第43話◇うらはらすもも、討ち死にする

「名前と連絡先、書いて。住所と、本名と、SNSの連絡先」


 AKARIさんの要求に、すももさんは黙って従っている。


 ここはシンヤさんのスペースだ。

 とんでもないスピードでⅩに「急用により、少し早いが撤収する旨」を連絡して、シンヤさんは机上を片付けた。

 そして今、シンヤさんが使っていたサークル用の椅子に、すももさんは座っている。

 連絡を受けたかなめも、自分のスペースを片付けて駆けつけていた。


 スペースの一角は取り調べの場になってしまっていた。

 彼女の目の前にはスケッチブックが一冊。

「私、春日桃子はもう二度と東雲洸に近づきません」という文面に、名前と住所と、本日の日付を書きつけるように言われて、すももさんは大人しく従っている。

 前にAKARIさん、横にシンヤさんに挟まれて、恐怖か、その肩がふるふると震えていた。


 私とかなめと、そして月浦さんは、少し離れたところに立っている。

 月浦さんとすももさんの間にいつでも割って入れる距離に立って、私とかなめは事態を見守っている。


「洸=東浦晃星であることをバラすなら、ストーカー被害で警察に通報する。それなりに対応させてもらうつもりよ」


 はぁ、と息を吐くと、すももさんを厳しい視線で見て通告するAKARIさん。

 その声は、いつもよりずっと低かった。

 私は、すももさんを知る者として、少しは孤立無援の彼女を守りたかった。

 状況は厳しそうだったけれど。


「彼女、うらはらすももさんは、私のnoteのフォロワーさんなんです……」

「note、やっていたのね。……ああ、これね。この約束を破ったら、次は弁護士事務所と警察に行くから」


 私が口走ると、あっという間にAKARIさんはアカウントを特定した。

 全く容赦はなかった。

 すももさんは、こくりと小さく頷いて。

 そこは理解したようだけれども、何か言いたそうに目線を上げる。


「私、ストーカーをしたかったわけじゃ、ないんです。本当は。ただ一言、洸に伝えたくて」


 ずっと沈黙して斜め下を向いていたのに。

 その瞬間だけは、しっかりと、月浦さんを見て言った。


「あんな終わり、見たくなかった。私たちは。宵悟も納得できてない感じだったし、いまだに寂しそうにしてるし、宵悟はコンビに見えるような写真、もう誰とも撮らなくなった」


 月浦さん――いや、今は東雲さんである彼は、とても痛そうに顔を歪めている。

 きっと、本当に彼女が言った通りなんだと思う。


「アイドル時代に洸のストーカーを始めたのか?」


 シンヤさんが訊ねて、すももさんは首を振って否定する。


「違います。コミックアクセスの、5の時に、AKARIさんといたコスプレの人が、すごく洸だったから……」


 正直、語られたその事実に、私は驚いてしまった。

 そういえば、ファンは体の一部でも自分だと分かるらしいと、月浦さん本人も以前に言っていた。

 まさか、顔を隠して全身を見えないようにした状況であってさえ、ここまで精度が高いとは思っていなかったけれども。


「あとは、写真のポストカードが、あの大きなポスターになってた朝陽か夕陽のポスターが、すごく、SOLUNARだったから……。洸が写真好きなことも知ってたし、東浦晃星のnoteもAKARIさんと繋がっていたし」


 そして、もうあのポスターの時点で、月浦さん本人がすももさんにヒントを与えてしまっていたのかもしれない。

 分かりやすく朝と夜の対比に執着しているさま」がダダ漏れてしまっていたのだと感じる。


 私はあの時、まるで一目惚れみたいな顔でポスターを見つめていたすももさんを思い出した。

 それは「やっと会えた」という顔だったのかもしれない。


「でも、その時も今回も、売り子をしていたのが、アクセスのコスプレゾーンでAKARIさんと洸と一緒に三人で写真を撮っていた人だったから……恋人かもって」


 しかしこのすももさんの主張によると、完全なる確信を与えてしまったのは、どうやら私の存在だった。

 恋人というのは全くの誤解だけども、「それで、あの時のすももさんは私に対して、ああいう敵意の態度だったんだ」と時を超えて納得する。


「まさか、白湯さんだったなんて……」


 そう口走って、彼女は私を見た。

 それはとても困惑した表情だった。


「事情は分かった」


 シンヤさんが言って。

 東雲さんに向き直る。

 シンヤさんはすももさんだけでなく、彼の弟分にも厳しい目を向けていた。


「いいか、洸。この子がストーカーみたいなことになっているのは問題だし、そこは俺もお前をかばう。ただ、お前がしっかり如月くんやファンへの対応をせずに逃げてしまったから、この子はこうなってる。善意で写真集を手伝ってくれていたさゆさんにも迷惑をかけた。それも分かるな?」

「……分かる」


 小声で答えて、東雲さんはうつむいた。

 ぎゅっとその両手を、耐えるように強く握りしめていた。


「やることは分かったな?」


 分かったなら言ってみろ、というように視線でシンヤさんが月浦さんを見て、発言を促す。


「……ちゃんと宵悟と話してから、東雲洸の名義で正式なコメントを出す。もっとちゃんとした形で、『SOLUNARの終わり』をやり直せるように相談する」


 確かに、そう「東雲洸」が口走った。

 私とかなめは思わずお互いの顔を見合わせる。


「よし。君も、それで引き下がれるか?」

「っ、はい……」


 シンヤさんはすももさんにも確認する。


 すももさんは、まだ震えていた。

 けれども、それはさっきまでの単なる恐怖によるものではなくて、今はまた、全く別の種類の感情が彼女をそこまで激しく震えさせているのだと、私たちには分かってしまった。


「そうか。次はない。今後は洸に接触しないこと。守れないなら即通報する。帰ってくれ」


 言われて、すももさんは席を立つ。

 最後に、東雲さんを見て。

 深くその頭を下げた。

 そうして、そのままふらりと立ち去っていく。


「すももさん……」


 私は、それを一度見送って。

 けれども、いてもたってもいられなかった。

 今の彼女を一人にしたくなかった。


「すみません、皆さん、私……行ってきます」


こう言い置いて、私はすぐに彼女を追いかけた。

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