第5話 僕のループは終わらない


 窓から差し込む陽光が、寝室に静かに降り注いでいた。


 まるで祝福のような光だった。

 僕がこの十度目の人生で、初めて――裏切りなく朝を迎えられたことを、讃えてくれているように感じた。


「……はぁああ」


 ベッドの上で目を覚ました僕は、安堵と実感の混じったため息を吐く。


「なんと心地の良い朝だ!」


 しかし、


 心臓はまだ、昨夜の記憶を引きずっていた。

 あの冷たい短剣。

 首筋に触れた死の気配。


 それでも――僕は生きていた。


 そうだ。

 今度こそ、彼女の心を掴んだんだ。


「おはようございます、セシル様」


 ノックの音とともに開かれた扉の先に、僕の専属メイド、シュエラがいた。


 彼女との再会は実に数時間ぶり。


 綺麗に整えられたメイド服。

 凛とした立ち姿。

 そしてなにより、彼女の瞳が――僕を見るその眼差しが、穏やかだった。


「朝食の準備が整っております。お身体の具合は、いかがでしょうか?」


「あ、ああ……。ありがとう、よく眠れたよ」


 僕がそう返すと、シュエラは嬉しそうにまるで花が綻ぶように微笑んだ。


 その笑みは、十度のループで初めて見る本物の表情というやつだった。

 


 食事の席。

 シュエラは昨日と同じように、テーブルへ料理を並べていく。


 二人分の食事が向かい合って揃ったところで、


「さっ、朝食にするか」


 僕たちは昨日と同様、一緒に食をともにした。


「セシル様。これは、朝食前にお伝えすべきでしたが、その……昨夜のことは、本当に、ありがとうございました」


 ふと、シュエラが頭を下げる。


「頭なんて、下げなくていい。僕は君が側に居てくれるだけで、十分なんだ」


 そう。

 強い手駒が……僕に刃を向けた敵だった者が、ここまで信頼してくれているんだ。

 僕にとって、これ以上嬉しいことはない。


「ですが、私は……セシル様の命を狙いました。何度も、何度も」


 震える声。


 そこにあったのは、後悔や罪悪感……というよりも、自分が今ここにいられることへの感謝、のようにも感じ取れた。


「それでもセシル様は、私を信じて、対話してくださった。初めてでした。こんなにも、私という人間を見ようとしてくれた方は」


 シュエラは、静かに微笑んだ。


 ここにいる彼女は、もう僕を殺そうとは思っていないだろう。

 むしろ、命すら投げ出して僕に従う覚悟を決めているほどの熱意を感じる。


「私は、私の全てをお預けする覚悟です。セシル様がこの家を導く光であるなら、私はその影として、どこまでもお従いします。この命を賭してでも、必ず――」


「シュエラ、共に成り上がろうと言っただろ? 君が死んでは意味がないからな?」


 僕がそう言っても、彼女の目は変わらない。


「はい。仰せのままに」


 とは言ったが、どこまで本心なのか。


 心からの信頼。心酔。ある種の崇拝。

 彼女の瞳からは、そう言った類のものを向けられている気がする。


 今回のことで優しさは、時に人の信頼を勝ち取ることができることを学んだ。


 しかし、


 人を狂わせることもあるのかもしれないな。

 

 僕はぼんやりとそんなことを考えながら、朝食を口に放り込んでいった。



 朝食後、窓際のソファに腰をかけた僕は、


「シュエラ、一つ聞いてもいいか?」


 片付けをしている彼女に、一つ問いを投げた。


「はい。なんなりと」


「僕が仮に、このディアゴルド家の当主になったとする。それはこの国一番の大貴族、ということになるのか?」


 僕の問いに、彼女は軽く目を見開いた。


「そうですね……。セシル様、失礼ですが、この国の貴族階級というものをご存知ですか?」


「えっと、つまり僕たちディアゴルド家が公爵家、それに次いで伯爵や子爵などの、爵位のことを言っているんだよな?」


 シュエラは一度、片しかけの皿をテーブルへ置き、静かに語り始めた。


「その通りでございます。しかしセシル様、貴族階級とは各爵位の中の序列のことを示します。つまり現在この国に存在する十二の公爵家、その中での優劣ということですね」


「そんな明確に、順位があるのか。それで、僕たちディアゴルド家はどの位置にいるんだ?」


 これだけ広いフロイデン地方を領地として持ってるいんだ。

 それなりの順位とは思うが……。


「12位……つまり序列最下位にございます」


 今日初めて、シュエラの視線が僕から逸れた。


「な……っ、ウソだろッ!?」


 そんなわけがない!

