第33話ーー叫び①



「ごめんね、浅田くん」


 朝のホームルームの直前、あの学園長室を後にして源先生と共に教室に向かっていた時、俺の少し前を歩く彼女はそんな風にぽつりと溢すように言ってきた。


「こんなことになる前に、もっと早く行動を起こすべきだったわ」

「先生……行動って?」

「……実はね、浅田くん。私、学園の上層部を告発しようとしていたのよ。あの【ダンジョン】のことはもちろん、『ダンジョン委員会』のこととか、上に言われてされてたこと全部ね」

「えっ、そうだったんですか!?」


 てっきり源先生は嫌そうながらも粛々と学園から指示に取り組んでいるように見えていたから意外だった。もちろん、悪い人ではないと理解はしていたが、それでも学園側の人間だと思っていた。


「気が付きませんでした……」

「まぁ、こっそり証拠集めとかしていたんだけど、結局全部無駄になっちゃった」


 誤魔化すような苦笑を見せる源先生に少し胸が痛くなる。


「先生、その……俺……」

「気にしないで、いずれはこうなることを覚悟していたから。どうせその気になったら学園長と理事長に全部責任おっ被せてやればいいから、まぁ心配しないでよ」

「はは……それもそうですね」


 俺だって他人事ではないが、今回の騒動で源先生は特に矢面に立たされる立場なのではないだろうか。学園長たちの命令があったとはいえ、隠蔽に携わっていたのだからやはり何かしらはあるのではないかと邪推する。


 あの天願院とやらはその辺り上手くやるとかどうとか言ったし、今はそこに期待するしかない。


「ところで浅田くん――」


 源先生は周りに人がいないことを確かめながら、俺の耳元に近付いて恐る恐る聞いてくる。


「さっき天願院さんに貰ったのことなんだけど……」

「あぁ……ですか……」


 とは十中八九、天願院がバイト代だの投資だの言って渡してきた百万円✕3の札束のことだろう。今は人目に触れぬよう、俺のズボンの腰部分に挟んで制服の内側に隠している。


「もしかして欲しいんです? 先生も金欠なんですか?」

「ちがっ…………そういうことじゃなくて! それ、どうするつもりなのかなって」

「うーん、お金で買われた感があって釈然としないんですよね。とはいえ、今更突き返しに行くわけにもいかないし……」

「確かに真っ当なお金とは言い難いとは思うけど、そこは素直に受け取ったら良いんじゃない? 君だって正直助かるでしょ?」

「それは……そうなんですけど……」


 先生の言う通り遥の入院費や日々の生活費で家計は常に火の車状態、何とかしてお金を工面している俺や正樹叔父さんたちにとっては降って湧いたような話だ。


「でも、何ていうかその、いきなりこんな大金を叔父さんたちに見せたらなんて説明したら……」

「そこは段階を踏んでいけば良いんじゃないかしら。確か、浅田くんのしてるバイトってダンジョンでの採掘で一部歩合制でしょ? 『レアな鉱石が出てボーナス貰った』とか言ってちょっとずつバイト代に上乗せして渡せば良いんじゃない?」

