田舎おじさんのダンジョン民宿へようこそ!〜元社畜の俺に残されたのは、両親が残したダンジョンだけ。なので民宿を開いて、配信もして、全国初のダンジョンの観光地化を目指します!〜

咲月ねむと

第1章  ダンジョン民宿、はじめました

第1話 社畜、故郷へ帰る

「退職、おめでとう! 田中!」


 けたたましい歓声と、手荒い祝福が背中に叩きつけられる。

 東京、新宿。きらびやかなネオンが目に染みる居酒屋の一角で、俺、田中雄介たなか ゆうすけ、38歳は、元同僚たちに囲まれていた。


「いやー、まさか田中さんから『辞める』って言葉を聞くとは思いませんでしたよ」


「次は何するんすか? まさか独立とか?」


「北海道に帰るんだって? いいなぁ、俺も都会は疲れたよ」


 口々に投げかけられる言葉は、半分が本心で、もう半分は酒の席の社交辞令だ。それを分かっていながらも、俺は曖昧に笑ってジョッキに残ったビールを煽るしかなかった。


(疲れた、か……)


 その一言に尽きる。


 大学卒業後、がむしゃらに働いて15年。気づけば役職は中間管理職。上からは業績を、下からは突き上げを食らい、取引先には頭を下げ続ける毎日。満員電車に揺られ、深夜のオフィスで栄養ドリンクを飲み、コンビニ弁当を胃に流し込む。そんな生活が、俺の心と体を蝕んでいた。


 決定打は、駅のホームで電車を待っていた時だ。

 ふと、線路に吸い込まれそうになった。幸い、隣にいた人に腕を掴まれて事なきを得たが、その瞬間に悟ったのだ。


 あ、これ、もう限界だ、と。


 両親が相次いで亡くなったのは3年前。一人っ子の俺は、北海道の片田舎、留咲萌町るさもえちょうにある実家と、その裏山を相続していた。これまで管理は地元の親戚に任せきりだったが、潮時だろう。

 退職届を叩きつけ、引き継ぎを済ませ、今こうして送別会という名の最後の儀式に臨んでいるわけだ。


「雄介。体にだけは、気をつけなよ」


 同期の工藤が、しんみりとした口調で言った。彼もまた、目の下に濃い隈を飼っている戦友だ。


「お前もな」


 短く返して、俺たちはジョッキを合わせた。

 カツン、と乾いた音が、俺の社畜人生の終わりを告げているようだった。


◇◇◇


 東京から飛行機と電車、バスを乗り継いで半日。

 俺は、生まれ故郷である留咲萌町るさもえのバス停に降り立った。


「……うわ、空気うまっ」


 思わず声が出た。

 アスファルトと排気ガスの匂いしかしない都会とは違う。潮の香りと、土と、緑の匂いが混じり合った、懐かしい空気だ。日本海に沈む夕日が、空と海をオレンジ色に染め上げている。 見渡す限り、建物よりも自然の方が多い。


「おかえり、雄介」


 声をかけてきたのは、白髪頭の好々爺、隣に住む鈴木さんだ。親父の代からの付き合いで、俺が子供の頃はよくキャッチボールをしてくれた。


「ただいま、鈴木さん。色々、ありがとうね。家の管理とか」


「なんもさ。それより、本当に帰ってきたんだな。東京の仕事は、もういいのか?」


「うん。もう、お腹いっぱい」


 俺が苦笑すると、鈴木さんは「そうか」とだけ言って、しわくちゃの笑顔で俺の肩をポンと叩いた。


「とりあえず、家まで送ってやる。荷物、重いだろ」


 軽トラの荷台にキャリケースを積んでもらい、実家へと向かう。ガタガタと揺れる車内で、鈴木さんは町の近況を話してくれた。

 若い者はどんどん町を出ていき、商店街のシャッターは増える一方。過疎化という、日本の田舎が抱えるありふれた問題が、この町にも重くのしかかっていたのだ。


 やがて見えてきた、懐かしい我が家。

 少し古びてはいるが、赤い屋根のしっかりとした木造の古民家だ。鈴木さんや親戚が手入れをしてくれていたおかげで、荒れ果てているという感じはない。


「雄介。裏の山のこともある。落ち着いたら、一度役場にも顔を出した方がいいぞ」


「裏の山……ああ、ダンジョンのことか」



 そう、俺が相続したのは、この古民家と裏山だけじゃない。

 その裏山に、十数年前に突如として出現した『ダンジョン』も含まれている。


 当時は世界的なニュースになった。『日本最北のダンジョン出現!』なんて見出しが新聞を飾ったのを覚えている。専門家や冒険者がこぞってやってきたが、このダンジョンの特徴は、あまりにも「安全すぎる」ことだった。


