女騎士の独り旅!
和泉發仙
第1話 騎士団長の娘、アリアの始まり
アリアが六歳の誕生日を迎えた日、父である騎士団長から真新しい木剣を贈られた。それはただのおもちゃではなく、父が日々の訓練で使っていたものと同じ、手作りの稽古剣だった。
「アリア、お前も今日から、騎士としての道を歩み始めるのだ」
父は、普段見せることのない柔らかな眼差しでそう言った。しかし、その言葉には、厳格な騎士としての生き様を背負う、重い響きがあった。アリアは、その木剣をぎゅっと握りしめた。ずっしりとした重さが、幼いアリアの覚悟を問うようだった。
その日から、アリアの生活は一変した。朝は鳥のさえずりよりも早く起き、父と二人、庭で剣の素振りを始めた。夕方には、騎士道や歴史を学ぶ座学が待っていた。同年代の子どもたちが、王都の広場で鬼ごっこに興じているのを横目に、アリアはただひたすら、剣の道に己を捧げた。
「騎士は、強くなければならない。弱き者を守るには、誰よりも強靭な肉体と精神を持たねばならん」
父は口癖のようにそう言った。アリアは、その言葉を胸に、血豆のできた手で木剣を振り続けた。訓練は厳しく、何度も心が折れそうになった。しかし、病弱な妹の顔が脳裏に浮かぶと、不思議と力が湧いてきた。妹の、いつかお姉ちゃんみたいになりたい、というキラキラした瞳が、アリアを奮い立たせる唯一の光だった。
七歳の夏、アリアは父と連れだって、王都から少し離れた森へ薬草摘みに向かった。妹の病に効く、希少な薬草がその森に生えていると聞いたからだ。父は騎士として王都を離れることはあまりないが、妹のためとあっては、危険を顧みず森へ入る決意をしたのだ。アリアは、父の役に立ちたい一心で、目を皿のようにして足元の草花を観察した。
そ
森の奥深く、目的の薬草を見つけ、二人で喜んでいると、突如として獣じみた咆哮が響き渡った。茂みの中から現れたのは、巨大な牙を持つ二匹の猪型魔物、ワイルドボアだった。その鋭い牙は、人を容易く串刺しにするだろう。
「アリア、私の後ろに!」
父はアリアを庇うように前に立ち、愛剣を抜いた。アリアは、震える足で父の後ろに隠れたが、恐怖で体が硬直し、声も出なかった。ワイルドボアは、唾液を撒き散らしながら突進してくる。父は一匹を剣で受け止め、もう一匹を払い除けようとした。その時、払いのけたはずのワイルドボアが、体勢を立て直し、アリアに狙いを定めた。
「アリア!」
父の叫び声が響き、ワイルドボアの牙がアリアの目前に迫った。死を覚悟し、目をぎゅっと閉じたその瞬間、横合いから一閃の光が走り、ワイルドボアは二つに斬り裂かれて地面に転がった。
「油断するな、騎士殿」
現れたのは、背の高い、いかにも強そうな男だった。男は、血を滴らせた大剣を肩に担ぎ、まるで何事もなかったかのように立っている。顔には無精髭が生え、その瞳は鋭く、まるで獲物を探す鷹のようだった。男は、もう一匹のワイルドボアと対峙する父の元へ歩み寄り、一振りでその魔物を仕留めた。父は、呆然と立ち尽くすアリアを抱きしめ、男に深々と頭を下げた。
「助けていただき、感謝します。もし、あなたがいてくださらなければ、この娘は…」
「礼はいらん。森に魔物がいることを知りながら、不用意に入るべきではないな。特に、その娘はな」
男は、アリアを一瞥し、冷淡な口調でそう言った。アリアは、その言葉に悔しさを感じた。自分は、父の足手まといになった。父の言う「強さ」とは程遠い、ただの臆病な子どもだったのだと。
男は、去り際に名乗った。
「俺はアルフォンダ。ただの剣士だ」
アルフォンダの背中は、父の背中よりも大きく、そして何よりも強かった。アリアは、その背中に憧れを抱いた。自分もいつか、あんな風に、誰かを守れる強さを持ちたい。そう強く願った。そしてアリアは、その夜、父に頼み込んで、アルフォンダに弟子入りさせてもらうことになった。
アルフォンダの家は、王都から少し離れた小さな道場だった。彼は昔、王国の騎士だったが、ある事件をきっかけにその職を辞し、今は一人で静かに暮らしているという。
「騎士団長の娘に、俺の剣が教えられるものか」
アルフォンダは、最初こそ渋っていたが、アリアの熱心な願いと、父の真剣な説得に根負けし、弟子入りを許した。
「いいか、アリア。俺の教える剣は、騎士の剣ではない。生きるための剣だ。その覚悟があるなら、ついてこい」
アルフォンダの指導は、父の訓練とは比べ物にならないほど苛烈だった。朝はまだ星が残るうちから始まり、夜は月明かりの下で素振りを続けた。時には、食事も与えられず、空腹のまま稽古をさせられることもあった。
道場には、アリアと同じようにアルフォンダに師事する三人の弟子がいた。
一人は、アリアよりも二つ年上の少年、オルガ。彼は、貴族の出で、騎士を目指している。プライドが高く、アリアをライバル視していた。
「所詮は騎士団長の娘。温室育ちのお嬢様には、俺の剣は超えられない」
彼はいつもそう言って、アリアを挑発した。アリアは、オルガの言葉に悔しさを感じながらも、彼の剣の鋭さには、一目置いていた。
二人目は、ハンス。彼は、町の鍛冶屋の息子で、オルガと同年だった。体格が良く、力自慢だが、頭を使うことは苦手だった。
「剣は力だ! 細っこいお嬢ちゃんには無理だぜ!」