「な、なるほど……」


 回りくどくて全額渡し終わるまで気が長そうだが、まぁまぁ悪くないかもしれない。 


「――そうだ、これまでのお礼を兼ねて先生にも半分上げますよ、このお金」

「い、いやいや、そんな気回さなくていいから。君が使いなさいよ。それに……」

「それに?」

「貰ったらなんか贈与税とか所得税とか掛かりそうでヤダ……」

「そこは隠せばいいのでは?」

「そんなの脱税じゃない! この期に及んで隠蔽ごととか増やしたくないわよ!」

「そんなこと言ったら俺も同じじゃないですか……」


 うーむ、先生の言葉を聞いたらこの札束✕3さっさと投げ捨てたくなったぞ。そもそもこういうお金を銀行口座に入れたらで税関が飛んでくるなりしそう。


「まぁそのお金をどうするかは君に任せるとしてさ、その……ちょっといい?」

「えっ、あっ……ちょっと……!?」


 いきなり源先生は俺を引っ張り、すぐ近くの階段の陰まで連れていくと、札束が仕舞われた俺の制服の腰部分を見つめる。


「あ、あのさ、さっきの札束もう一回触らせてくれない?」

「えっ?」

「いや、生であんな札束を見る機会なんて相当ないからさ、もうちょっと触ってお金持ち気分味わいたいなぁ、なんて」

「……先生って意外と子供っぽいところあるんですね」

「う、うるさいわね! 出すならさっさと出して、もうじき始業の鐘が鳴るから……!」


 先生は顔を赤らめつつも好奇心には勝てなさそうに俺を急かす。


 彼女はもっと聡明で粛然とした大人だと思っていたのだが……まぁ、これはこれで可愛いのかもしれない。


「分かりましたよ……ちょっと待ってください、今制服の裾を……っと」


 ブレザーの前を開け、ズボンと腰の間に挟んだ札束が落ちないように押さえながら、中に入れたシャツを引っ張り出す。


 するりと白いシャツの布地がはだけて、そこから三つの札束が姿を現す。我ながら、何とも不格好すぎる。


「ほら先生、いいですよ」

「お、おぉ……」


 先生は少し緊張した面持ちで俺の腰から一束を抜き取って手に取り、両手で撫でてみたり少し端をめくってみたりしてその質側やら重量感なんかを確かめ始める。


「あ、あつぃい……お、重いぃ……それにピンとしてて……硬くて……ふ、ふっとぉ……!」

「せ、先生……厚いとか重いはともかく、硬いとか太いとか意味不明じゃないですか?」

「あ、そ、そうよね……! 大金を前にしてなんかおかしくなってしまって……」


 それにしては言葉選びがおかしすぎるだろ。ピン札だから硬いのはありにしても、太いはどっから……。


「あ、浅田くん、他の二つも纒めて持っていいかなっ?」

「ちょっ……ズボンを引っ張らないで……!」


 興奮してきた源先生がぐいっと引っ張ると、ストンと札束一つがズボンの中に落ちていく。そして丁度いい股下辺りで引っ掛かって止まった。


「あっ、札束が中に吸い込まれて……!」

「うわっ……先生!?」


 いきなり片手をズボンの中に突っ込ませる先生に、素っ頓狂な声を上げてしまう。


「ちょっ……やめて下さいって!」

「は、早く出して……! 中にあるソレを……」

「変な言い方止めてくださる!?」

「こうなったら両手で……んぐ、はふ……!」

「なんで札束咥えてんの!?」


 暴走気味の先生は口元を札束でもごもごさせつつもう片手もズボンの中へ突っ込ませる。その衝撃で札束が股下から落ちて裾の方へと転がり出たが、先生はそれに気付かずに弄り続ける。


「ちょっ……先生もう止めて下さい……! もう出てますから……て、それ違う!」

「もごっ! ごごごっ、んん〜〜!」

「んな……くそ、離れない……だとっ!?」


 先生の頭を掴んで引き剥がそうとしても、先生が苦しい声を上げるばかりだった。どうやら肘辺りまで突っ込んだせいか、今度は先生の腕が抜き出せず、頭を俺のお腹にこすりつけてもがいている。


「ん、んっ! んん〜〜!」

「ちょっ……へんな声出さないで下さいよ! こんなところ誰かに見られたら……!」


 完全アウトな絵面。階段の陰に隠れているとはいえ、近くを通りがかりすればバレてしまう。


 どうにか先生は片腕を抜き出そうとした――その時だった。


「――な、何してんの、二人とも……?」

「「!?!?!?!?」」


 廊下のところから声が聞こえ、視線を向けるとそこには青ざめた表情の男子生徒――藤原がいた。


「ふ……藤原っ!? 何故ここに……!?」

「それは、こっちの台詞だろ……! 始業の鐘が鳴っても教室に帰ってこないから学園長室まで様子を見に行ったんだよ。そしたら、こっから変な声が聞こえて……」

「始業? もうそんな経って……」

「ん、んっ〜〜!?」


 札束を口に咥えたままの源先生は後ろに振り返ることもできず俺の腰に顔を埋めて喘ぎ声を上げる。


 何度でも言うが、完全アウトな絵面だ。


「お、お前……それに源先生……こ、こんな所でなんていやらしいことを……」

「ご、誤解だ! よく見ろ、何もしてない!」

「してるじゃねぇか、思いっきり!」

「いや、だからこれは……確かに、何もしてない訳では無いけど……!」

「やっぱりデキてたのか、お前と源先生! 学園長に呼び出されたのもそういうことだろ!」

「ちげぇって!!」


 いや、まじでまずい。このまま藤原が騒ぎ出すと他の生徒が集まってきかねない。そうなったらおしまいだ、何もかも! 


「……先生、早く離れて!」

「んん〜〜、んん……ぶはっ!!」


 源先生はどうにか片手を俺のズボンの中から引き抜き、そのまま立ち上がり、口に咥えた札束を取って藤原に振り向いた。


「そうよ、誤解よ藤原くん! 私は単に浅田くんのズボンに入った札束を取り出そうとしただけで……ほらこれを見て!」

「ッ……!」


 源先生が手に掲げたそれを見て藤原は絶句し、更に唇を震わせ両手の爪が食い込みそうなほど強く握りしめ始めた。


「ま、まさか……本当に……そんな……」

「し、信じてくれたかな、藤原く――」

「……見損なった」

「ふ、藤原くん……?」

 

 なんか、風向きが更に怪しくなってきたぞ。


「見損なったぞ、浅田ぁっ!!」

「っ…………俺!?」

「まさか、先生を……先生をお金で買っていたのかぁっ!!」

「は、はぁっ!? 何言ってるの、藤原くん!?」


 片手に札束を握り締める源先生は驚きで顔を歪めさせる。ちなみに、未だ俺のズボンの中に突っ込まれたままの片手もしっかりと札束を握っていた。そんなもの離してさっさとズボンから引き抜いてほしいのだが。


