意味をください

@MeiBen

意味をください

 世の中にはたくさんの意味が転がっている。本屋に並ぶ膨大な量のタイトルを見て思う。世界はこんなにも意味に溢れている。資格試験のために参考書を買いに来て、資格系の書籍が集まる本棚に足を運んだ。自分の目当ての本を探す前に、他の資格の種類に驚く。この棚だけでも数十種類の資格に関する本がある。本棚はまだ他にもいくつもある。オレの求める本はこの膨大な本の中の一部だ。オレが取ろうとしている資格には意味がある。いや、意味があるはずだ。意味が無いものに資格が必要か。意味が無いものを皆が求めるだろうか。それについての本が売れるだろうか。意味があるからだ。意味があるからこれらの本はこの本棚の空間を陣取ることを許されている。意味があるからだ。この本以外の本にも意味がある。この本屋の棚にある全ての本に意味がある。単純な演繹だ。棚に並ぶタイトルを見まわすだけで目が回りそうになる。意味の海に溺れる感覚。意味の森の中に取り残される感覚。どうしようもなく不安になる。なぜだ。なぜオレは不安になる。何を不安に思う。なぜオレは資格の本を買いに来たのか。それを買って読むということはどういうことか。明確だ。それを取り込むということだ。意味を取り込むということだ。その本棚に置かれるという明確な意味を持つ本をオレの中に取り込む。そうすればオレは意味を持つ。オレの中にその本があるのなら、その本の意味はオレの意味になる。オレが存在する意味になる。少なくともオレは本棚の一角を陣取っても良いということだ。でもそれは一角だ。それだけでいいのか。陣地をより広げないといけないのではないか。他の資格もとらないといけない。資格だけでよいのか。他の本棚にも意味を持つ本が並んでいる。もっともっと意味をとりこまないといけない。オレの中に意味を取り込まないといけない。それはオレの外にあってはいけない。オレの中にないといけない。オレという人間の外に意味を持つものがある恐怖。本屋の中で感じる不安。意味への不安。突き詰めて言えば、自分の意味への不安だ。オレという人間の意味に対する不安。意味に溢れた場所にいて、自分の意味に確信を持てなくなる。オレはここに居てもいいのだろうか。この意味に溢れた空間にいるにふさわしい人間か。高級な料理店に入るにはドレスコードがあるそうだ。着ているもの。それが高級な店で食事するにふさわしい人間であることの証明。オレはそれを着ているだろうか。


 オレは資格の本を二冊買って店を出た。帰りの電車の車内。ここでもオレは電車の一角を占める。目の前に若く美しい女性が立つ。女性はオレを一瞥する。オレも女性の眼を見つめる。一瞬見つめあい、女性は心底つまらないものを見たという表情になり、手元のスマホに目を落とす。オレはまた不安になる。オレはここに居てもいいのだろうか。混みあった電車の一角。ここに居てもいいのだろうか。気持ち悪くないか。臭くはないか。オレの存在が気分を悪くしないか。


 しばらくして電車が目的の駅に着いた。オレはなるべく足元だけを見て電車を降りる。駅の改札を通り、アパートとは逆方向、川岸を目指す。分かってる。たまにそうなるだけだ。たまにそうなる。些細なきっかけで自分を肯定できなくなる。今日はたまたまそんな日だってだけだ。歩きながら考える。オレが社会の中に居るために必要なこと。社会の中に居ることを許してもらうのに必要なこと。必要なこと。臭くないこと。気持ち悪くないこと。みすぼらしくないこと。異常であると思われないこと。お金を持っていること。皆と同じであること。皆と同じであろうとすること。川岸に着いた。オレは土手のいつもの場所に座って、夜の川を眺める。ただぼおっと眺める。無意味な時間。無意味なオレの無意味な時間。他人に見られてはいけない。怖がらせてしまうかもしれない。誰かが通りかかると息をひそめる。オレが居ることを知られたくないから。仮にこの場所が誰かの特別な場所だったとしよう。例えば恋人からその日、この場所でプロポーズをされたとか。そんな特別な場所。特別な時間。そこにオレが居てもいいのか。いいはずがない。意味のないオレの意味のない行為。そんなものが他者の意味を害してはいけない。幸い今日は誰もいない。新月でとても暗い。暗闇がオレを隠してくれる気がする。意味のないオレを隠してくれる気がする。オレの身動きに応じて手に持った本屋のビニール袋がカサカサと音を鳴らす。意味が音を鳴らす。この袋の中には意味がある。オレはこれからそれを取り込む。そうすればオレは意味を持つ。そうやって意味を取り込んでいけば。どんどん意味を取り込んでいけば。そんなオレは居てもいいだろ。意味があるんだ。意味を取り込んだオレには意味があるんだ。居てもいいだろ。オレはここに居てもいいだろ。


 ガキの頃に歌った賛美歌を思い出す。意味も分からず歌っていた。慈しみ深き主はオレ達の罪咎を取り去って死んだ。だからオレたちは主に感謝して精いっぱい正しく生きなければならない。そう教わった。素直なオレは言われた通り生きてきた。正しいとされることをして生きてきた。規則を守り生きてきた。良い大学を卒業し就職した。でも就職先で無能を晒した。晒し続けた。周りの視線に耐えられなくなった。出社できなくなった。会社は辞めた。しばらく振り返ることはできなかった。ようやく自分を振り返ることができて、分かったことがあった。無能に居場所はないってことだ。分かっちまえば簡単だ。無能をやめればいい。無能をやめるには意味を持てばいい。オレがすべきことはただそれだけだった。いや、オレはちゃんとそれをやってきた。規則通りに生きることは敬虔であるという意味をオレに与えたはずだ。ただ場所が変わったせいで、その意味が意味をなくしただけだ。分かったんだ。ここに居るために必要な意味。必要なチケット。そいつをオレは取り込まないといけない。だってオレはここに居たい。室内で育てられた飼い犬と同じ。ここ以外で生きられる術を持たない。ここ以外で生きられる心を持たない。尻尾だって振るさ。愛想だって振りまくさ。だからここに居させてください。オレの心はキャンキャンと泣きわめく。オレは買った本を抱きしめる。早く取り込めるように。早く取り込めますように。


 夜空に一筋、星が流れる。オレは祈る。


 オレに意味をください。


終わり

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