 僕たちはこれだけ大きな城を持って、民だって大勢いる。


 それなのに最下位なんて。


 ということは、つまりあれか?


 他の公爵家はさらに上だと……。


「土地の広さ、民の数、今まで成し遂げてきた功績、どれを取っても、今のディアゴルド家が他の公爵家を上回るものは……」


 と、シュエラは静かに首を振った。


 ウソだろ……。

 今まで僕が信じてきたものは、他の公爵家にとって、ただの足元でしかなかったのか。


「セ、セシル様、今は上を見上げても仕方ありません。まずは目の前のことから、やっていきましょう!」


 シュエラはまさに僕を励ますがごとく、胸の前で拳を握りしめる。


「目の前のこと……僕がディアゴルド家の当主になるということか?」


「はい。私は信じております。セシル様ならばきっと、成人する頃には立派な当主になられているはずですよ」


 

「今から三年後、か」


 つまり僕が15歳になった時。


 たった三年で……と思ったがそれだけ経てば、父上は齢65にもなる。

 現役を退いてもいい頃合いだろう。


 そこまで計算しているのだとしたら、やはりシュエラはよくできた側近だ。


「はい。セシル様には、ディアゴルド家の誰も持っていない優しさという武器があります。きっとそれだけで民は心を開き、自ずと功績もついてくることでしょう」

 

「……!」


 僕の心臓が一つ、大きく跳ねた。


 優しさ、だけで?


 それは、誰よりも無謀な挑戦だ。


 当主になるため、時には恐怖による支配が有効なこともあるだろう。

 だけど仮に、僕がそっち側に手を染めた瞬間、シュエラがまた刃を向けてくる可能性がある。

 いや、間違いなくそうなるはず。


 つまり、僕のとれる選択肢はただ一つ。


 優しさだけで、全ての人を従わせる支配者になるしかない。


 それができなければ僕の未来は閉ざされ、再び同じ日を繰り返すことに……。


「では少し遅くなりましたが、食事のお片付けをして参りますね」


 シュエラは重ねた皿を手に置き、一礼する。


「あ、あぁ」


 僕が横目でシュエラの声に答えた、そんな時、


 バン!


 突然、扉が勢いよく叩き開けられる。


「おい、セシルッ!」


 入ってきたのは、二つ上の兄だ。

 次男であるレオン・ディアゴルド。


「……どう、されたのですか、兄上?」


 僕はソファから立ち上がり、兄へ体を向ける。


 平然を装ったつもりだが、内心ではもう嫌な予感しかしなかった。


 兄の乱暴な足音、冷たい目。

 あれは昔から変わらない。


「父上から聞いたぞ。お前昨日の公務、うまくやったんだってな? はは、まさかお前が褒められる日が来るとはな」


 皮肉めいた笑いが、部屋に満ちる。


「だがな、調子に乗るなよ。また別の視察公務を任せることになるらしいが、次はそう簡単にはいかねぇぞ? 前回みたいに、周囲の連中が甘く見てくれるとは思うなよ?」


 レオンの口調が一気に荒ぶ。


「……俺はな、お前みたいな出来損ないが、家の評判を落とすのが一番気に食わねぇんだよ!」


 その瞬間、僕に駆け寄ったレオンの右手が勢いよく振り上がる。

 

 思わず身をすくめた。


 だが――


 バンッ!


