エルフと吸血鬼

洞貝 渉

エルフと吸血鬼

  だらりと垂れる耳当て付の帽子をかぶり直して、僕はお師匠の後ろをはぐれないよう速足でついていく。

 お師匠はいつもの死にそうな顔で力なくフラフラと歩いていて、そのくせこんな人込みにも関わらず誰にもぶつかることなく、かなりのハイペースで進んでいた。

 僕は必死でお師匠の背中を見つめる。見失わないように、はぐれないように、本当に必死で。

 ここは僕の生まれた所から、はるか遠くの大きな街の中心だ。活気にあふれ、良い気が充満し、街中には珍しいくらいにたくさんの精霊たちがいる。

 僕はこんなにヒトのいる場所は初めてで、上手く人波に乗れず、すれ違いきれずヒトと肩がぶつかっってしまう。ふらりとよろけた拍子に、お師匠の背中が遠のいた。

 こんなところで取り残されてしまったら、と僕は慌ててお師匠の方へ走り出すが、周囲への注意がおろそかになった今度は真正面から思いっきりヒトにぶつかってしまう。

 

「おい、ガキ! どこみて歩いてやが……」

 ヒトの罵声が不自然に途切れる。

 痛みに耐え、ぶつかってしまったことを謝ろうと視線を上げた僕は、目の前のヒトが何を見つめて固まっているのか気づき青ざめた。

 耳だ。このヒトは僕の耳を見ている。

 僕の頭から落ちた帽子が足元に落ちていた。急いでかぶり直そうとしゃがみ込めば、誰かの足が素早く帽子を踏みつけてしまう。

「なんでエルフがこんなところにいるんだよ」

 頭上から降ってきた言葉に、僕はどっと冷汗が出るのを感じた。心臓がばくばくと音を立て、頭の中が真っ白になる。


 エルフの居場所はエルフの里にしかない。そこから一歩出れば、たちどころにヒトに捕まり、ひどい目にあわされる。

 上手くヒトの世を渡り歩く者もいた。しかし、それ以上の数の同胞が捕らえられ、ヒトに使役された。ヒトがエルフを玩具として重宝していることを逆手に取り、中には物資と交換で同胞の手によってヒトに売り渡されたエルフもいる。かくいう僕も、売り渡されそうになったエルフの一人だった。

 エルフの居場所はエルフの里にしかない。

 しかし、僕にはエルフの里にすら居場所がない。

 だからと言って、この大きなヒトの街が居場所になろうはずもなく。


「い、イタイ!」

 大人のヒトが僕の耳を乱暴に掴む。

 痛みと恐怖でパニックになり、僕はとっさに詠唱した。小さな火を熾すための言葉はしかし、最後まで紡がれることなく口を封じられることであっけなく止められてしまった。

 大人のヒトはそのまますごい力で僕をひと気のない道へ引きずっていく。

 誰も助けてはくれない。というより、あまりにヒトが多すぎて、誰もエルフの子どもが連れ去られようとしていることに気が付いていないのだ。

 これだけ活気にあふれる街の中心であっても、たった一本道を外れただけで驚くほど雰囲気が変わる。暗く淀んだ、嫌な空気に僕は背が泡立つのを感じた。

 表通りへと一心に手を伸ばす。誰か、誰でもいい。気付いて、助けて。

 お師匠も、僕になんて気が付かずに行ってしまったのだろうか。

 無力感と悔しさと、恐怖と不安とが爆発しそうで、僕は泣きそうになるのをギリギリで堪えていた。

 薄暗い細い道道から下卑た笑みの大人のヒトが現れ、僕を値踏みするように嫌な視線を這わせてくる。


 鋭い視線を感じ、とっさにそちらへと目を向けた。

 暗がりに馴染み、他のヒトたちに紛れてそこに居たのはお師匠だった。

 僕は驚きで目を見開く。

 てっきり、見捨てられたものとばかり思っていたのに。


「いい釣り餌になってくれたものだ」

 お師匠がぼそりと呟いた。

 他のヒトたちはまだお師匠という絶対的強者が紛れていることに気がついてはいない。

「どれだけ数が居ようとも、うっかりつまみ食いなどすれば大事になるからな」

 言って、お師匠はすぐ隣にいたヒトにさりげなく近づき、首筋に牙を突き立てた。ものの数秒で、ヒトは干からび砕けて粉になる。パサリと落ちた服の音に反応した数人の頭が飛んだ。異常を察した残りのヒトたちが、小指一つ動かす暇もなくその場に崩れる。みんな既に息はなかった。

「その点、こういった無法者ならいくら消えても表立って問題は起きない。貴重な食料だ」


 お師匠が落ちているヒトだったものたちを拾い、一つずつ血を吸い上げていく。

 僕はお師匠がまた助けてくれたことに感激して、思わず抱き着いた。

「お師匠! ありがとう!」

「食事の邪魔だ。それにお前の為じゃない」

「同胞に売られかけた時も、今も! 僕、本当に感謝してるよ!」

「うるさい。邪魔だ。お前も食われたいのか?」

「お師匠に食い殺されるなら、喜んで!」


 お師匠はバンパイアだ。

 ヒトの血を啜り、永遠の時を過ごすアンデット。

 みんなから忌み嫌われるもの。

 でも、誰にとってどんなものでも関係ない。

 お師匠は僕にとっての救世主なんだから。


「……お前は餌を釣るための餌だ。餌の餌を食うほど浅ましくはない」

 ぼそりと呟くと、お師匠は残りの餌に牙をたてた。

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エルフと吸血鬼 洞貝 渉 @horagai

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