第30話 氷の下の温もり

「はぁっ……はぁっ……」


 放った瞬間、体からすべての力が抜け落ちた。


 受け身を取る余力もなく、そのまま地面に突っ伏す。衝撃は大したことがない。だが、傷だらけの身にはそれだけで激痛となった。


 タツキを撃ち抜いたのは確かだ。


 攻撃が奴の体を貫いた直後、周囲に張り巡らされていた氷が一瞬にして溶け、水となって地面を覆ったのだから。魔法が切れた――すなわち、タツキが意識を失った証だ。


 安堵が胸をよぎる。しかし同時に別の重みが圧し掛かる。


 そう、俺はランスを巻き込んだのだ。あの威力をまともに浴びて、無事なはずがない。


 けれど……あのとき、タツキの足を最後まで押さえていてくれたのはランスだった。あの支えがあったからこそ俺は狙いを外さず撃ち抜けた。


 つまり――ランスは……。



 ブクブクブク……


 水泡が立ち上る音が耳に届いた。タツキが立っていた場所、その足元から。


「ランス……!」


 思わず叫ぶ。だが安堵する暇などなかった。引き上げなければ――明らかに溺れる。


 くそっ、体が動かない。限界を超えていたらしい。手を伸ばそうとするが、震えるだけで指先すら届かない。このまま……ランスが死ぬのを見ているしかないのか。


「ランス!」


 俺の声じゃない。力強く響く声が横から駆け抜け、次の瞬間、俺の目の前を影が横切った。


 ラウドだ。


「おりゃあっ!」


 水面に飛び込み、泡の中に腕を突っ込む。そのまま力任せに引き上げ――


「ゲホッ……ゴホッ、ゴホッ……!」


 水を吐きながらランスが姿を現した。ラウドがしっかりと抱え込み、地面に横たえる。


 だが、ランスの腕……片方が、肘から先ごと消えていた。


 それでも――まだ息をしている。その事実に、堪えきれず涙が溢れた。


「よくやったな。お前のおかげで勝てたんだ」


 ラウドが俺の前に腰を落とし、真正面から言った。その瞳に偽りはない。


 誇り高い戦士の言葉に、胸の奥が熱くなる。けれど同時に、照れくささも込み上げて、感情がごちゃ混ぜになっていく。


 ……いや、それどころじゃない。俺、意識が遠い。マジでヤバい。


「レイジさん!」


 駆け寄ってくる声。フィオナだ。


 え、待て……彼女も致命的な傷を負っていたはずでは? 俺はもう死んで、今見ているのは天国か?


