第4話 魔神戦争編 2

第四話:黒雷の咆哮(魔神戦争の記憶2)


ノービ島東部、ブートレッグ城まで20キロ。


空は裂け、地は呻き、魔神の咆哮が戦場を震わせる。その絶望的な響きは、聖シュー王国の神官スティック率いるカゴメ小隊、ミノの王子ハクライが率いる決死隊が陣を敷く最前線まで届いていた。しかし、その中央に、周囲の喧騒すらも霞ませるかのように、ただ一人、揺るぎない覚悟を秘めた男が立っていた。その名はサビ。後にサン帝国を築き上げ、魔神戦争を勝利に導いた三英傑の一人に数えられることになる、若き日の勇者である。





サビは元々、ノービ島東部を拠点とする名もなき傭兵の一人に過ぎなかった。しかし、東部を跋扈する魔女マモウの残虐な暴力と、それに苦しむ人々を目の当たりにし、義憤に駆られた彼は、仲間の傭兵たちと共に立ち上がることを決意したのだ。

彼の故郷である村は、すでに妖魔の侵攻によって壊滅し、愛する家族も非業の死を遂げていた。東部には中央政府の統治が及ばず、ダークエルフやゴブリンといった妖魔が自由に徘徊する魔境と化していた。傭兵にとっては稼ぎ時とも言える状況であったが、魔女マモウの出現により、戦況は圧倒的に妖魔に傾いていた。このままでは、東部、いやノービ島全土の人類滅亡も現実味を帯びる、まさに瀬戸際に立たされていたのである。




長年の傭兵生活で培われたサビの眼は、敵軍の最も脆弱な点、すなわち輜重隊に正確に定められていた。兵站を断てば、いかに強大な軍もその勢いを失い、やがては瓦解する。それは、自らの命を危険に晒す、まさに決死の覚悟を要する戦いであった。しかし、この窮地を脱するには、他に選択肢は存在しなかった。サビの脳裏には、過去の激戦の記憶が走馬灯のように駆け巡る。多くの仲間を失い、幾度となく死線を潜り抜けてきた経験が、彼にこの決断を下させたのだ。冷徹なまでの合理性と、自らの命を賭ける覚悟。それが、サビという傭兵の真骨頂であった。夜の闇に紛れ、少数の精鋭を率いて敵陣深くに潜入する計画が練られていく。静まり返った作戦会議室には、ただ鉛筆が紙を走る音だけが響いていた。



彼は少数の傭兵仲間たちと共に、地形を熟知した地元ならではのゲリラ戦を展開した。老齢の師から託された、漆黒の刀身を持つ暗黒刀ブラックサンダーが、彼の右腕となって妖魔を切り裂いた。斬りつけた相手の生命力を奪うというその妖刀は、連戦に次ぐ連戦にもかかわらず、刃こぼれ一つなく、常にサビを支え続けた。夜闇に紛れて敵の陣地へ忍び込み、補給物資を積んだ馬車を襲撃する。何度も、何度も、彼らは奇襲を繰り返した。




輜重隊を完全に壊滅させるまでには至らなかったが、サビたちが決死の覚悟で飛び込み、暴れ回る間に、仲間の一人が見事な連携で馬車に火を放った。その効果は絶大だった。


軍の行軍速度は、最も遅い兵種に合わせられる。この場合は、動きの鈍いゴブリンかコボルトだろう。それでも本来なら一日15キロは進めるはずの妖魔軍は、サビたちの輜重隊への執拗な襲撃が続いたせいで、二週間もの間、ブートレッグ城から20キロ圏内から一歩も踏み出せずにいたのだ。




それは、サビたちの連勝を意味していた。彼らの士気は高まり、妖魔たちは疲弊の色を濃くしていった。




暗黒刀ブラックサンダーも完全に彼の手に馴染み、まるで体の一部であるかのように操れるようになっていた。連戦によって鍛え上げられた彼の体のキレはさらに増し、妖魔を斬り伏せる速さも格段に上がっていく。ある時、彼らが襲撃した輜重隊は、これまでになく激しい抵抗を見せた。

よほど大事な荷が積まれていたのだろうと、サビは直感した。しかし、どんな抵抗もサビたちの敵ではなかった。違和感はあった。「火のついた馬車を、なぜ妖魔が命懸けで守り続ける意味があるのか?」理解できない疑問が頭をよぎった。

しかし、激しい戦闘が分泌させるアドレナリンは、その疑問を「今は無視しろ」と叫んでいるかのようだった。今はただ、目前の敵を討ち、できることをやるだけだ。

鍛え抜かれ、肥大した筋肉は、熱戦の中でより大きな熱を発し、革鎧の中にこもってサビたちをオーバーヒートさせる。その時、かすかに、仲間の斥候が叫ぶ声が聞こえた。

「囲まれているぞ!」

次の瞬間、あちこちから弓弦を弾く音が響き渡る。身体能力の低いゴブリンの弓など大したことはないが、その数が膨大だ。中には、闇に紛れて正確な矢を放つダークエルフの引く強弓も混じっているかもしれない。

「退け! 血路を開け!」

それが仲間の声だったのか、それとも自分が叫んだのかさえ分からないほどの混乱の中、サビはひたすらに走った。走り、走り、斬り、斬り、そしてまた走る。妖魔の群れをかき分け、仲間を探し、ただひたすらに生き残るためだけに、彼は必死に足を動かした。


気づけば、サビは息も絶え絶えに地に伏していた。周囲には誰もいなかった。仲間たちの姿はどこにも見当たらない。酸欠で紫になった唇から熱い吐息が漏れる。ただ、生き延びた代償は、かけがえのない仲間たちだった。


「くそっ!」


彼の胸の奥に残ったのは、仲間を置き去りにしてしまったことへの深い罪悪感と、ふつふつと湧き上がる後悔の念だった。妖魔にも知恵のある者がいる。当たり前のことだ。戦場ではマヌケから死んでいく。その鉄則を、彼は勝ち続けた慢心ゆえに忘れていたのか。あるいは、妖魔への憎悪が、彼の判断を鈍らせていたのか。


しかし、サビたちの命を懸けたゲリラ戦は、決して無駄ではなかった。


妖魔軍が足止めされている間に、遥か南のミノでは、ハクライ王子が決死隊を30人集め、ついにブートレッグ城へ向けて出陣していた。聖シュー王国では、女性神官スティックが、信仰に篤いカゴメ軍の小隊と共に動き出していた。そして、建国間もないノービ中央の国、ビシュウからは、空手の達人である不惑の武人、シブイチが派遣された。


サビは知らなかった。しかしその頃、サビの孤高の戦いが、遠く離れた各地の人々の心に希望の火種を灯し、眠っていた英雄たちが次々と動き出していたのだ。彼の見えないところで、運命の歯車は確実に動き始めていた。


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