第7話 囚われの王国
呪いと聞いて、ノクティアは少し前まで見ていた悪夢を思い出した。
「母が死に際に国全体を呪っていたけど、あれは現実だったのね……」
隣国の王子まで呪いの対象になったということは、つまり。
「眠り姫を目覚めさせたのが、この国の王位継承者であるシャルム王子なんだ」
魔法使いの説明は予想通りで、成程と頷く。自分が眠っている間に、主人公の能力をも覆す事態が起こっていたようだ。
「生憎だけど、私は書き換えで生き返ってからすぐに自分を呪ったの。その後どうなったかなんて知らないわ」
「それについては今から話す。一旦聞いてくれないか」
期待に沿えないことをはっきり告げたが、食い下がられてしまうと弱い。特に望んだわけではないけれど、彼に命を救われたのは事実だ。大きな借りがある以上、無碍にはしにくい。体調も回復してきた今、他者にこれ以上付け入る隙を与えたくなかった。
「……そうね。私も母のことが気にならないとは言えないし」
「ありがとう。書き換えについては貴方も知っているだろうから、その影響から説明する」
仕方なく先を促す魔女に礼を言うと、リヒトは一つずつ話し始めた。
「まず、姫が物語を改変した結果時空にズレが生まれた」
姫の目覚めが早められたことで、王子は百年後ではなく数ヶ月後に現れなければならなくなった。
「本来無関係だったこの時代の王子が、登場人物に選ばれたということ?」
百年も前倒しになれば、当然配役も変わるだろう。ノクティアはそう推測したが、現実では比較にもならないほど大規模な書き換えが行われていた。
「いや、改変前に姫を救ったのもシャルム王子だ。物語が始まる前の百年間、あの国の歴史は空白になっている」
「は?」
リヒトの説明を理解するのに数秒かかった。あの百年が、なかったことになっている?
「変わったのは、登場人物ではなく時代そのもの。姫が眠っていた時間が短縮された分、国ごと未来に転生させられたような状況にある」
元の時代まで巻き戻されたと思っていたが、実際は未来で物語を一からやり直していたという。魔法でも時を操ることはできないのに、そんなことが可能とは信じられなかった。
「待って。それが本当なら、姫が生まれる前から生きていた人はどうなって……」
半ば混乱しながらも、ノクティアが疑問を呈する。百年の空白が生じたなら、前の時代に取り残された者もいるのではないか。
「物語に直接関係する人物……その中でも最年長の国王が生まれた頃から、時代のズレが発生している。それ以前からいる国民には、適当な記憶が補完されているらしい」
淡々と答えてはいるが、リヒトの表情も硬い。世界の根底を揺るがしかねない改変に、この魔法使いにも思うところがあるのだろう。
「どこまでも主人公優先な世界なのね。脇役の人生を奪おうが問題ないってわけ」
馬鹿にするのも大概にしろ!
湧き上がる怒りに任せ、ノクティアは手を強く握り締めた。爪が食い込んだ切れそうな手のひらを、リヒトが慌てて開かせる。
「確かに不条理なことだが、話はこれで終わりじゃない」
不服そうな魔女に、彼は続きを語って聞かせた。本題はこの先にあるからだ。
「蘇った王は、愛娘を呪った魔女への復讐に燃え……姫や妃の説得も無視し、大軍を率いて魔女に挑んだ」
いよいよ呪いの中で見た景色に繋がるのかと思いきや、その間には更にノクティアの心を逆撫ですることが起こっていた。
「案の定と言うべきか、王は魔女に敗れ戦死した。家族との平穏な生活を諦めきれなかった姫は、ここで二度目の書き換えを行ったんだ」
王が邪悪な魔女を討ち取り、皆幸せに暮らしたという筋書きに。
「何それ……。魔女に全ての罪を背負わせて、戦争を仕掛けた王は何の責任も取らないってこと?」
やり場のない憤りが込み上げ、声が震えた。主人公側にいる人間は何をしても正当化され、一度悪役にされた魔女は最後まで救われない。悪役や脇役の事情を知ろうともせず踏み躙る『主人公』が正義だなんて、碌でもない世界である。
「だからこそ魔女は、最後の力を振り絞って呪いをかけたのだろう。主人公に一矢報いるために」
リヒトにも、彼女の気持ちに共感する部分はあった。それでも、あの呪いは報復の限度を超えている。
「『永遠の幸せ』を贈られたあの国は、最も幸せな一日……戦勝と姫の婚約を祝った日を、無限に繰り返すことになった」
国民の意思に反して動く身体、来る日も来る日も開かれる祝勝会。同じ行動と台詞を強制され、表情までもが機械的に再現されていた。あんな毎日を送り続ければ、人の精神は崩壊する。
「姫との婚約を知らせる書簡が届いてから、王子と一向に連絡が取れなくなってな。様子を見に行って愕然とした」
操り人形と化した主君の姿を思い出し、リヒトは目を伏せる。幸せなはずの出来事は、彼らにとって既に苦痛へと変わっていた。
好き勝手してきた王たちだけでなく、自分まで巻き込まれるところだったと気付いたノクティアは、身内ながら行き過ぎた執念に吐き気がした。
「私が母の呪いを受けなかったのは、既に自分の呪いにかかっていたからか……」
同時に二つの呪いにかかることはなく、呪いを上書きするには元の呪いより強い魔力を注がなければならない。深い眠りに堕ちていたノクティアだけは、国中に広く薄くかけられた呪いを跳ね返すことができたのだろう。
「そもそも実の娘は対象から外していたのでは?」
「私を捨てた女がそんな情けをかける筈ない。母親らしいことなんか何一つしてくれなかったんだから!」
部外者の見当違いな意見に、つい声を荒らげてしまった。普通は母が子を守るものだと突き付けられたようで、苛立ちが倍増する。
「娘なら呪いの解き方も知っていると考えたんでしょうけど、残念だったわね。あの人が命と引き換えに放った魔法なんて、私には知りようもなかった」
早口で捲し立て咳き込むノクティアを、リヒトは咄嗟に介抱しようとした。しかしその手すら、彼女に払われてしまう。
「もう私に構う理由はないでしょう。感謝はしてるけど、あなたには協力できない」
弱い力ではあるものの、明確に拒絶の意思が込められていた。青年は必死にかける言葉を探したが、何を言っても彼女を傷付けそうな気がして。
「無神経なことを言って、すまなかった」
迷った末に謝罪だけを伝え、リヒトは診療所を後にした。
虐げられた闇の魔女はハッピーエンドの夢を見る 悠那 @Youri1115
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