「よかった……無事で……!」


 フィオナに続いて、背後からジャムの声。


 いやいや、これは間違いなく死んだな。俺。こんなにみんな揃って元気なんて。


「ミゼル、頼む!」


 ラウドの声。背に何かが触れると、じんわりと温かさが流れ込んできた。痺れていた神経がつながり、感覚が蘇る。


「はぁっ……まだ完全回復じゃないから無茶しないでよ!」


 ヒーラー魔法。ミゼルだ。


 喉の奥に詰まっていた鉛のような疲れが溶け、声が出せるようになった。


「……ありがとう、ミゼル」


 少し喋っただけで口の傷が引きつる。それでも声を出せるだけで十分だった。


 ミゼルはそのままランスにも手をかざす。治癒の光が傷の断面を覆い、彼女自身が倒れ込みそうになるところをラウドが支えた。


「彼女がいなければ、今ここにいる半分は死んでいたな」


 思わず呟く。誰も否定しなかった。


「ミゼルさん……他の人って?」

「アーノルドとユキって人は気絶してるだけ。身体が頑丈みたい」


 さすがはゴールドランク冒険者か。


 だが、もう一人――口にするのも辛い。


「……グレゴリーさんは」

「ごめん……間に合わなかった」


 ミゼルの答えに、皆が黙り込む。


 そうか。分かっていたことだが、改めて突き付けられると苦しい。


「墓は豪華に作ろう。あの人のおかげで勝てたんだ。絶対に忘れない」


 俺の言葉に、誰もが頷いた。


「ランス、さっきは巻き込んでしまって――」


 俺はランスの方へ向き直る。


「何を言ってるんだい。あれで倒せたんだ。僕も、最後はそれを狙ってたんだから」


 ランスは穏やかに笑った。腕は失ったが、その目に後悔はなかった。


「前にフィオナが風魔法で押し下げてたろ? あれを水で応用したんだ。体ごと沈めて、攻撃に合わせて戻る。骨は何本か折れたけどね」


 そう語るランスの声に、改めて命の重みを感じる。


 全員が、ギリギリで噛み合って勝利を掴んだのだ。



「皆! 大丈夫か!?」


 駆け込んできたのはコルアだ。背後には村人たちが続いている。


 コルアは余計な詮索をせず、まず救助を優先した。村人たちを指揮して素早く撤退準備を整え、俺たちは隣町へと運ばれていった。



 目が覚めたのは三日後の夜。


 ベッドに横たわったまま、窓の外に灯りが揺れているのが見えた。


「……レイジが目を覚ましたぞ!」


 誰かの声が響く。


 起き上がろうとしたが、体が包帯でがんじがらめになっていて、痛みに呻くしかない。


「よかった、レイジ」


 ランスが差し伸べてきた手を取る。……ん?


「あれ、ランス。大怪我してたはずじゃ?」

「レイジ君は異世界人だからか、回復魔法が効きにくいんだ。僕はこの通り、もう全快さ」


 そう言うと、他のメンバーも続々と顔を見せた。フィオナもジャムも、ミゼルも――全員が元気に立っている。


 なんだこれ、俺だけハンデ戦じゃん。


「こっちには回復役が多いからね。今は安心して療養して」


 ミゼルの言葉に、思わず苦笑する。


 だが、蘇生は出来なかった。俺はランスに肩を借り、グレゴリーの墓へと向かう。


 そこにはすでに一人の女性がいた。フレイル――グレゴリーの妻だ。


「フレイルさん」

「レイジさん……無事でよかった」


 彼女の目から涙が零れる。旦那を失ってなお、他人を案じる。その強さに胸が痛んだ。


「守れなくて、申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げる。ランスたちも並んで同じように頭を垂れた。


「顔を上げてください。……きっと彼は、最後まで活躍できた。それが望みだったのだと思います」


 フレイルの言葉に救われる。墓石が、微笑んでいるように見えた。


俺たちは決して忘れない。グレゴリーの名を、功績を、ずっと残していく。



 墓前を後にし、村の広場へと向かう。そこでは大きな焚き火が上がり、祭りのような熱気が広がっていた。


「部屋から見えた灯りはこれだったのか」

「お祭りさ。皆、レイジが目覚めるのを待ってたんだよ」


 ランスが笑う。


 俺が一歩踏み出すと、村人たちが一斉に歓声を上げた。


「ありがとう!」「お前のおかげだ!」


 胸の奥が熱くなる。退職代行を始めてよかった。人と人を繋ぐことが、こんなにも力を持つのか。


 フィオナは屋台で忙しく立ち働き、ハーレントとノインは子供たちに取り囲まれていた。皆が楽しげに笑っている。



 そんな中、俺は仲間たちに声を掛けた。


「ちょっと、俺ひとりにしてくれる?」

「分かった。でも無理はしないで」


 そう言い残して仲間たちは散っていく。俺は祭りの外れへと歩いた。


 そこにはアーノルドとユキがいた。荷物をまとめ、今にも旅立とうとしている。


「アーノルドさん、ユキさん」


 声を掛けると、二人は驚き、深く頭を下げた。


「レイジさん……無事で何よりです。そして、申し訳ございませんでした」


 俺が回復するのを見届けてから去ろうとしていたらしい。律儀な二人だ。


「頭を上げてください。ただ……もし本当に申し訳ないと思っているなら、一つお願いがあります」


「……えっ?」

「それは……」


 二人は困惑する。だが、ここで引くつもりはなかった。


「今はとりあえず、美味いもんでも食べて行きましょうよ」


 俺は二人を焚き火の輪へと連れて行った。


 祭りはその後、十日間も続いた。


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