第19話 記録の旅、始まる前に

仮設拠点の夜は、珍しく静かだった。 爆発も、叫びも、ギャグもない。 ただ、記録端末の微かな光が、部屋の隅で瞬いていた。

灰島先生が、珍しく自分から口を開いた。


「……記録の神域に行くなら、覚悟しろ。そこは、“記録されなかった感情”が眠ってる場所だ」


「記録されなかった……?」


先生は、壁に背を預けたまま、目を閉じる。


「誰にも見られなかった涙。誰にも届かなかった怒り。誰にも肯定されなかった存在。そういう“未記録”が、神域には溜まってる」


ミコが、ぬいぐるみを抱えながら言った。


「それって……ミコちゃんみたいなの〜?」


先生は、少しだけ目を開けて言った。


「お前は、まだ“記録されてる”だけマシだ。俺が昔見た奴は、記録にも残らず、誰にも思い出されずに消えた」


その言葉に、空気が少しだけ重くなった。 レナが、空気を変えようと笑って言う。


「じゃあ、記録の神域に行って、全部“笑顔”で塗り替えてやればいいじゃん!」


カイが苦笑する。


「それ、レンが聞いたらまた笑えなくなるぞ」


俺は、黙っていた。でも、心の中で思っていた。 “記録されなかった感情”――それが、妹の本音だったのかもしれない。 笑顔の記録に埋もれて、泣きたかった気持ちが、誰にも届かずに眠っていた。センセーが口を開く。


「神域に入るには、“記録の鍵”が必要だ。レン、お前の笑顔が鍵になる。だが、今のお前の笑顔は、まだ“開ける”力しかない。“受け止める”力が足りない」


「受け止める……?」


「誰かの記録を開くだけじゃ、意味がない。開いた記録の“痛み”を、受け止められるかどうか。それが、鍵の本質だ」


俺は、少しだけ目を閉じた。 妹の記録。ミコの爆発。先生の過去。カイの叫び。レナの無茶ぶり。 全部、俺の笑顔に触れて、揺れていた。


「……俺、行くよ。記録の神域に」


レナが拳を突き上げた。


「よっしゃあ!遠足だね!」


「遠足じゃねぇよ!」


カイが即ツッコミ。ミコが笑う。


「ミコちゃん、お弁当作るの〜♡」


先生がぼそっと言った。


「……俺は午後から合流する」


「先生、午前中に死んだらどうするんですか!」


「死なない。俺、午前は寝るって決めてるから」


その夜、記録の神域への旅が始まった。

笑えないままでも、笑いたいと思えるなら―― その笑顔は、誰かの記録を救う鍵になるかもしれない。

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