第18話 古音呼祭

 緞帳が下りていても観客がどんどん増えているのが、気配や話し声で伝わってくる。

 舞台は中心から左右二つに分けられ、観客席から向かって左側が野獣の住処に固定され、右半分が場面によって変わることになっている。


「小道具というレベルじゃないな……」


 野獣用に用意されたセットはどれも本物で、椅子もふかふかの革張りだ。

 木製のテーブルもビンテージものだろうし、グラスも銀食器だと思われる。

 本格的すぎて観客も引くんじゃないのか。

 緞帳が徐々に上がってゆくが、俺が座っている野獣の住処は別の布で目隠しされたままだ。


「意外に緊張はしないもんだな……」


 ナレーションが始まり、野獣がやった偉業や呪いについての説明がされてゆく。

 そして隣ではメインである儀式についての会話が始まった。

 娘役四人が今までの儀式のように花を置いて感謝を伝えるだけではダメだと、自分たちが野獣に直接手渡すと意気込みを語る。

 そこで一度照明が落ちた。

 次はこちらに照明が当たり、布が取り払われる。

 俺の番だ。


「今年もとうとうこの日がやってきてしまった。どうして人々は私を独りにしてくれないのか。魔女の手から街を救い、呪いまで受けた私に対し、化け物を見るような目を向けてなお、こんな茶番を繰り返して何の意味があるのだ」


 銀のグラスを握りしめ、飲み干す演技をする。

 勝手に体が動く感覚、観客など全く目に入らない。

 それでも俺の姿に驚いているのだけは伝わってくる。


「私が愛していた、こんな姿になっても私を見続けてくれた女性、だがその名前など疾うの昔に忘れてしまった。結局は裏で男を作り、野獣の姿になった私のことを捨てた女でしかなかった。人間の心は醜く弱い、それはこの姿になって初めてわかった。私自身人間を拒み、信頼することなどなく、無駄に時間だけを費やしてきたのだから。二度と誰も訪れないように、目の前で花を踏み潰してやろうか」


