第40話◇ゆざまし白湯は東浦晃星が撮るものを知る

 それからしばらく、私は月浦さんと直接会うことはなかった。

 ある程度のことは、LINEでの文字情報のみのやりとりでも、何とかなっていた。

 ちょうど今は最後の原稿チェック後の修正が終わって、いよいよ印刷所への入稿をしよう、というタイミングのようだ。


 そろそろ、写真集の入稿日が近い……。


 私は今、仕事の昼休みに近くの食堂にやってきている。

 午後の仕事に遅れないようにと、一番提供までの時間が早いきつねうどんを選んで、サッと食べる。

 そのついでに、月浦さんのnoteのアカウントを確認する。


「月浦さんのnoteは……CM以外は更新なし、か」


 事前に宣伝のために私が作っておいた記事だけは、ちゃんと更新されている。

 表紙の画像などの、必要案内事項を月浦さん側がきちんと埋めた上で。


 月浦さん、あの後ぼんやり考え込んでたけど、大丈夫だったんだろうか。

 私のせいではないと言われはしたけど、あの後、ほぼ使い物にならなくなってたし、私も遅くなっちゃいそうだからと、普通に帰っちゃったけど、すっかり落ち込んでいたようだったので、気にはなる。


「……のめり込んでるな、私」


 意識した私は、あえて傍らに置いてあったお冷を一気飲みする。

 冷えた氷水のせいでキンと頭痛がした。


 不思議と、月浦さんとの作業は楽しい。

 やっている作業自体が新鮮で面白い、というのもあると思う。


 けれど、彼がその瞳を輝かせながら変わっていこうとしていることこそが、楽しい。

 それこそひとつの物語のように。

 そして、私自身も、何だかもっと大きく状況が変わっていきそうな感じがして、楽しい。


 だから、今後も楽しく協力していけたらいいなとは、思ってはいるんだけど……。

 色々と言い過ぎたのかも、私……。


 などと、考えていたところだった。


『――はいっ、本日はとっても素敵なゲストをお招きしています。如月宵悟さんです~!!こんにちは~!!』


 突然、聞いたことがある名前を私は聞くことになった。

 私はバッと頭を上げて、声の方角に視線を動かす。

 そこには、テレビがあった。

 お昼のバラエティ番組だ。

 以前ちらりと見た覚えがある男の人がそこにいた。


『はいっ、それでは番組恒例、如月くんにはこちらのゲームに挑戦して頂きますっ。如月くん、成功する自信は?』

『大丈夫じゃないですかね。俺、大体、何とかなるんで』


 番組司会者に話を振られた如月さんは、用意されたゲームにちらりと視線を流しつつも、とてもクールな対応だ。


『おおっ、大体何とかなる、とは……!!とても如月さんらしい一言を頂きました!!』


 確かに、すももさんが以前に書いていた通り、「イケイケな自信家キャラ」でやっている人らしい発言だ。

 ただ、すももさんが言うには、あれでいて東雲さんが事務所をやめて以降は「地味に寂しそう」だったり「元気なさそう」だったりするらしいけれど。


 あの人が、如月宵悟か……。


 私は如月さんが宣言通り、ゲームに見事勝利していくさまを、眺め続ける。

 確かに、本当に「何とかなっている」……。


 わぁ……。

 本気ですごい自分に自信がありそうな人だぁ。

 私とは真逆の性格みたいだ、如月さんって。







 それから数日後、次に連絡があった時の月浦さんは、とても「普通」だった。

 メンタルを上手く立て直せたようだ。

『無事入稿できました』というメッセージがスマホに届いていた。


 写真集が出来上がって月浦さんの自宅に届けられるのは約一週間後だという。

 その時にまた直接会って話すことが決まった。

 それまでは引き続き、電話やLINEで連絡を取りながら、協力してnoteやⅩを更新していく。


 情報発信を続けているうちに、同じように文学フリマにサークル参加をする予定の人たちが「東浦晃星」のnoteやⅩのフォローをしてくれていた。


 そうやって知らなかった人たちとゆるく繋がっていく。

 人の縁は面白いなと思う。

 月浦さんが好きと感じる相手にフォローを返して、私も私で興味がある人をチェックして、自分のアカウントで繋がる。


 もののついでで、noteの方だけでなく、あれだけ放置していたはずの私のⅩアカウントまでもが、「東浦晃星」の存在に釣られて蘇っていた。

 だって、Ⅹのアカウントがあった方がサークルチェックもしやすくて、即応性があるんだもん……。


 ここにきて、「人の本が欲しいからチェックしよう」なんてことを思い始めている。

 前回の同人誌即売会参加時は、あれだけ後ろ向きだったはずなのに。

 この私が。

