第7話 てんやわんやの準備

『宿泊させていただくことは可能でしょうか?』


 スマホの画面に表示されたその一文を、俺とリサは食い入るように見つめていた。

 冷やかしじゃない。文面は非常に丁寧で、真剣さが伝わってくる。だが、しかし。


「む、無理無理無理! 絶対に無理だって!」


 俺はパニックになって、思わず大声を上げていた。


「だって、まだ何もできてないんだぞ!? 客室もなければ、風呂だって家の古いやつだ! 民宿なんて名乗れる状態じゃない!」


「チャンスじゃないですか!」


 俺の絶叫をリサはキラキラした瞳で一蹴した。


「動画がバズってる、熱が一番高いこのタイミングで、最初のお客さんを迎えるんですよ! これ以上の宣伝効果はありませんって!」


「宣伝とかそういう問題じゃなくて!」


「大丈夫、大丈夫! 何とかなりますって! 私も全力で手伝いますから!」


 リサは俺の肩をバンバン叩きながら、根拠のない自信に満ちた笑顔を向ける。こいつの「大丈夫」は、世界で一番信用できない言葉な気がする。


 ちなみにDMの送り主は「山田」と名乗る人物で、やり取りを続けると、今週末に小学5年生の息子さんを連れて家族三人で北海道旅行に来る予定だという。そして、ぜひともこの「ダンジョン民宿」に立ち寄りたい、と。


「ほら、息子さんもいるなら、絶対ダンジョンに興奮しますよ! 最高の思い出になるって!」


「うっ……」


 子供の思い出、なんて言われると弱い。

 俺がぐずぐずしている間に、リサは俺の手からスマホをひったくると、慣れた手つきで文字を打ち込み始めた。


「よし、っと。……はい、田中さん。ちゃんと『心よりお待ちしております』って、丁寧な言葉で返信しておきましたから!」


「おまっ……! なに勝手なことを!」


「覚悟を決めましょう、ご主人! 最初の客ですよ!」


 ご主人って言うな!

 だが、返信してしまったものはもう取り消せない。俺は頭を抱え、天を仰いだ。

 こうなったら、腹を括るしかない。


「……やるか」


 俺の呟きに、リサは「その意気です!」とガッツポーズをした。

 こうして、俺とリサによる、山田家お迎えのための緊急作戦会議が始まった。


「まず、お部屋ですけど、この家で一番日当たりの良い、奥の和室を使いましょう! 私が責任もってピカピカにします!」


「布団はどうするんだ。客用のなんて……」


「買いに行けばいいんですよ! それから食事! お昼は、もちろんバズった『光るキノコのパスタ』で決まり! 夜は、北海道らしく、庭でバーベキューなんてどうです?」


「食材は……」


「調達しに行きましょう!」


 リサの立てるプランは、勢い任せだが妙な説得力があった。


 俺たちは早速、必要なものをリストアップし、自転車にまたがって町の中心部へと向かった。

 向かった先は、シャッターが目立つ、寂れた商店街。

 だが、魚屋の頑固そうな大将も、八百屋の人の良さそうなおばちゃんも、俺が東京から帰ってきたことは知っていたらしい。


「おう、雄介じゃねえか。なんだ、隣の嬢ちゃんは、お前の彼女か?」


「違います!」


「今度、うちに最初のお客さんが来るんです!」


 リサが満面の笑みで事情を話すと、店の奥で網を繕っていた大将の眉がピクリと動いた。


「ほう。あのダンジョンにか。物好きもいたもんだな」


 ぶっきらぼうに言いながらも、その口元は少し緩んでいる。


「なら、これ持っていきな。うちのホッケはそこらのとはモンが違う。景気づけだ」


「え、いいんですか!?」


「おうよ! 町に客が来るなんざ、何年ぶりか分からねえからな!」


 八百屋のおばちゃんも、「うちのトウモロコシは甘いよ!」と、たくさんおまけしてくれた。

 田舎ならではの、不器用で、だけど温かい人情。そのやり取りを隣で見ていたリサが、「この町、最高じゃん……」と、ぽつりと呟いた。 俺も、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。


 買い出しを終えて実家に戻る途中、俺たちは役場の前でばったりと見知った顔に出会った。


「あ、田中さん……」


 観光課の佐藤さんだ。彼女は俺の隣にいるリサを見て、少し驚いたような顔をした。


「佐藤さん、どうも。あの、リサさんの動画、見ました。すごい反響ですね……」


「ええ、まあ……」


 俺が歯切れ悪く答えると、佐藤さんは少し気まずそうに視線を泳がせた。


「それで、ですね。実は、今週末、その動画を見たっていうお客さんが、来ることになりまして」


「えぇぇ!? もうですか!?」


 佐藤さんの驚愕する声が、静かな昼下がりに響き渡った。

 事情を説明すると、彼女はしばらく腕を組んでうーん、と唸っていたが、やがて意を決したように顔を上げた。


「……分かりました。まだ正式な旅館業の許可は到底出せません。ですが、今回は町おこしのための特例、『モニターツアー』という扱いにしましょう。行政の視察、という名目で。なので……その、もしよろしければ、私も当日の様子を、個人的に、見に伺ってもよろしいですか?」


 その目は、事務的なものではなく、この町の未来を本気で案じる、一人の町民の目だった。


 山田家がやってくる、前日。

 俺の計画は、いつの間にか多くの人を巻き込んでいた。


 全力で部屋を掃除してくれるリサ。


 床をピカピカに磨き上げるプル。


 そして、なぜかダンジョンからついてきて、庭の草むしりを手伝ってくれているゴブリン――ゴブ吉と俺は名付けた。


 魚屋の大将や八百屋のおばちゃん、そして役場の佐藤さん。

 一人でひっそり始めるはずだったのに。

 気づけば、最高のチームが出来上がっていた。


「よし……」


 夕日に照らされた古民家を見上げ、俺は拳を握りしめた。


「やるか……!」


 元社畜おじさんの、人生を賭けた最初のおもてなし。

 その幕が、いよいよ上がろうとしていた。



―――

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