「そこまでです、レオン様」


 目にも留まらぬ速さで、シュエラが兄の腕を掴んでいた。


「なんだ、お前……? 下賤なメイド風情が……俺に触るな!」


 レオンが腕を振り払おうとするが、びくともしない。

 シュエラの手は、まるで鋼のように兄の手首を締め付けていた。


 その顔は無表情のまま、うっすら微笑んでいる。


「仕方、ありませんね」


 背筋がぞくりとした。


「ま、待て。おい、シュエラ、やめろ!」


 その言葉を最後に、彼女は無言のまま刃を抜く。


 そして――


「やはり、セシル様以外のディアゴルド家は必要ありませんね」


 そう、穏やかに、慈しむように微笑みながら、


「ま、待て……頼む、やめて、く――」

 

 シュエラは兄の心臓を一突きにした。


 ザクッ――


 刃が深く、静かに心臓へと沈んでいく。


 レオンの目が、驚きと恐怖に見開かれた。


 だがその一方で、シュエラの表情は――慈愛に満ちていた。

 そしてその瞳は、レオンのことなんてまるで入っていない。


「安心してください、セシル様。これでもう、害虫はいなくなりました」


 血に染まった手をそのままに、シュエラがこちらを振り向く。


「やはりディアゴルド家の中で、貴方だけが生きていていい存在なんです」


 僕は、息を呑んだ。


 なんでシュエラは、レオンを。


「はぁ……っ、はぁっ……!」


 血の匂い。


 レオンの死体。


 なんで……こんなことに……!


 はぁ、はぁ……。

 息が苦しい。


 彼女は味方になったんじゃないのか?


「さっ、他の家族も処理して参りますね」


 その言葉に、空気が凍りついた。


「ちょっと待て、シュエラ……」


 だが彼女は軽く首を傾げ、笑った。


「ご心配なく。これも全て、セシル様の大義のためです。必要のないゴミ共は、早いうちに――」


 そうか。


 彼女は……。


 シュエラは、僕だけの味方なんだ。


 そう、僕だけの――。


 パキンッ。


 耳鳴りのような音と共に、空間が砕けた。


 視界が――白く、染まっていく。


 まるで夢が崩壊するような、現実が反転するような感覚。


「――また、か……」


 僕は理解した。


 時間が巻き戻っている。


 気づけば、僕はベッドの上にいた。

 同じ寝室。同じ天井。そして、同じ朝の陽光が静かに差し込んでいる。


 また、戻ってきたんだ。


 ゆっくりと体を起こし、額を押さえる。


「……やっぱり、そういうことか」


 あの時、母が僕が庇って死んだときも巻き戻ったから分かってはいたけれど、今回兄が殺されたことで、この仮説は確信に変わった。

 

「僕だけじゃない。家族の誰かが死ぬと、時間が巻き戻るんだ」


 僕を含めた家族の死。

 それが、このループの正体なんだ。


 思考が冷めきる前に、僕は部屋の壁にかけられた日めくりカレンダーに目を向ける。


「……日付、変わってない」


 まだ、兄が殺される数時間前。

 つまり昨日と同じ、シュエラと誓いを交わした翌朝ということだ。


 そしてそれからすぐ響く、ノックの音。


「おはようございます、セシル様」


 ドアの向こうから現れたのは、専属メイド・シュエラ。


 その表情には、昨夜の葛藤も殺意もない。

 まるで初めから僕の味方だったかのように、彼女優しく微笑んでいた。


「何かお困りでしょうか?」


「……いや、なんでもないよ」


「そうですか。それでは、朝食の準備をいたしますね」


 軽やかに動く彼女の後ろ姿を見ながら、僕は深く目を閉じた。


 これは十一度目の世界。


 シュエラの信頼は得た。

 けれどそれだけじゃ、ダメなんだ。


 次は、兄の死を防がなければならない。


 そのうえでなお、優しさで人を従えていく。


 でなければシュエラの刃が僕を斬り裂き、再び過去へ逆戻り。


 なんて、非合理な世界なんだろう。


「シュエラ、今日も二人分用意してくれるか? 一緒に朝食を食べよう」


「はいっ! かしこまりました!」


 だけど僕は歩まなきゃいけない。


 まだ見ぬ明日を、


 ディアゴルド家当主になる未来を、


 この目で見るために。


 僕はシュエラの向ける屈託のない笑顔を見ながら、そんな覚悟を定めたのだった。

 

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悪徳王子は死のループで得た知識と経験で、破滅エンドに立ち向かう 甲賀流 @kouga0208

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