第26話◇未来の仕事と、俺が撮りたいもの

「あ、あのさ。今度来る時、この店の写真、撮っていい?」


 俺は訊く。

 ドキドキと胸の鼓動が大きくなる。


 生まれて初めて、他人に今後の夢の話をしている。

 夢想や妄想ではなくて、現実的な近い目標の話として。


 たぶん、はるとくんは笑わないで聞いてくれる人だ。

「やめときゃいいのに」なんてことも、「撮られる側の方でいた方がいいよ、顔面がもったいない」みたいなことも言わない。

 分かってるからこそ、ちゃんと言える。


「俺ね、最近、真剣に写真家になりたいって……写真を撮る方を、やってみたいと思ってて。未来の仕事的な意味で」


 ああ。

 言った。

 言ってやった――。


 いつの間にか握った両手は汗をかいていて、ぬるりとした感触を指先に伝えてくる。

 この人にそれをいうのは、俺にとってはそれだけ緊張することだったらしい。


 はるとくんも、最初に「いずれ自分の店を持つために、脱退して大学受験をしたい」と社長に意思を伝えた時は、このくらい、緊張していたんだろうか。


「写真集みたいなものを作れたら、それにこの店の写真も載せられたらいいなって。まだ、細かいことはこれからだけど」


 口走ったそれは、シンヤ兄の漫画同人誌の作業を手伝っていた時に考えついたことだ。

 シンヤ兄が自分で描いた漫画を同人誌にして売っているように、撮った写真を写真集にまとめるという案。


 印刷所のパンフレットをいくつか見せてもらった時、表紙も本文もカラーの本を作ることもできるんだと知った。

「本文カラーの本も以前見たことあるな。料金高くなるから、やってる人の数は少ないだろうけど」とシンヤ兄も言っていた。


 ……つまり。

 少なくはあっても、現実にそういう作りの本を作って売っている人が既にいるのだ。


 それなら、俺にだって、できるかもしれない。

 お金はかかるかもしれないけど、一度はちゃんとやってみたい。

 やり方は、周囲の同人誌を出したことがある人……身近なところはシンヤ兄や神原さんあたりだろうか、みんなに助けてもらって、ちゃんと印刷用のデータを作る勉強もして。

 俺にも、そういうことができないだろうか。


「おお。そっか。全然いいよ。で、どういう写真撮ってるの?」


 思った通り、はるとくんは笑わなかった。

 写真の話、ちゃんと聞いてくれる人がいるなんて……。

 家族や親戚じゃないのに、受け入れてくれる人がいるというのが、嬉しかった。

 嬉しくて、俺の口は油を差された機械のように滑らかに、早口になる。


「街角とか、風景が多い。人物も挑戦したいとは思ってるんだけど、普通に撮られてくれるモデルがいないから、やったことなくて……。姉だと、俺だってすぐバレそうだし」

「あー、だよな。洸のその顔で、密室で二人っきりで写真……変な期待抱かない奴、いないだろうからな……。逆に洸の方がスマホで顔撮られて晒されて、あることないこと……」


 さすが、話が早い。

 きっとはるとくん自身も、同じような展開に今まで再三巻き込まれてきているんだろう。

 毎度、容姿についての情報が相手に届いた瞬間に、確実に話がおかしなことになってしまう。


「リフレの時の、山田さんの映像みたいな光が綺麗な、雑誌の撮影の時の柚木さんのポートレートみたいな、ああいうのいいなぁっていう憧れだけはあるんだけど」


 この道も楽しそう、と思ったのはお二人のおかげだ。

 芸能人な自分は横に置いて、一個人としてフラットな目で作品を見た時、とても「いいな。自分もこういうの撮りたいな」と思ったのだ。


「山田さんと柚木さんかぁ~!!懐かしっ」


 はるとくんの口から出たのは、本当に意外そうな驚きの声だった。

 俺は自然とお二人の名前を出していたけれど、そういえば、この人にとっては遠く懐かしい人たちの名前なんだなと、ようやく気が付く。


「俺も昔、めちゃくちゃお世話になったわ~。今何してんだろ?元気なのかな?」

「どう、かな?」


 とはいえ、撮影でご一緒する予定があれば会えていた当時と違って、俺も今やアイドルをやめた身。

 噂が届くこともないし、状況は分からない。


「仕事用の個人サイトとかSNS、何かしら持ってるんじゃないかな?後で探してみよっかな~」


 はるとくんの指摘に、そうか、と俺は思う。

 そうやって検索した結果、俺は今、はるとくんに再会できているのだから。


「俺も探してみる。カメラやお仕事のこと、知りたいし。このままだと柚木さんと山田さんの真似してるだけになっちゃいそうで、困ってて」


 写真を撮ることを再開してみたはいいものの、一人だけでどうこうするのは、手詰まりかもしれないと感じていた。

 それこそ「写真の撮り方」あたりで検索して色んなカメラマンさん、それぞれの撮り方をお勉強させてもらったりもするのだけれど、いよいよ人の真似ばかりしている状況だ。


「でも、最初は何でも真似からじゃね?俺だって、昔は先輩みたいになりたくて事務所に履歴書送ったんだしさ」


 それを聞いて、「その話、聞いたことあったな」と俺は思い出す。

 先輩が憧れた先輩たちの、かっこよさについて。

 そのグループは、少し前に解散してしまったのだけれど。


「それなりに長くやっていけば、どうせ自分はその人本人にはなれないんだって、ちゃんと分かっちゃうじゃん」

「……そう、だよね」


 はるとくんが言う通りだと、俺も思う。


 だったら、俺は山田さんや柚木さんとは方向が違う、俺しか撮れないこだわりを、ちゃんと見つけないといけない。

 どの写真を見ても「俺だ」と分かるような、「何か」を。


 それは一生を通して取り組むようなモチーフだったり、特殊なカメラを使った撮り方とか珍しい構図だったり、そういうものなのかもしれない。趣味趣向や、もっと言うならフェチみたいな、性癖的なものかもしれない。


 それからは、少し世間話的なことを話した。

 俺が実は本名を改名した話やバカ話をして、それからお互いの連絡先を交換して。

 そうして、いつの間にか時間が過ぎ去る。


 楽しかったけれど、はるとくんには明日の営業のための準備があることも分かっていたから、日付が変わる前には帰ることにした。


「また来いよ」

「うん」


 とても心地いい気持ちのまま、俺は店を出る。

 タクシーを呼んでもいいと、はるとくんは言ってくれたのだけれど、何だかもったいないような気がした。

 まだこの余韻を楽しみながら、少し歩きたかった。


 俺はウィスキーを飲まなかったはずなのに、酔っていないはずなのに、やけにふわふわした気分だった。

 歩いて、そして、思いのまま何かを撮りたかった。


 バッグの中から取り出したカメラを手に、俺はゆっくりと歩みを進める。

 視界に入った全ての中から興味を持ったものに向かって、フラフラと近づいていく。


 俺は吸い寄せられたようにある一角に近づいて、カメラを構えた。


 おそらく、それは何気なく街の一角を撮っただけの、他愛ない写真。

 ただ道路を、車のテールランプが流れていくだけ。


 でも、今の俺にはその光が温かくて、優しくて、この先が見えない暗闇の中で、やけに安心できるものに見えたんだ。

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