辞めたくなったら俺を呼べー転生したら魔力ゼロだったので、退職代行始めましたー【最終決戦も業務範囲内です】
ノスケ
第1話 人生退職
「なんでこんなに辞めたい奴が多いんだよ……」
その日も俺は、鳴りやまない電話の嵐にひたすら立ち向かっていた。一本片付けても、すぐ次が鳴る。焼け石に水どころか、油を注いで火柱が立つ勢いだ。
少子化や経済情勢の影響で、売り手市場の今退職代行は大人気だ。入社して五年、俺はいまだ平社員として電話番を続けている。
俺自身、以前は超絶ブラック企業で働いており、退職代行にお世話になった身だ。
今の仕事もきついが、あの地獄に比べれば天国だ。退職代行であの面倒な人間関係を一刀両断できた、それが最大のメリットだった。
ただし、自分がやめさせる側になると話は別だ。
大半のケースで相手企業は怒鳴り散らすし、「会社に乗り込むぞ!」と脅す者もいる。本当に来た奴もいた。
やめる方もやめる方だ。せめて企業に一言くらい伝えておけばいいものを、完全黙秘で退職するから相手も爆発する。
最近は何でも人任せの風潮があるが、これはその極致だ。
ちなみに退職代行は再就職の世話まではしない。
毎日これだけやめて、よく皆また就職できるもんだと感心する。単に売り手市場で片づけられる話じゃないかもしれない。
「あの、聞いてます?」
電話の向こうの気だるげな声に、俺はハッと我に返った。ぼんやりしている場合じゃない。俺は再び、意識を放棄して仕事に没頭した。
「あー……」
本当は「疲れた」と言いたかったのに、下の句すら出ない。限界を迎えた俺は会社を後にし、コンビニで美味しい物でも買おうと歩き出す。
その時だった。
「死んでやる!!」
俺の心の声じゃない。遠くで、ナイフを振り回す男が立っていた。周囲には野次馬が集まっているが、警察の姿はない。サイレンも聞こえないから、到着まで時間がかかるだろう。
勇敢なおじさんが声をかけていた。
「一体何があったんだ、ナイフを置きなさい!」
見た目は普通だが度胸はあるらしい。ナイフ男は叫ぶ。
「またクビになったんだ! この国は俺を嵌めやがった! いっそ国民ごと道連れに──!」
なぜ話が急に国単位へ? たぶん気が動転しているのだろう。確かに税金は高いし、国への不満はネットでもよく見る。俺も嫌気が差すことは多い。
だが、こいつが突き刺そうとしているのは「嫌気」ではなく「ナイフ」だ。誰かが止めなきゃならない、できれば俺じゃない誰かに。俺は方向転換をしてコンビニを目指して歩き始めた。
「きゃああああ!」
悲鳴が響く。振り返ると、おじさんが切られていた。遠くからでも血が見える。
「あぁ、くそっ……!」
足が震えたが叩いて無理やり動かす。漢検十級・英検五級・武道全敗の文武不両道。そんな俺に、こいつを止める力はない。
それでも、おじさんには生きてほしいと思った。俺よりは生きる価値がある人だと思ったから。
二人が接近してくる。いや、実際は俺が接近しているんだが。
止まろうとしたが、久しく走っていない人間特有の「ブレーキのかけ方を忘れる現象」が発動。俺はつんのめって宙に浮いた。
「……あ」
下にはナイフ男、横には驚くおじさん。腹に冷たさと鋭い痛みが走る──俺はナイフに飛び込んでしまったのだ。
「君!」
おじさんが駆け寄る。視界の端で、ナイフ男が力なく崩れていた。本当は刺す気なんかなかったのかもしれない。
だが、俺が死ねば殺人犯になる。……まあ、今となってはどうでもいい。視界は眩しい光に覆われていく。
走馬灯──は出てこなかった。俺に特筆すべき思い出はないらしい。代わりに飛んでくるのは「死ぬな!」という声と唾。
人体、そこは優先順位を見直せ。なぜ視界よりも唾の感覚が勝るのか、俺には一生かけても分からないだろう。
そんなことを思いながら、俺はゆっくりと目を閉じた。
「ハッ!!」
目を覚ます。ずいぶん長くてリアルな夢だったなと安心した。
寝ぼけているため視界はぼやけ、目覚まし代わりのスマホは見当たらない。代わりに、体全体がチクチクする。起き上がって理解した。
「なんじゃこりゃあああ!」
俺は芝生の上で全裸だった。服もない。
(公然わいせつ、侵入、無断欠勤……)
嫌な単語が脳裏をよぎる。身を隠そうと見回すが、森や町らしきものはかなり遠く、周囲は芝生だけ。
(ここ、異世界じゃないか?)
それは推測というより、願望だった。異世界で勇者や魔法使いになる小説は腐るほど読んでいた。目が覚めるにつれ、それは確信に変わっていく。
「よっしゃぁあああ!」
裸の男は雄叫びを上げた。さっきの事件も忘れ、俺は異世界ライフの妄想を始めた。
「勇者で世界統一もいいし、スローライフも良い。いや、魔王もアリだな!」
こうして、俺の異世界生活は幕を開けた。
「あの人、誰だろう」
目の届かない場所から、誰かがじっとこちらを見つめていた。
その視線の主が、後に俺の運命を大きく変えることになるとは、このときの俺は知る由もなかった。
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