「その札束が証拠だろぉっ! 毎日、毎日バイト漬けで金を稼いでいると思えば……まさかそんなことの為に使っていたのか!」


 藤原は何故か涙目になりながら身振り手振りを大袈裟にして感情を爆発させる。


 馬鹿馬鹿しい状況だが、今更こいつを放置して逃げ出すわけにもいかない。


「んなわけねぇーよ! これは単なる不可抗力で……いや、まじで説明し辛いんだけども……とにかく、お前の思っていることはねぇよ!」

「黙れ、言い訳なんか聞きたくない! 先生も先生だ、なんで浅田なんかと……」

「だから、誤解って……」

「俺だって……俺だってブロマイドで稼いだ金があるんだぞ! 浅田でいいなら俺だって良いはずだろぉっ!?」

「はあ?」


 ブロマイドって……まさか、間賀先生に指導させられた盗撮の件のことじゃあ……。


「藤原くん……まさか裏でそんなこと――」

「先生たちに言われたくない! 生徒と先生がこっそりと……くっそう、羨ましい!!」

「あ、待っ……藤原くん!」


 血涙(まぁ、本当はただの涙だが)を流し、さらに鼻水までも撒き散らす藤原は廊下を駆け出して行った。それを見て、源先生が慌てて札束を俺に押し付けながらその後を追いかけていく。


「ごめん、浅田くん、先に教室に戻ってて! 私は藤原くんの口ふう……説得してくるから!」

「えっ、あぁ、先生!?」


 俺が止める間もなく源先生は藤原の走っていった方向へと物凄い速さで走り去っていく。ダンジョン探索中でも見たことがないダントツの加速であった。


「……なんの騒ぎ?」

「今、猛スピードで誰かが走っていったような……」

「なんか、えらく哀しい叫び声なかった?」


 流石に騒ぎすぎたのか、近くの教室から生徒や教師の声がして、廊下に出る足音も聞こえ始めた。


(まず……っ、取りあえずここから離れなきゃ……!)


 俺は床に落ちた札束たちを拾い上げ、再び制服の中にしまい込んだ所で、上の方から足音がすることに気が付いた。


「! だ、誰だ!?」


 なんだか小悪党っぽい台詞が口の中から飛び出しつつ、ぱっと階段の上を見上げると、一人の女子生徒がこちらを見つめながらゆっくりと階段を降りてきていた。


「えっ……き、君は……!?」


 咄嗟に見えた襟元のリボンは一年生のものを現す赤色。セミロングの髪は踊り場の窓から差す陽光に照らされその色がやや透けて見えた。


 俺を少し憂いを帯びたような表情をしながら見下ろしていたそいつは、今朝駅で夏目の手を引いてきたあの少女であった。


「え、えっと……たしか夏目さんの知り合いの……めいめいさん?」


 なんとなくそんなふうに呼ばれていたことを思い出して口にすると、彼女はやや残念そうに肩をすくめつつも少し嬉しそうに笑みを浮かべる。


「その呼び方も可愛くていいんですけど……私の名前は春崎明依はるさきめい……これで自己紹介は二度目ですよ、先輩」


 彼女が名乗った瞬間、頭の中でチクリと差すような痛みが走る。


 なんだ……俺は……こいつのことを……。


 既視感のような不気味な違和感に困惑していると、それがなんとなく伝わったのか、彼女は哀しそうに眉をひそめる。


「……やっぱり、分からないですよね、私のこと。でも、大丈夫です、すぐ思い出しますから」

「お、思い出す……? なんのことだ?」

「すぐに済みます。早くしないと他の人が来ちゃうかもですし……」

「済むって……何をするつもりなんだ?」


 俺が聞くと彼女は少し顔を背け、少し躊躇するような間を空けてやがて俺の前に進み寄る。


「うわっ、ちょっ……」


 勢いのあまり咄嗟に後ろに退いて壁の方まで追い込まれると、俺と彼女の距離が密着しそうなほどに近くなる。


「な、何を……」

「……先輩、恥ずかしいので目を閉じて下さい」


 彼女は少し湿っぽく吐息混じりにそんなことを言って見上げてくる。やや潤んだ瞳に目が合って思わず心臓が高鳴る。


「な、なんでそんなこといきなり……それじゃあまるで……」

「……はい、そのまさかですよ」


 彼女は指先を俺の胸の方に添えつつ、少し背伸びするように顔を近付ける。


 彼女から漂ってくるふんわりとした甘い香りに、さらに胸の奥がドクドクと早打つのを感じる。


「先輩……私と……キスをしてくれませんか?」


 そのややピンク色を帯びた艶やかな唇を少し震わせながら、彼女は切なそうに言った。

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