 力なく椅子に腰を下ろすと場面が変わる。

 裏方もしっかり決まり事を守ってくれて順調に進む。


「ここが野獣さんが住むっていうお屋敷かあ。大きいわあ。ほんまに野獣さんおるんかいな」


 トップバッターは花楓か。

 なかなか個性的な演技にさっきまで強張っていた観客がリラックスしだしたな。

 中にはクスクス笑っている者さえいる。

 これは演技どうこうよりも、演目と訛りのチグハグ感がおかしいのだろう。


「野獣さん聞こえてますかあ? お花持ってきたんやけど受け取ってもらえへん?」


 ここからは即興劇の醍醐味だな。

 掛け合いを楽しむとしようか。


「私にはセドリックという名がある。名すら忘れてしまった恩知らずならさっさと帰れ」


「セドリックさん言うんやね。そんな怒らんと花受け取ってもらえへんやろか?」


「いつものように置いていけばいいだろう。人間の顔など見たくもない」


「何や短気なんやね。お腹でも減ってるん? それやったら料理得意やから美味しい料理持ってきたるわ。お礼はいらんから、その代わり一緒に花を受け取ってなあ」


 花楓はそれで引っ込んでいった。

 ここは一旦俺の独白を入れておくか。

 椅子から立ち上がると薄暗くなり、俺にだけスポットライトが当てられる。


「今年は変な娘がやってきたな。だが帰ったようだしこれで暫く平穏な時間が訪れるだろう」


 再び観客席から笑いが起こる。

 椅子に再び腰掛けた途端、今度は大河の声が響いた。


「セドリックさん、あたしが摘んだ花はいりませんか。街を救った英雄に直接お渡ししたいのですが」


「私が受け取らないことを知らないのか。屋敷の前に置いてさっさと帰るがいい」


「そんなことを言わずに直接受け取ってください。あたしの気持ちを伝えたいんです」


 大河は何の捻りもないのか、ド直球で勝負してきたみたいだな。


「今までそんな人間を五万と見てきた。しかし、すぐに私の姿に怯え、同じ人間としては扱わなくなるのだ」


「あたしは神に誓ってそんなことはしません」


「神などいない。私がこんな姿になっても何一つ救いの手を差し伸べてはくれなかったのだ。信仰など疾うの昔に捨て去ったわ」


 大河はこれで終わりか。

 ハッピーエンドで終わるかバッドエンドかは娘役の工夫次第だ。

 俺が納得できるものでなければ花は受け取るつもりはないんだから。


「だったらあたしの顔を見て言ってください。あたしが信用できなければその場であたしを食べればいい」


「私を何だと思っている。人間を食べる趣味などない。姿が野獣になろうとも心まで野獣になった覚えはない」


「だったらあんたは人間だ。人間なら分かり合えるとあたしは信じてる。今日の所は一旦引き下がるけど、次に来た時には一緒にダンスを踊ろう。心が人間ならきっと通じ合えるはずだから」


 ダンスだと?

 ……本当にやる羽目になったら俺は踊れないぞ。

 それよりも大河は踊れるのか?

 このまま大河の申し出を受けると俺が恥をかく羽目になってしまう。


「私が認めるレベルに達していればな」


 絶対認めないからな!

 どんなダンスを見せられても、流石に認めてしまっては野獣が崩壊してしまう。

 独白で少しそのへんをカバーしておくほうが自然か……。

 椅子から立ち上がって独白の合図を出した。


「今年はどうなっているんだ。次から次へと変な女ばかりやってくるじゃないか。ダンスなどと、私が踊れないことを承知で誘ってきているとも考えられる。恥をかかせるつもりなのか」


 観客からどっと笑いが起きた。

 まあこれはこれでいい。

 とりあえずこれで俺が踊れないということ前提で話を進められる。


「ここがセドリックという名の野獣が住む屋敷かぁ。思っていたより小さいんだね」


 俺が座る前にもう華野鳥が登場してしまった。

 裏方との連携か、それともわざとなのか難しいところだ。

 とりあえずこちらもこのまま演技を続けてやろう。

 隙間から外を覗くような姿勢を取ると、華野鳥がいたずらっぽい笑顔を向けてきた。


「セドリックさん、わたしの花を受け取ってくれないかな? 受け取ってくれたらこのお屋敷を新しく建て直してあげますよ」


「お前何者だ? 町娘風情が建て替えるとはどういう意味だ。それに花を受け取ってお前に何のメリットがあるのだ。損しかないではないか」


「わたしはあなたに花を受け取ってほしいだけかな。建て替えはただのおまけ」


 どういう設定の町娘なんだ……。

 華野鳥がどういう人物か知ってる生徒は納得し、知らない保護者たちは若干引いてるじゃないか。


「そんな戯言を信じろと? 私が私利私欲のために花を受け取ると思っているとは……ナメられたものだな」


「ナメたつもりはないかな。わたしはわたしに使えるものなら何でも使うだけ。受け取ってもらえないのなら、傭兵を雇って無理やりでも受け取ってもらうっていう手もあるんだけどね」


「物騒な娘だな。そんな危険な娘に関わるつもりはない。私の前から消えるがいい」


「それは困るかな。今日の所は引き下がるけど、次はセドリックさんが喜ぶようなお土産を持参するから、その時はお花を受け取ってね」


 野獣が喜ぶお土産ってなんなんだろう?