 出現するモンスターはスライムやゴブリンといった低級なものばかり。しかも、なぜか人懐っこくて、こちらから攻撃しない限り襲ってこない。貴重な鉱物やアイテムが採れるわけでもなく、ダンジョンとしての「旨味」がまったくないと判断されたのだ。


 結果、冒険者たちはより危険で稼げるダンジョンへと去っていき、留咲萌町るさもえちょうのダンジョンは「ハズレダンジョン」として、世間からすっかり忘れ去られてしまった。

 今では、立ち入り禁止の看板が立つだけの、ただの観光資源になり損ねた洞窟だ。


 両親は生前、「うちの山のダンジョンは、のんびり屋だからな」と笑っていた。


「鈴木さん、本当にありがとう。これ、東京の土産」


「お、こりゃどうも。まあ、何か困ったことがあったら、いつでも言えよ」


 鈴木さんが軽トラで去っていくのを見送り、俺は実家の玄関の前に立った。

 鍵を開けて、きしむ扉を押す。

 シン、と静まり返った家の中は、ひんやりとしていて、少しだけカビ臭い。だが、そこには確かに、俺が家族と過ごした日々の記憶が染み付いていた。


「ただいま」


 誰もいない家に、そう呟く。

 返事はない。だが、それでよかった。もう、誰かに気を使って無理に笑う必要も、理不尽に頭を下げる必要もないのだから。


 荷物を置き、リビングの窓を開ける。

 涼しい夜風が、疲れた心を優しく撫でていくようだった。窓の外には、月明かりに照らされた裏山が見える。あの山のどこかに、ダンジョンの入り口がある。


(これから、どうしようか……)


 貯金は多少あるが、一生遊んで暮らせるほどではない。かといって、この町に俺が働けるような会社はないだろう。

 東京に戻る考えなど毛頭なかった。 


「……とりあえず、ここで生きていくしかない、か」


 俺に残されたのは、この古民家と、誰も見向きもしないハズレダンジョンだけ。

 途方に暮れる、というよりは、むしろ妙に清々しい気分だった。ゼロからのスタート。いや、マイナかもしれないが、とにかく自分の足で、自分の意思で、何かを始められる。


 ふと、親父が酒を飲むといつも言っていた言葉を思い出した。


『いいか、雄介。人生、どうにもならなくなったら、面白いことを考えるんだ。一番、バカバカしいくらいにな』


 面白いこと。バカバカしいこと。


 俺は裏山のダンジョンを見つめながら、ぽつりと呟いた。


「ダンジョンに……住んでみるとか?」


 いやいや、さすがにサバイバルすぎる。

 だが、あのダンジョンは安全だ。洞窟の中は夏涼しく冬暖かいと聞く。


「……そうだ」


 一つのアイデアが、電球のように頭の中でパッと灯った。

 社畜時代、唯一の楽しみは、週末にネットで色々な宿を見て「いつかこんな場所に泊まりたい」と妄想することだった。


 幻想的な洞窟ホテル。

 自然と一体になれるグランピング施設。


 もし、あの安全なダンジョンの中に、宿泊施設を作ったらどうだろうか。

 モンスターがお出迎えしてくれる宿。

 ダンジョンで採れた食材を使った料理。


 世界で唯一の「ダンジョン民宿」。


「……ハハッ」


 乾いた笑いが漏れた。

 我ながら、あまりにもバカバカしい思いつきだ。役場に相談したら、頭がおかしくなったと思われるのがオチだろう。


 だが。なぜか、少しだけ胸が高鳴った。

 東京で失ってしまった、あの「ワクワク」する感覚が、体の奥底からじんわりと蘇ってくるのを感じたのだ。


「ダンジョン民宿、か……」


 悪くないかもしれない。

 いや、むしろ、最高に面白いんじゃないか?


 こうして、元社畜・田中雄介たなか ゆうすけ、38歳の第二の人生は、世界一バカバカしくて、最高に面白い挑戦と共に静かに幕を開けたのだ。



――――

久しぶりの現代ファンタジー!!

『絶品ダンジョン飯』は今も投稿してますが、今作はまた違った作品になってます。


こちらの作品も完結保証いたします。


最後になりましたが、そんな皆様の応援こそが私にとってすごく力になります。 


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何卒よろしくお願いします。

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