第7話 女中、琴子
翌朝。桃子はいつもの時間に起きると、新聞を取りに行き、朝食の準備を一緒に行った。ここに来て数日間だが、それなりに仕事を覚えたせいか、要領よく行えている。
みそ汁に入れる人参の皮むき、ホウレンソウのざく切りも、手際よく行えた。人が後ろを通る。目で確認をしなくても、気配でわかってしまう。あとどの位で、鍋が沸騰するのか。だんだんと、感覚を掴んできている。
琴子がいる女中部屋に、朝食を持って行こうと、配膳に乗せた。朝食を持って行くと。すこし笑みをこぼした。今日はしっかりと食べた。だが、箸の持ち方がなっていない。
「元気が出てきたようだね。安心したよ」
振り返ると岡見が立っている。この前とは違い、怒ってはなさそうだ。
「まあ、当分は生かしてもらえそうだからね」
琴子が、桃子の後ろをチラ見しながら言った。岡見に言っていた。
「あんたに幾つか質問をしたい。歳はいくつだい」
「十七」
「家族は何をしている」
「知らない。親に殺されると思って、逃げた」
「その後は?」
「美人局をして、その後は浅草で体を売っていた。だけど、人として扱われなくて。そんな時、運よく地震に遭ってね。逃げ出したのよ」
「で、玉ノ井に流れ着いた」
「そこで、百合さんと奈加さんに出会った。後は、お宅の社長に聞いて。そっちの方が詳しいでしょ」
「最後の質問。水野武統さんを、恨んでいる?」
「恨んでないわ。あの戦いは、奈加さんに頼まれたから、引き受けたの。こうなる事も、見越していたかもね」
「わかった。あんたを今日からここの女中として扱う。武統さんの指示よ」
「……そう」
琴子は朝食をかき込んでいる。
「箸の持ち方から教ええなくちゃいけないのかい。躾がいがありそうだね」
そう言って、岡見はその部屋から出て行った。
「私が先輩になるわけか。よろしく」
琴子は笑った。
朝食が終わると、桃子と琴子は隣の部屋に行く。そこには、今日、洗濯する物がたまっていた。
「これから、洗濯をするね。この石鹸と洗濯板を使って……」
「知っているよ。でも、こんなに多いのは初めて。板でやるの? 桶の中で足踏みじゃだめ?」
琴子の問いに、桃子は何も答えられず、後ろにいた岡見に助けを求めた。
「あまり汚れていないのは、足踏みで良いわ。汚れがひどいのは、洗濯板」
「じゃあ、とっと始めよう」
琴子が仕事にとりかかる。
「私、洗濯板の方をやるね」
桃子も慌ててとりかかる。岡見は後ろでじっと見ていた。
桃子は洗濯が終わると、洗濯物が入った大きな籠を両手で持ち、部屋を出ようとする。桃子は心配そうに、琴子を見た。だが、琴子は洗濯物が沢山入った籠を、ひょいっと持ち上げる。
「あんた、前に女中でもしていたのかい?」
岡見が聞いた。
「小曾根さんの店で手伝っていた」
琴子が先に洗濯部屋を出ると、桃子も慌てて部屋を出た。階段を下りて、裏口から出て行く。
「干す場所はどこ?」
外に出ると、琴子は桃子に聞いた。
「そこを曲がると、物干し竿があるから」
「あい」
つい昨日まで、部屋の隅っこでじっとしていた人間とは思えない程、作業を軽々とこなしていく。
「あんた、すぐに追い抜かれるわよ」
岡見に発破をかけられ、桃子も小走りで干す場所へと向かった。
次に昼食の支度。さすがに料理まではしていないと考える桃子は、
「調理とかわからなかったら、私に聞いて。助けるから」
「……はい」
琴子は適当に返事をした。カチンとしながらも、桃子は調理場の説明をした。琴子にガスコンロを説明して、見せた時、昔の自分のように驚いていた。それが少しだけ面白かった。
「包丁は扱った事ある?」
岡見の質問に琴子は、
「魚の三枚下ろしも出来るし、男の脇腹も刺せるよ」
調理場にいた使用人が、怯えた表情で琴子を見る。琴子は包丁を握った。
「この人参、皮むいたらどうするの?」
「銀杏切りにしてちょうだい。ほうれん草はザク切り。ネギは輪切り」
「あいよ」
琴子は人参をまな板に置き、ヘタと先端を切り、切ると、半分に切る。そして、皮を切っていった。次に、銀杏切りにしていく。その姿に見惚れしてしまう。タンタンと、調子よくニンジンが切られていく。全て切り終えると、大きなザルに入れる。
岡見は感心した表情をしている。翻って桃子は、手本を見せようとして、握っていた包丁を、ゆっくりと元の位置に戻した。
「桃子は、火の管理」
「……はい」
桃子は定位置につく。
琴子は次にネギを輪切りにしていく。ニンジンよりもさらに早い。タタタタンと、あっという間に半分は切られていく。男も、自分の仕事をしながら、桃子の鮮やかな包丁さばきを、盗み見ていた。
昼食を終え、後片付けをする。急ぐ作業ではないので、二人は雑談をしながら、作業をしていた。
「どこまで習っているの?」
桃子と琴子は、一緒に茶碗を洗っている。その時、桃子は聞いてみた。
「一通りね。暇をもて余していたら、こっちを手伝えって。そこで覚えた」
「岡見さんも、あんたの仕事ぶりには、感心していたよ」
「奈加さんに怒られながら、教わったかいがあったよ」
その後は休憩の時間となり、二人は溜場で一休みをする。そこに岡見がやって来た。
「仕事は教える事はなさそうね。桃子の方が、教えなくちゃいけないぐらいだね」
桃子は何も言えずに、水を飲む。
「後は礼儀作法だね。学校は通っていないのかい?」
「ない」
「じゃあ、これも読めないね」
琴子の前に出されたのは、「女中訓」だった。琴子は少し本をめくってみるものの、難しい顔をしている。
「桃子、この子に文字を教えなさい。このままだと、来客の対応ができないから。この後、二人は洗濯ものを取り込んで、夕食の準備」
そう言って、岡見は溜場から出て行った。
「この本、そんなに大事なの?何が書かれてあるの」
「例えばね……」
適当にページをめくり、読み上げる。
「女中とは、常に礼儀正しく、家の対面を守る。女中は主人に仕え、あまり出すぎず、従順で控えめであるように」
「何の為に?」
「女中で働く人の大半は、家事を覚えたいとか、結婚の為ね」
「どうせ結婚なんてできないよ。金と飯をくれればいいよ」
「考え方が現代っ子だね」
「桃子はどうなの。もう結婚できない歳なの?」
その問いに、桃子はムスッとした顔で、
「まだ二十二よ」
と言った。琴子は「女中訓」を遠ざけた。
「ケンカになるから、今はよそう」
琴子は周りを見渡す。部屋の隅に、武統が読み終わった新聞紙が積み重なっていた。大抵は、掃除用具として使用されている。
「あれは何?」
「新聞よ。そうだ、今日の分まだ読んでなかった」
桃子は取りに行く。一番上の新聞を手に取り、流し読みをしていく。
「何が書かれているの?」
「事件とか、政治とかよ」
「それ、私たちにも必要なの?」
琴子が聞いてきた。
「そう。関係ないと思ってもさ、知らない間に巻き込まれているからね。知っておいた方がいいわ」
桃子は新聞社の名前を見た。大阪新聞と書かれてあり、少し驚いた。
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