第69話 薪割りと、鳥の羽根

​ 翌朝。

 俺は、まだ眠そうな目をこする蓮くんに、黒い固定電話の受話器を差し出した。


「ほら、約束だ。電話するんだろ」


 ​蓮くんは、心底嫌そうな顔でそれを受け取ると、しかし俺との約束を破る気はないらしい。記憶を頼りに、ため息混じりにダイヤルを回し始めた。

 すぐに電話は繋がったようだ。


​「……あ、俺だ」


 電話の向こうから、くぐもった、明らかに怒気を含んだ男性の声が微かに聞こえてくる。

 蓮くんは、それを聞くと、さらに不機嫌な表情になった。


「うるさいな。……別に、どこだっていいだろ。生きてるって、それだけを伝えるための電話だ。じゃあな」


 ​彼は父親であろう相手に、それ以上何も言わせる隙を与えず、一方的にガシャン! と受話器を置いた。


 気まずい沈黙が流れる。

 俺は、頭をガシガシとかきながら、「まあ、第一歩としては、こんなもんか」と、独りごちるしかなかった。


​「さて、と。それじゃあ、今日から早速、働いてもらうぞ」


 俺は気分を切り替えるように、パンと手を叩いた。

 蓮くんに与えた、記念すべき最初の仕事。それは「薪割り」だった。


​「は? 薪割り?」


 都会育ちの少年は、庭に山と積まれた丸太と、俺が手渡した斧を信じられないといったものを見る目で見比べている。

 案の定、彼に斧を握らせてみても、まったく様にならなかった。腰は引けてるし、狙いは定まらない。振り下ろされた斧は、丸太にかすりもせず空を切るばかりだ。


​「……こんなの、できるかよ」


 十分ほど悪戦苦闘した末、蓮くんは、弱音を吐いて、斧を地面に放り出した。


 ​俺は、口うるさく指導することはしなかった。ただ、黙ってその斧を拾い上げると、手本を見せるように、一発、丸太に振り下ろした。


「コツは、力じゃない。腰の入れ方と、斧の重さを利用することだ」


 ​最小限のアドバイスだけを与え、俺は再び彼に斧を渡す。


 蓮くんは、俺の言葉と、さっきの動きを思い出すように、ぶつぶつと何かを呟きながら、再び丸太に向き合った。

 その目には、悔しさと、負けん気の火が、確かに宿っていた。

​ 何度も、何度も、彼は斧を振り下ろした。


 そして、三十分ほど経った頃だろうか。


​パッカーーン!


 ​今までとは明らかに違う、乾いた小気味よい音。

 彼が振り下ろした斧の刃は、見事に丸太の芯を捉え、木片を気持ちよく真っ二つに断ち割っていた。


​「……あ」


 蓮くんが呆然と自分の手、割れた丸太を見比べている。

 その顔には疲労の色と共に、それ以上の確かな達成感が浮かんでいた。自分で何かを成し遂げた、という純粋な喜び。


 ​薪割りを終えた後、俺は彼に、次の仕事を頼んだ。


「今度は、モンスターたちの餌やりと、小屋の掃除だ」


 ​まずはプルの世話。

 蓮くんは、「スライムが、砂糖水を飲むのか……?」と半信半半疑の顔で、俺が教えた通りの餌をプルの前に置いた。


 プルは見知らぬ蓮くんに、最初は少しだけ警戒していたが、やがて、そのぷるぷるとした体で皿に近づくと、ちゅるちゅると美味しそうに中身を吸い込み始めた。

 そのあまりにも無防備で可愛らしい姿に、蓮くんの口元が、ほんの少しだけ和らいだのを、俺は見逃さなかった。


 ​次にゴブ吉の寝床である、ダンジョンの入り口近くの、小さな洞穴の掃除。

 ゴブ吉は、まだ蓮くんを少し怖がっているようで、岩陰から、こちらの様子をおそるおそるうかがっている。


 俺が蓮くんと一緒に寝床に敷かれた古い枯れ草を、新しいふかふかのものに取り替えてやっていると、ゴブ吉が、もじもじと、こちらに近づいてきた。

 ​そして「キー!」と、小さな鳴き声を上げながら、何かを蓮くんの前にそっと差し出した。


 それは彼がどこかの森で拾ってきたのだろう。一枚の青くて美しい鳥の羽根だった。

 おそらく彼なりの「掃除を手伝ってくれて、ありがとう」というお礼のつもりなのだろう。


 ​蓮くんは予想外の行動に戸惑っていた。

 無理もない。モンスターが人間に感謝の印を贈るなど、彼が今まで生きてきた世界の常識にはなかったはずだ。


 彼は何も言わずに、その小さな鳥の羽根をそっと受け取った。

 その瞬間、彼の中でモンスターという存在が、ただの「変な生き物」から感情を持った、対等な「隣人」へと変わったのかもしれない。



 ​その日の夜。

 一日中、慣れない肉体労働に汗を流した蓮くんは、夕食の席で一心不乱に飯をかき込んでいた。


 自分で割った薪が燃えるストーブの暖かさ。


 体を動かした後に染み渡る、飯の美味さ。


 そして、モンスターたちとの、言葉にならない不思議な交流。


 彼の心の中には、都会の生活では決して得られなかった、原始的で、しかし確かな「生きている実感」が芽生え始めてきているのだろう。


 ​俺は、そんな彼の顔つきが、ここに来た時よりも、ほんの少しだけ柔らかく、そして逞しくなっていることに気づいていた。

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