけてきたのは、意外な人物だった。
夏休みに、この場所で大冒険を繰り広げた、あの小さなモンスター博士、翔太くん。
そして、その隣には、少しだけ心配そうな顔をした親友の大輝くんの姿もあった。
彼らは週末を利用して、泊まりがけで、この民宿に遊びに来てくれていたのだ。
もちろんご両親も後ろに控えている。
翔太くんは、俺とリサの様子と、そして縁側の下で、いつもよりぐったりと浅い息を繰り返しているゴブ吉の姿を見て、すべてを察したようだった。
彼の子供とは思えないほど冷静で、聡明な瞳が、まっすぐに俺を見つめる。
そして、かすかに頷いて見せた。
『ここは、僕に、任せてください』
その目は雄弁に語っていた。
翔太くんは、みくちゃんの手を優しく取った。
「みくちゃん。ゴブリンさんのこと心配なんだよね。僕と一緒に少しだけ調べてみないかい?」
彼は、みくちゃんを連れてダンジョンの入り口へと向かう。
そして彼がみくちゃんに語り始めたのは、俺が知っている、残酷な真実ではなかった。
それは一人の心優しい小さな博士が、たった一人の傷ついた女の子のために紡ぎ出した、世界で一番、優しい「嘘」の物語だった。
「ゴブリンさんね、病気じゃないんだよ」
翔太くんは、しゃがみ込んで不安げなみくちゃんに目線を合わせて語りかける。
「僕の持ってる一番難しい図鑑に書いてあったんだ。ゴブリンさんたちの中にはね、一年に一度だけ、とっても、とっても、長くて、深い冬眠をする『王様ゴブリン』がいるんだって」
「……王様、ゴブリン?」
みくちゃんが不思議そうに、その言葉を繰り返す。
「うん。王様ゴブリンはね、春になって、たくさんの花が咲く頃になると、ダンジョンの一番奥にある、秘密の部屋で、長ーい、長ーい、眠りにつくんだ。そして、次の年の同じ季節に、また、元気に目を覚ますんだって。それはダンジョンの魔力を自分の体の中に、いっぱいいっぱい溜め込むための大切な儀式なんだ」
翔太くんは続ける。
「ゴブ吉さんはね、きっと、その特別な王様ゴブリンなんだよ。だから、今、すごく眠たいんだ。もうすぐ冬眠の時間が近づいているから」
そのあまりにも優しく、あまりにも説得力のある物語。
みくちゃんの瞳から不安の色が少しずつ消えていく。
「……本当? ゴブちゃん、また元気になって目を覚ますの?」
「もちろんさ!」
隣で話を聞いていた大輝くんが、力強く胸を叩いた。
「俺も図鑑で見たぜ! 王様ゴブリンは、冬眠から覚めると、前より、もーっと強くなるんだってな!」
彼の根拠のない、しかし、力強い言葉が翔太くんの優しい嘘をさらに輝かせていく。
「そっか……。ゴブちゃん、王様だったんだ……」
みくちゃんの顔にほんの少しだけ笑顔が戻った。
「じゃあ、私、ゴブちゃんが安心して眠れるように子守唄歌ってあげなくちゃ」
俺は、その光景を物陰から、ただ見つめていた。涙が止まらなかった。
子供たちが、子供たちなりに、必死に現実と向き合い、そしてお互いを思いやり支え合っている。
俺たち大人が何もできなかったことを、この小さな博士と、小さな勇者が成し遂げてくれたのだ。
優しい嘘は、時に何よりも強い真実の力を持つ。
俺は子供たちの小さくも偉大な背中から、人生で最も大切なことを教わった気がした。
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