 高級生肉とか生きた豚とかだったらどうしよう……。

 華野鳥ならやりかねないし。


「私に土産など無意味だとわからないのか。土産を持ってきた瞬間に追い返してくれるわ」


 これで大丈夫なはずだ。

 華野鳥には悪いが、こちらの対応が難しくなるものは先手を打たせてもらったぞ。

 一旦椅子に座り、休憩がてら独白を入れようかと思ったが、そうはさせてくれなかった。


「セドリック、あなたが人間を嫌ってる理由は知ってる。だけど、本当は人間に避けられるのが怖いだけでしょ。人間に裏切られたからっていつまでも人間を避けてちゃ何も解決しないから。愛した人に裏切られたのなら、私が信じさせてあげる。だからこの花を受け取って」


 間髪を入れず星咲が登場し、今度は説教のような、愛の告白のような真似をしだした。

 観客席から冷やかしとしか思えない「ヒューヒュー」という指笛が鳴る。


「かつて私が愛した女性も同じことを言っていたよ。それでも彼女は私を裏切った! 他に男を作り、私など最初からいなかったかの如く無視した。愛などというものは最も信用ならない、ただの幻想にすぎない幼稚なものだ。ただの小娘にはまだ理解できないのだろうがな」


「そうやって否定し続けて、二度と挑戦しないことが臆病である証拠だって言ってるの。あなたに勇気があるなら私に応えてみせて」


「私が臆病だと? 小娘が私の何を知っているというのだ」


「知ってるわよ。ちょっと見た目が変わって周りから避けられて、こんな屋敷に閉じこもってる引きこもりでしょ。セドリック、あなたの出会った人が世界の全てじゃないの。世界にはもっとたくさんの人々が暮らしていて、きっとあなたを必要としてくれる人だっているんだから」


「こんな化け物になってしまった者を必要としている者などいない! そんな奇跡を夢見るほど世界を知らぬわけでもないわ。とっとと帰れ!」


 どうしてだろう……星咲の言葉がやけに胸にぐいぐいくる。


「容姿がそんなに気になるんなら、私が盲目になれば文句ないわけ?」


「誰もそんなことは言っていない。できもしないことを口にするなよ」


「そのできないことができたらこの花を受け取ってくれるってことだよね? 見えなくなったらセドリック、あなたに責任取ってもらうんだから覚悟してよ」


「ちょっと待て、早まるんじゃあないッ! 責任を取るなんて約束は絶対しないぞ」


 というかこんなところでそんな真似をされたら、他の三人の出番が終わっちまうだろ。


「ん?」


 俺が思っていることを察したのか、花楓が出てきた……やりたい放題だな。

 それも両手に抱えてるのは鍋じゃないか。

 裏で作っていた鍋をそのまま持ってくるとは——やるじゃないか。


「約束通り料理持ってきたで。おでんて言うんやけど、美味しいでえ」


 この西洋的な世界でおでんか!