ハンスは、いつもそう言って、豪快な剣を振るった。しかし、彼は根は優しい男で、アリアが怪我をすると、そっと手当てをしてくれた。
三人目は、マルグリッド。彼女はアリアと同じ年で、孤児だった。物静かで口数が少ないが、その剣は、まるで水の流れのように滑らかで、アリアはいつも彼女の剣に見惚れていた。
「アリアは、いい剣を持っている。でも、心が剣を動かしていない」
マルグリッドの言葉はいつも短いが、アリアの心の奥底に突き刺さった。
四人は、互いに切磋琢磨しながら、修行に励んだ。オルガは、アリアをライバル視し、アリアはオルガに負けたくない一心で稽古に励んだ。ハンスは、二人の間を取り持ち、マルグリッドは、静かに四人を見守っていた。
ある日のこと、アルフォンダは四人を連れ、道場近くの森へと向かった。
「今日は実戦だ。お前たち、一人一匹、魔物を仕留めてこい」
アルフォンダの言葉に、四人は緊張した。アリアは、過去のトラウマが蘇り、再び体が硬直しかけた。しかし、あの時とは違う。自分は強くなった。そう心に言い聞かせ、森の奥へと足を踏み入れた。
アリアが森の中を進んでいくと、一匹のゴブリンが姿を現した。ゴブリンは、小さな棍棒を振り回し、アリアに襲いかかってきた。アリアは、木剣を構え、ゴブリンの攻撃を受け止めた。ゴブリンの力は、大したことはない。しかし、アリアは、過去の恐怖から、どうしても一歩踏み込むことができなかった。
その時、オルガの怒鳴り声が聞こえてきた。
「アリア! なにをやっているんだ! その程度の魔物にも勝てないのか!」
アリアは、オルガの声に、はっと我に返った。自分が、このままでは、また誰かの足手まといになる。妹を守るという誓いを、ここで終わらせてしまうのか。アリアは、心の中で、自分自身に問いかけた。
「…違う…私は、弱くない!」
アリアは、そう叫び、ゴブリンに剣を突き刺した。ゴブリンは、悲鳴を上げ、地面に倒れ込んだ。アリアは、震える手で木剣を握りしめた。初めて、自分の力で魔物を倒した。その事実に、アリアは、喜びと同時に、言いようのない虚しさを感じた。
「…アリア、お前は…」
オルガは、アリアのそばに駆け寄り、驚いた表情でそう言った。
アリアは、オルガの言葉に何も答えず、ただ、うつむいたままだった。
修行の日々は、さらに苛烈さを増していった。アリアは、オルガ、ハンス、マルグリッドと共に、互いの技を磨き、己の心と向き合った。オルガは、アリアの成長を認め、もはやライバルとしてではなく、仲間として接するようになっていた。ハンスは、相変わらず力任せな剣を振るうが、その剣には、仲間を守るという強い意志が宿っていた。マルグリッドは、口数は少ないが、その瞳は、常にアリアたちを見守っていた。
ある日、アルフォンダは、アリアを呼び出した。
「アリア、お前は…なぜ剣を振るう?」
アルフォンダの問いに、アリアは戸惑った。妹を守るため、父に認められるため、アルフォンダのように強くなりたい。たくさんの答えが、頭の中を駆け巡る。
「…私は…大切な人を、守るために…」
アリアは、震える声で、そう答えた。アルフォンダは、アリアの言葉に、静かに頷いた。
「…そうか。ならば、その剣は…お前自身のものだ。誰かのためではなく、お前自身の…」
アルフォンダの言葉は、アリアの心に深く響いた。アリアは、これまで、誰かのために剣を振るってきた。しかし、アルフォンダは、アリア自身の剣を求めていた。アリアは、アルフォンダの言葉を胸に、改めて、己の剣と向き合った。
アリアが十二歳になった頃、妹の病は、日増しに悪化していった。王国の医者たちは、みな首を横に振るばかりで、治す手立てはないという。アリアは、妹の病気を治すために、あらゆる方法を探した。
そんな時、アルフォンダが、アリアに一冊の本を渡した。
「これは…」
それは、世界中を旅した騎士ハイネ•オッペンヒャーマンの日記だった。そこには、遥か遠い東の国に伝わる「星の光」という秘宝のことが書かれていた。その秘宝は、どんな病も治すと言われているという。
「…アルフォンダ、これは…」
「…お前が…何をすべきか、自分で考えろ」
アルフォンダは、そう言って、アリアに微笑んだ。アリアは、アルフォンダの言葉に、胸が熱くなった。
アリアは、父に、旅に出たいと告げた。父は、アリアの決意を汲み取り、何も言わずに頷いた。オルガ、ハンス、マルグリッドもまた、アリアの旅立ちを応援してくれた。
「アリア、また会える。その時は、俺が、お前に勝ってやるからな!」
オルガは、そう言って、アリアに笑いかけた。
「アリアさん! 無理しないで、ちゃんと飯を食うんだぞ!」
ハンスは、そう言って、アリアの背中を叩いた。
「アリア…お前の剣は、もう、お前自身のものだ」
マルグリッドは、そう言って、アリアに微笑んだ。
アリアは、仲間たちの言葉を胸に、旅立つ決意を固めた。そして、愛しい妹を救うため、そして、己の剣をさらに磨くため、アリアの長い旅が、始まったのだった。
この旅が、アリアという一人の騎士を、そして一人の人間を、大きく成長させていくことになる。
彼女の物語は、ここから、本当の始まりを迎えるのだ。
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