 不思議だ。




 そして、一週間が経過した。

 遂に、待ち続けていた写真集の到着の知らせが月浦さんからもたらされる。

 彼も「早く完成品を見せたい」と気がはやっているのかもしれない。

 その日は火曜日、平日だったけれど、私たちはさっそく「喫茶・琥珀糖」で待ち合わせることになった。

 私の仕事の終了後に。


 夜の「琥珀糖」は、やっぱりほわほわと温かみがあるオレンジの光が心に優しかった。

 ドアを押した時の鈴の音も。

 そして、いつもと同じ、まるで指定席のようになってしまった店の一角にも、ホッとする。


「さゆさんっ!!」


 私の姿を認めて嬉しそうに手を振ってくる月浦さんも。

「いらっしゃいませ」と声をかけてくれる戸坂さんも。


 いつもの席、いつもの角度、いつものブレンド二つ。

 けれども、今日は違うものがテーブルに加わっている。

 月浦さんが持ってきてくれた、完成した写真集だ。


 あんまりにも「いいから、とにかく早く見て見て、さゆさん!!」などと言いたげに期待と不安にソワソワしている様子だから、つい自然と笑ってしまう。


「――拝見しても?」

「はい。是非!!」


 笑顔で勧められるまま、私は写真集を手に取って、まず表紙から堪能することにした。


 最初に感じたのは、つやつやとした表紙の手触り。

 光沢が店の照明のオレンジを反射している。

 この本は不思議と、この店の雰囲気にも合って、アイテムとして馴染んでいた。


 大学ノートと同じB5サイズの大きさ。

 カバー写真は「手に持たれたコップの中の水が、水面が大きく揺れることで今にもこぼれてしまいそう」というシーンを写したもので、おそらくこの手はAKARIさんの右手だ。

 見たことがある指輪が中指に嵌まっている。


 題名は「今、動き出しそうな世界」とあった。

 それはどことなく、以前に把握した彼の好みとは外れている、柔らかくふんわりとした印象の写真に見えた。


「もっとコントラストが強い写真が、お好きだったのでは?」


 確か、「リフレのCMの水滴」はもっとコントラストが強い光の下で撮られた映像だ。

 強い光の反射が水滴をキラキラと照らして、眩しく輝いていた。

 それは突然の方向転換のように感じて、私は訊く。


「ゴールデンアワーに、撮りたくて。日の出直後か日没直前の時間帯だと、ローコントラストで影が濃すぎないらしくて」


 月浦さんはじっと表紙に視線を注いでいた。

 柔らかく表紙の、水滴の部分を撫でて言う。

 口調は、優しかった。


「ファンからの評判が良かったSOLUNARの写真を、見返したんです。そういう写真は、撮る立場の俺の視点で見てもいいと感じるものが、多くて」


 それは先日指摘した「対比」の話の続きでもあった。

 認めて口に出すことを、少し恥ずかしがっているようなそぶりも見えたけれど。

 彼はこれを表紙に持ってくると決めたのだ。


「俺たちを撮ってくれてた人たちは、俺たちのコンセプトを分かっていて、ちゃんと演出して下さってたんですね。だから、俺も、こういう写真を撮りたくなったんです」


 今ここにいるこの人の中で、過去の仕事は溶け合うように一体化して身に付いている。

 引退したとしても。


「とても、素敵な写真だと思います」


 私は心から思って、伝えた。

 そうしてパラパラとめくって一通り、全てのページを確認する。

 最後のページに辿り着いて、私は手を止めた。


「協力、ゆざまし白湯」


 最終にある奥付ページの「著者」の下、私のペンネームが書いてあった。

 かなめの本に載せるために考えたのと同じ名前を、月浦さんにも伝えていた。

 私はそれを読み上げる。

 確かに自分を表すものとして。


 まさに「湯冷ましのお白湯」みたいな人間の、私。

 さして何の特徴もない、他愛もない、水みたいな存在だ。

 でも、そのしなやかな流れに少しでもあやかれたらいいな、とも思う。


「変な名前ですよね」


 私が自嘲交じりに言うと、月浦さんは首を振る。


「変じゃないですよ。全然。お白湯は健康にいいって言いますし。それに、濃くて飲めないものでも薄めてちょうど良くしてくれますから、すごくありがたい存在です。素敵です」


 だから、私も彼をペンネームで呼ぶ。


「ありがとうございます。東浦晃星、さん」

「はい」


 笑い合う私たちは、何だかとても満たされていた。

 まだ販売もしていない写真集だけど、イベントはまだ先だけど、この時点で何かが「成った」ようにも感じていた。

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