Bパート

仮想というノンフィクションは、残酷だ。

僕は、元から根暗だ。

情熱なんて持っていないし、

自分の中の正義なんて、わからない。

守れるものも、守りたいものも、守る資格もない。

そんなことを言われて当然なのであって、

ここで反論しようものなら、負け犬の遠吠えだ。


ノンフィクションって、ひどく鋭利だ。

現実という刃ほど、

人を傷つける品物はない。


この世界の全てが、フィクションで染まればいいのに。


僕の鼓動は、止まるかと思った。


どこからか、音が聞こえた。

昇降口で、外履きに履き替えている時。


何かの音が、聞こえた。


「おれは、おれを守る!そのために、おれはヒーローになるんだ!」



どこかで、聞いたことがあるようで、

どこでも聞いたことがないような言葉だった。


昇降口。

誰もいないその放たれた空間に、ひとり。


背の高い少年が、右腕を大きく、青い空に振り翳していた。


その背中は、

僕のわずかな視線を、奪っていく。


そしてそのわずかな視線に、

少年は、気がついたらしい。


「あ、聞かれちゃった」


サラサラなウルフヘア。

前髪は、センター分け。

瞳は彫刻刀で間違えたかの如く大きくくり抜かれていて、

顔のパーツのひとつひとつが、際立っていた。


「んね、『ぼくら希望観察隊』って知ってる?」


ぼくら希望観察隊。


「……知ってる」


僕は、そう答えていた。


「まじで!?」


センター分けの少年は、まるで喰らいつくかのように。

瞳をギラギラと、燃やしていた。


「前回見た!? 神回だったよな!?」


ぼくら希望観察隊、は。

主人公、「ハルカ」を中心とする5人の少年少女が、

世界を絶望に浸していく悪の組織と対峙し、向き合っていく、

特撮番組だ。


「……途中まで、見た」


見知らぬ少年と僕は今、

言葉を交わしている。


「えーうっそー。最後まで見てよ! あれは最後のハルカの台詞に価値があるぜ」


僕は前回の放送を、寝坊で見逃した。

SNSで神回だと、言われているのを見た。

昨日、録画で途中まで見た。

気が付かぬうちに、停止していたけれど。


傷が、彫られていく。


「すげえよな、ハルカってさ」


少年は、言う。

僕は、俯いている。


「守れるものがあって」


守れるもの。

守れるもの、守れるもの、守れるもの、


そんなの、守れるものなんて、


「守れるものなんてないって、リョウスケは言ってたじゃん」


僕は、そう言っていた。

唇を、引きちぎるかのように食いしばって。


「あんた、そこまでしかもしかして見てない?」


少年は、もったいねーって、笑って、


「ごめんな、ネタバレしちまった」


そう、ニヤッと笑みを浮かべる。

絶対、ごめんだなんて思っていないような、

そんな表情。


「……なんで、泣いてんだ?」


ネタバレ、そんなに嫌だったか?

少年の声が、遠い。


僕の頬が、妙に熱を持っている。

熱くて、痛い。

喉元から、何かが漏れそうで、

僕は、今、どういう状態か、掴めない。


「……夢ばっかり見てて、フィクションにばっかり想いを馳せてて」


「結局正義も守れるものも、何もない」


「根暗で、陰鬱で、言葉がうまく出ない」


「ノンフィクションは、嫌いだ」


「フィクションの世界へ、行きたい」


僕にとってのノンフィクションは、青と同然。

僕にとってのフィクションは、赤に等しい。


僕の感情の濁流。

混沌として、混濁した、

赤には程遠い、彩度の低い、

そんな色の、濁った湖。


今の僕は、

とてもとても、青に満ちている。

血色が悪くなっているから。



「いつだって、行けるよ」


頭上が、温かい。

少年の、右手だった。


この少年は、初対面の僕の頭を、

優しく、優しく、柔らかく、撫でている。


「世界はどこからでも、ノンフィクションにでもなれるし、フィクションにもなれる」


「……それって」


どういう、


意味だ?


微かに、抵抗。



「だってそうだろ。そうじゃないと、『ぼくら希望観察隊』は存在しない」


世の中の、ドラマ、映画、舞台、全てがなくなっちゃうよ。


「ノンフィクションとフィクションは、同時進行だからさ、いつだって行けるよ」



「あんたが行きたいって、思えばさ」



この熱は、何色だろう。

血流のめぐりが、色を帯びていくような、そんな感覚。


僕の中の、確かな「赤」が。

キラキラと、光の粒を生み出していく。

それはきっと、血潮というもので、

噴水のように、僕の心を磨いていく。


【おれは、おれを守る! そのために、おれはヒーローになるんだ!】


あの回の、ハルカがリョウスケに出した答え。

カッコいいな。

僕もいつかは。

ハルカのように、なれるのだろうか。


「んね、あんた名前は?」


少年の問い。


僕は、


「3年3組の、階陽嘉」


きざはし、はるか。

これが、僕の名前だ。

初見で読める人は、少ない。


「え? まじ? ハルカっていうの!?」


偶然じゃん!

と、少年ははしゃぐ。


「何が偶然なの?」


僕は尋ねた。

少年は待ってましたと言わんばかりに、息を荒げていた。


「俺、5組の長倉涼介! リョウスケだよ!」



その言葉を皮切りに、初対面の僕と涼介は、あれやこれやと盛り上がった。

言葉を紡ぐのが苦手で、根暗で、

フィクションに恋焦がれていた陰鬱な僕だったけれど、

なぜか、本当になぜか、

涼介の前では、流暢に言葉が浮かんできた。



あの日見上げた青い空は、

間違いなく、美しかった。



「……なんてこともあったよね」

時は経過し、僕たちは高校生になった。

映画制作部。ここが今の、僕たちの活動拠点。

「まじであの出逢いはドラマチックだったわ」

あははは、と笑う涼介。

リョウスケとは真反対の、長倉涼介。


「てかてか、早く脚本書かねえと! 撮影に間に合わないって!」

「だな。思い出話はまた後で」


映画制作部には、5人の部員がいる。

人手がとにかく足りないけれど、

僕たちは今、初めての作品作りに、取り掛かっている最中だ。


今日も僕は、物語を書く。

僕が、僕を守るために。


いつだってフィクションの世界に、飛び込んでいくために。


境界線は、自分で創る。

そう、決めた瞬間から、


僕の鼓動は、始まっている。


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ブラッディ・ブルー 言の葉綾 @kotonoha_life

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