最終話 一歩
照明が焚かれた一角では、カメラマンや関係者が姉貴を囲んでいた。
撮影用アンブレラが時折柔らかくも強烈な光を放ち、姉貴を別人のように照らし出す。
普段は見せないプロとしての表情、モデルの顔をしている時は別世界の住人なのだと嫌でも意識させてくれる。
「星咲、ここからで——」
話しかけ始めた言葉を、自然と飲み込んだ。
俺の声が届いていないことは、その表情を見れば疑う余地はなかった。
星咲が姉貴に向ける眼差しは真剣そのもの。
ファンとして、憧れの的として、目を輝かせているのではないことくらい俺でもわかる。
「星咲さん、素質あるわよ」
横に立っている佐伯さんが、ポツリと呟いた。
それくらい俺にだってわかる。
誰よりも間近で姉貴を見てきたんだから。
「あるでしょうね。姉貴と似てる部分も多いですよ」
「あら、五葉松クンはよく星咲さんを見てるのね」
「その名前を強調するのやめてもらえませんかね」
佐伯さんはクスッと笑って「ごめんなさいね」とだけ答えた。
こうなるのもわかってて、姉貴はこんな名前をつけたんだろう。
あとで文句を言ってやらないと。
「はーい、それじゃあ十分休憩入りまーす」
どこからか聞こえた声によって、さっきまで張り詰めていた空気が一変する。
静けさの中にあった触れてはいけない緊張の糸、それが一瞬にして弾け飛んだように、全員から一様に気が抜けた声が漏れた。
「はぁーお疲れさま」
「やっと休憩だぁああ」
「トイレトイレッ!」
今まで統率が取れていた軍隊とすれば、今は各自ただの傭兵のように好き勝手に動き回り始める。
その中に姉貴がいた。
俺と目が合っても、肉親へ向ける目じゃないのは流石だ。
「星咲さんいらっしゃい。ゆっくり見ていってね」
「お疲れ様です。凄い空気で圧倒されちゃいました」
「こんなのすぐに慣れるわよ——それよりも」
星咲と軽く会話を交わした姉貴が、ゆっくりと俺の方へ歩いてくる。
他人のふりをしてはいるが、その目は明らかに笑っている。
嫌な予感しかしないんだが。
「えーと、キミはどちら様?」
どうせ名前を言わせたいだけだろう。
姉貴らしい考えだ。
「はじめまして、五葉松です」
「五葉松君ね。どうしてここへ来たの?」
どうしてだと?
冗談にしては姉貴の目は満足していない。
いたずらにしては周りの注目も集めすぎてるし、一体何を考えてるんだ……。
「友人なので付いてきたんですが」
「そうなの? こんな場所に一緒に来るから、てっきり星咲さんの彼氏かと思っちゃった」
いきなり何を言ってるんだ……。
星咲が目立っているのはわかるけど、ここにいる連中に対する牽制にしてはちょっとやりすぎだぞ。
「本当はLinnさんのファンなんです。握手お願いできますか!」
この場を乗り切るにはこれしか思いつかないッ!
姉貴の右手を取り、かなりキツめに握りしめる。
到底女性に向けていいレベルの力じゃない。
「——手が赤くなっちゃうでしょ」
姉貴は笑顔のままで俺にギリギリ聞こえるレベルの声で囁く。
「——これでも加減はしてやってるんだよ。姉貴がつまらないことを言ったのが原因だ」
片手でしている握手に対し、姉貴は反対側の手を重ねてきた。
答えは簡単——つねるためだ。
誰からも見えない逆側の手で、握手している手の甲を思い切りつねってきやがった。
「こんな場所に異性の、それもただの友人なんて連れてくるわけないでしょ。モテる弟は好きだけど、煮えきらないのは嫌いなの」
姉貴の職場なんだから、俺はただの友人でもないだろうが。
何をわけのわからないことを言ってるんだ。
というか、姉貴は星咲から何か聞いてるのだろうか?
姉貴は握手を大げさに振りほどき、自由になった手を軽く振る。
「男の子のファンは力加減がわからなくて困るわね。もう少し空気を読めるようになってもらわないと」
周りに聞こえるように、あえて大きい声で言っているように聞こえる。
だが、俺を非難するその言葉によって、スタッフの目が俺に突き刺さってくる。
まあこれだけやれば、完全に他人と認識してもらえるだろう。
実際はそれ以上のヤバいファンになってる可能性大だけど。
「仕事モードの小夜子は、結構攻撃的になるから注意が必要よ。まあ五葉松クンがちょっと鈍感すぎるのも問題だと私も思うんだけどね」
佐伯さんは俺の耳元で囁くと姉貴のところへ飛んでいった。
俺が鈍感すぎる——どういうことだ?
姉貴も、俺のことを煮えきらない男のように言ってるし。
「真千……、五葉松君大丈夫? Linnさんの言ったことなんて気にしなくていいから!」
星咲はいつもよりほんの少しだけ硬い笑顔を向けてくる。
星咲にも姉貴の言葉が聞こえてたみだいだな。
「星咲は真剣にモデルになろうと思ってる、と受け取っていいんだよな?」
「……うん……自信はないけど」
まだ揺れてるわけか。
この世界は私生活を犠牲にしないといけないし、モデルになれたとしても憧れだけで続けていくにも限界はある。
「今回は姉貴の職場だから俺はついてきたけど、それ以外はついていく理由がない。実際さっきの姉貴からみたいな扱いを他の奴からされかねない。一度や二度までなら許されても、毎回俺みたいなのを連れてくれば星咲もいい目じゃ見られないからな。ただの足枷になるのは目に見えてる」
「そんな理由なんていらないじゃん。私は全然気にしないし、付いてきてほしいからお願いするだけだし。——でも真千田君は気にするよね……やっぱり嫌だったりする?」
星咲が不安げな表情で見つめてくる。
今まで見たことがない表情で、思い詰めている感情が伝わってくる。
……こんな表情をさせているのは俺なんだろうか。
星咲には、できればこんな表情はしてほしくない。
「俺は気にしないし、もし星咲がそのハンデを背負う覚悟で俺を誘うのなら——俺は、応えてもいいと思ってる」
「ありがと。でも、モデルになっても小夜子さんみたいに他人のふりしないでよ」
「モデルになってからも誘うつもりなのか。まあ姉貴は別だから気にするな」
「ふふふっ、よかった」
星咲の顔からさっきまであった緊張の色が消え去っている。
その笑顔を見ていると、こちらも自然と笑みがこぼれてしまった。
「また撮影が始まるみたいだぞ」
「しっかり見て勉強させてもらう」
「ああ、ここに来たのは、何でも経験して自分の糧にするためだからな。姉貴からいくらでも盗んでやればいいさ」
これから星咲がどうなるのか、側で見届けるのもいいかもしれない。
様々な困難にぶつかり、挫折し、挫けそうになることもあるだろう。
でも星咲ならきっとそんな壁を乗り越えていけると思う。
もし一人だけじゃ乗り越えられない困難が訪れたら、その時は俺が手を差し伸べてやれるように。
強面高校生、優しさバレして学園のヒロインたちが急接近してきました。 カラユミ @karayumi
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