 観客も笑いを押し殺すことなく、普通に笑ってしまっている。


「おでんだと? 聞いたこともない奇妙な食べ物を持ってきたものだな」


「初めて食べるもののほうが興味が湧くやろ? それにセドリックさんは野獣で猫舌やろうから冷ましてきてるねん」


「そりゃ気が利いてるじゃないか——と、そんなことはどうでもいい。毒が入っているとも限らんだろう」


「ホントあなたって人間を信用してないよね。毒なんて入ってないって。ほら、これメチャクチャ美味しいよ」


 なぜか星咲が味見をしてしまっている。

 観客も変に盛り上がり、俺が出ていかないのがおかしいかのような空気ができつつある。


「あたしのことも忘れてないよな! こんなに上等なドレス着てきたんだから」


 今度はドレス姿の大河が慌てて出てきた。

 青く澄んだドレスはおそらく本物で全然安っぽくなく、最初からこの流れで着てくるために用意していたものとしか考えられない。

 これも華野鳥が何かあった時のために用意していたのかもしれないな。


「セドリックさんは強情なんだね。わたしもお土産を持ってきたから受け取って貰えるかな?」


 華野鳥が持ってきた土産、それは裏方だと思っていた連中まで駆り出しての数の暴力。

 最低限の裏方以外全員に衣装を着せ、街の住人全員を連れてきたというシチュエーションか。


「私どもは見た目など気にしません。街を救ってくださったセドリック様と共に生きていきたいのです」


「そうだ、俺達は見た目なんて気にしねえ! 呪いなら解く方法を探そうぜ!」


 孤独な野獣に足りないもの、それは勇気とそれを後押ししてくれる仲間。

 そのきっかけになりうるシチュエーションを全て揃えてきている。

 これはこのままハッピーエンドで終わらせるための布石となるか——それともバッドエンドへと進む入口なのか。


「その人数全て……私を怖れないというのか。面白い。ならばもし私を怖れる者が一人でもいれば、お前たち全員八つ裂きにしてくれる。異論はないだろうな」


「「「「「………………」」」」


 一部の奴らの感情が凍りついているのが手に取るようにわかるぞ。

 このままなら全員八つ裂きエンドになってしまう可能性が存在していることは観客も感づいている。

 観客の中に目を背けている者が何人かいるのがその証左だろう。

 だが、ここで引き下がるわけには行かない。

 舞台の真ん中を隔てている扉の取っ手に手をかけ、ゆっくりとその扉を開いた。


「私を見ても何も感じないかどうか——!? んん?」


 ガタガタと天井から音がしたと思ったら舞台全体が揺れ出す。

 同時に体育館全体から悲鳴が上がり、一瞬にして体育館全体が激しく揺れだした。


「地震だッ! 全員落ち着いて頭を守れ!」 


 誰が叫んだのかわからない。

 しかし、頭なんて守っていられる余裕なんてどこにもないのだ。

 立っていられない揺れに、舞台のクラスメイトが全員床にへばり付くようにしゃがみこんだ。


「震度五はあるか……」


 俺も片膝を突いて周りに危険がないか注意することくらいしかできない。

 舞台には倒れるものがあまりに多すぎて、正直何に注意したらいいのか混乱してしまう……。

 ガタガタと激しく揺れる頭上の照明に視線を向けた瞬間、それは起こった。


「キャァーーーー!」


 星咲が叫ぶのと同時に俺は駆け出していた。

 照明が落下し、ちょうど星先の頭上に落ちていく所だったのだ。

 周りには大勢の生徒、舞台下にも観客がいることを考えればそちらの方向には落とせない。

 舞台奥に向かって右足で思い切り照明を蹴り上げた。


「痛ッ!!!!!!!!」


 地震の揺れによって起きている音でかき消されてはいるが、照明がとんでもない音を立てて壁にぶつかった。

 何にしてもLEDの軽量タイプの照明器具で助かった。

 これがハロゲンタイプだったら重量はこんなものじゃなく、落下しているものを蹴り上げるのは無理だっただろう。

 まあそれでも右足に尋常じゃない痛みが走る。


「地震はおさまってきたか……」


「ありがとう真千田君! でも足大丈夫?」


 ゆっくり地震がおさまったところで、目の前の星咲が俺の足を心配しだした。

 折れてはいないだろうし、そこまで心配する必要はないんだが。

 他のクラスメイトは何が起きたか理解できていないようで、黙って見守るだけだ。

 俺の様子を気にしてか、緞帳が下り始めて演劇は強制終了という形を取ったようだ。


「そこそこ痛いが骨には問題はないはずだ」


「無理しすぎだって。みんなも驚いてるじゃん」


 こんな動きができるのを知っているのは星咲くらいだし、クラスメイトが困惑するのも当然といえば当然か。


「とりあえず保健室行こ! ほら、私の肩に掴まって!」


「一人でいけるから大丈夫だぞ」


「ダメだって! 無茶して悪化したら目も当てられてないじゃん」


「そうやでえ。最初は興奮してて痛みもわからんもんやねんから。早く診てもらったほうがええよ」


 花楓が星咲を後押しするような発言をしているかと思えば、大河が跪いて俺の右足の甲を指で押さえて怪我の具合をチェックしだした。


「確かに折れてはないみたいだけど、放っておいたら腫れるだろうから早く冷やしたほうがいいのは間違いないよ」



「わかったわかった。大人しく治療しに行くから」


 クラスメイトに見守られながら保健室へ行くことになってしまった。

 確かに痛みはあるが、俺の経験則ではこの程度数日もすれば気にならないレベルになるはずなのだが。

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