The 2nd Ride ようやく出会えた、僕を変えてくれるもの。


「いらっしゃい。君はどんな自転車を探してウチに来たのかな? あ、お母様も良かったら中へどうぞ」


 店員さんに声を掛けられて、そういえば母さんも一緒に付いて来てくれたんだと思い出す。そう、地元ではないこの中学校に通うためには自転車が必要だったから、ココで足を止めたんだ。


 でもそのお店は、僕の知っている自転車屋さんとは少し違っていた。正面に飾られていたみたいな、ハンドルの曲がった色とりどりの自転車が並んでいるけど、どれもカゴや泥除けは付いてなくていわゆる『通学用自転車ママチャリ』みたいなのは1台も置いていない。


「ああ、ウチはロードバイクとか……いわゆるスポーツバイク専門店でね。だからこんな感じの自転車しか扱ってないんだけど。興味はあるのかな?」

「……」

「失礼ですけど、ウチは今度高校に通うための『自転車』を探してまして」

 

「ああ、そう……でしたか。じゃあ、そういう自転車を扱ってるお店の場所をお伝えしますんで、ちょっとお待ちください」


 黙っている僕に代わってそう答えた母さんへの返答に、先程までより声のトーンを落とす店員さん。



 違う、そうじゃないんだ! と思って店員さんが後ろを振り向いた所へ、勇気を出して声を掛ける。


「興味は……あります! どうすれば前に飾ってあるヤツみたいなカッコいい自転車に乗れますか!?」

八一やいち、あなた突然何を言い出すの……」


 

 母さんは急な僕の発言に驚いた顔をしていたけど構わない。


 学校に行けなくなってから半年。一緒に遊んだり感想を言い合う仲間も居ないと、それまで楽しかったゲームもドラマも全然興味が湧かなくなった。


 ずっと何をしても楽しいと思えなくなって、何ていうか『空っぽ』みたいな毎日だったんだ。


 それをようやく変えてくれるかもしれない! って思えるものに出会えたのに。それなのに、興味が無いフリをして素通りなんて、出来るワケがない。


 

「お、そうか。さっき表のヤツ熱心に見てたもんな。じゃあ、ちょっと待ってな! 用意してやっから」


 店員さんは笑顔に戻って色々なものを入り口の方へ運び出す。しばらくして呼ばれたので店先まで戻ると、そこにはタイヤを固定して台の上に置かれたその自転車があった。

 

「君はコイツが気になったんだよね。どう? 試しに跨ってみる?」


 そう言って低い脚立に上がるように案内してくれたので、促されるままに脚立からサドルに跨ってみる。


 でもサドルの位置が高すぎて片足はペダルに付かないし、なんとかハンドルに掴まるも、ほとんど自転車にうつ伏せでしがみ付いているような格好になってしまう。


 まるで自分では操れない大型動物の背中にでも乗っているような感覚だ。こんなの、どうすれば……

 

 

「今の君には大きすぎるって事だよ、少年。ロードバイクってのは見た目の好き嫌いよりも、きちんと自分の体格に合った機体ヤツに乗る必要があってな。コイツに乗りたければ少なくとも身長が170cmぐらいは必要だ」

「え~そんなぁ」


「でも続けているうちに身体も大きくなるし乗り方も掴めるようになれば、乗れるようになる日は来るかもしれないから。それまでロードバイクを好きで乗っていてくれれば、だけどな。じゃあ、今度はこっち」

 

 そう言って台から僕が降りた自転車を降ろし、後ろに置いてあった違う自転車を台に載せ換える。


 

 今度のはさっきのやつと形は同じだけれど、2回りぐらいサイズが小さい白地に青い差し色の自転車。試しに跨ってみると、ちゃんと手足がちゃんと届く位置で操作できそうな感じだ。


「うん、やっぱピッタリだな。これは君の身長と体格に合うかなと思って見繕ってみたんだけど……どうだい? ちょっと走ってみる?」

「え! いいんですか!?」

「売り物だからコケられると困るけど……そうならない様に乗り方はちゃんと教えるから」


 それから自転車屋さんにママチャリとの違いと乗り方のコツを教えてもらってから、改めて自転車に跨ってペダルを漕ぎ出してみる。



 何だコレ、速い! それに、すごく軽い!


 ペダルを踏み込んで加速する瞬間の感覚は、今までに乗った事のあるママチャリの感覚とは全然違っていて。


 まるで重い地面とそれに縛り付けられた自分から、解き放たれたみたいだ。ひと漕ぎ、ひと漕ぎとペダルを回すたびに景色が後ろへ流れていくのは、これまでの半年間で感じていた窮屈さから僕を逃がしてくれるような気がして。


 ――コレに乗って何処までも行けるなら、この乗り物が今の自分を変えてくれる――そんな風に思えた。


 

「どうだった、少年? 初めて乗ってみたワリには、そこそこ上手く乗りこなせていたみたいに感じたけど」

 

 乗ってみた距離は川沿いの直線を数百メートル先まで行って戻ってきただけだったけれど、僕の中では空をひとっ飛びして戻ってきたぐらいの感触だった。最初にペダルを踏み込んだ時の興奮が、今も残ってる。


「凄かったです。コレ……やっぱり乗ってみたいなって、思いました!」

 

 これさえ手に入れる事が出来るなら、僕は小学校時代の鬱屈した感情に捕らわれないで、前に進む事が出来る! だから、どうしても手に入れなくてはいけない! もう僕の中ではそんな風に思っていた。だけど。



「でも……お高いんでしょう? こういうのって。それにあなた怪我したのだってまだ……」


 母さんの一言で現実に引き戻される。確かにこんな凄い自転車がママチャリぐらいの金額なハズはない。

 

「そうだなぁ……まあ確かに普通の自転車に比べれば安くはない代物ではあります。でも……その顔、君はどうしても乗ってみたいんだよな?」


 少し困ったように尋ねる店員さんに、僕は全力で頷く。



「母さん、オレ……どうしてもコイツに乗ってみたい。思い付きとかで言ってるんじゃなくて! コイツに乗れればようやく……ようやく変われるような気がするんだ。もしフツーの自転車買う分じゃお金が足りないっていうなら、オレがお年玉とか貯めてた分で払うから!」


 母さんが心配した膝の怪我ならもう、とっくに完治していた。さすがにハードルは飛んでみてないけれど夜に川沿いの土手を何本も全力疾走してみて、全く膝が痛くならないのは確認済みだ。


 だけどもう、走る事はあの怪我とその後の事を思い出して心が苦しくなるだけで、何1つ気持ちが動かなかった。でも、コイツとならきっと……

 


「そんなセリフを聞いちまったら応援しないわけにはいかねぇな……えぇい、新しく始めるヤツへの出血大・大・大サービスだ! お母さん、値段の話は中でしましょう!」


「ヤイチ……そうね、あなたが本気でそうと決めたのなら。わかったわ」



 こうして僕は、ようやく僕を変えてくれるものと、出会えたんだ。

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