第28話 パンケーキとシロップ

「このお店やっと来れたわ。空良には秘密にしておいてね、きっと怒るから」

「そう言われると、なんか罪悪感が……」


 今日は学校の都合で急に下校が早まった。


 なので、寄り道してもいつもの時間に帰ればそららは気付かない。……ということで、奈那が以前行きたがっていたお店に来ている。


 いや、浮気じゃないから。そもそも付き合ってないし。


「なによ。私とのデートじゃ不満なの?」

「部活の話し合いだろ?」


 奈那はつまらなそうに鼻を鳴らした。


「言葉を間違えたわね。空気はいつだって傍に存在する。……もしこれをデートというなら、デートは大気圏を差す言葉になってしまうわ」

「……これこれ。整うわぁ」


 そららに甘やかされて溶けそうだから、たまには鋭く冷やしてもらわないと。


「……変態には何を言ってもご褒美ね。それで、空良の調子はどう? 明日は保育園の読み聞かせだけど……来れそう?」


 グラスを口にする奈那、どこか落ち着きがないように見える。


「そららは責任感の強い子だから、約束を破ったりしないよ」

「……責任ねぇ。そんな重荷、いつから背負しょいこんだのかしら」

「次々に企画して実現する行動力が、そららの強みだったはずなのにな」

「今の予定が全て消化されたら、しあわせ新聞部は……どうなるのかしらね」


 奈那は頬杖をつきながら、片方の手でグラスを揺らした。


 氷のぶつかる音と共に、気だるそうに息を吐く。


「……奈那はさ、なんでしあわせ新聞部を続けたいと思ったの?」

「いきなりなに?」

「いや……、最初はそららの勢いに押されて加入した感じだったからさ。どうしてそこまでって思って」

「前に言ったじゃない。競うことしかできなかった私が、人の笑顔の中で居場所をみつけられたんだって」


 奈那は頬杖をやめ、椅子に深く座る。背もたれに身体を委ね、その視線は思案するように天井へと向けられた。


「私だって人の輪の中に居たいのよ。孤高ぶったって、孤立したいわけじゃない」

「俺も同じだよ。……ひとりで居るのは気楽だけど、ひとりぼっちは寂しい」


 ひとりは好きじゃない。けれど、それ以上に……気を遣うだけの関係が辛かった。


「……小学校の頃ね、クラス委員に推薦されたの」


 急な昔話に戸惑うが、奈那は気にせず話し続ける。


「私は皆に認められたって嬉しくて、このクラスを良くしていこうって思った。……本当は、ただ押し付けられただけなのにね」


 真面目で成績のいい子に面倒な役を押し付ける。よくある話だ。


「ある日、校長先生が『今月一番がんばったクラスを表彰します』って言ったわ。それで私……やる気を出した。このクラスが一番だって、認めさてたかったの」

「なんで認めてほしかったんだ?」

「さぁ。みんなで何かを成し遂げたかったんじゃない? 連帯感とか、所属したいという思い。青春っぽいでしょ?」


 奈那は薄く笑うと、「あるいはただの承認欲求かも」と付け加えた。


「それでね、遅刻の常習犯を毎朝迎えに行ったり、宿題をしない子は居残りさせて一緒にやったり……怖いでしょう? そんな委員長」

「……う~ん。美少女が朝に迎えに来てくれるのなら俺は大歓迎だけどね」

「そこまで言うなら迎えに行ってあげるけど?」


 瞬間、居るはずのないそららの視線を感じた気がした。


「……やめとく。朝から胃が痛くなりそうだ」

「私が可愛すぎて刺激が強いって意味なら仕方ないわね。残念だけど」


 たいして残念でもなさそうな声で、奈那は言う。


「それで、クラスを一番にする試みはうまくいったの?」

「ええ。全校朝会で表彰されたわ。校長先生から小さな賞状を貰って……演壇から、見まわしたの。皆が私に拍手する姿を」


 相変わらず天井を眺めながら、過去の自分を諫めるように、彼女は笑う。


「……凄く嬉しかった。誇らしかった。けどね、気付いた。同じクラスの子たちだけは、拍手をしていないことを。……それで、分かっちゃった。――私以外、誰も良いクラスなんて目指してなかったんだって」


 奈那は表情を歪める。まるで当時の同級生のように――過去の自分への嫌悪が浮かんでいた。


「……滑稽よね。みんなのためって思ってたのに、自己満足でしかなかった。……いえ。自己満足なだけならまだ良かったわ。質が悪いことに……自分のために、正しさという暴力で同級生を支配していたのよ、私は」


 無意識に降ろした彼女の手がテーブルをたたき、グラスの水が荒く波打つ。

 

 そんな様子にも気付かず奈那は、悔しそうに唇を噛みしめた。


「……正義を振りかざすのは今でも変わらないかもね。いつもキツイことを言って、明兎には悪いと思ってるの。ホントよ?」

「大丈夫、癖になる塩梅だから」

「そういうのいいから」


 俺が口を閉ざすと、奈那は小さくため息。


「……今のそららは、昔の私にちょっと似てる。傷つける気がなくたって、人は人を傷つける。……けどね、それでも必要とされているなら……応えるべきよ。私は……誰からも必要とされなかったんだから」


 若い店員さんがパンケーキと紅茶を運んでくる。


 白くフワフワな生地に目を輝かせる奈那を見て、胸の中に詰まっていた息が、ふっとこぼれた。


「奈那は……そららみたいに悩まないの? しあわせ新聞部の活動は偽善かもって」

「悩まないわ。だって私は、人に期待しないもの」


 奈那のナイフがパンケーキを切る。柔らかい生地は包み込むように抵抗を見せ、それでもゆっくりと、線が引かれていく。

 

「幸せになるもならないも、その人次第。私達がどんなにがんばっても、がんばらなくても……それは変わらない。――私は、幸せになるお手伝いをすることが楽しい、それだけ」

「相手の問題は相手のもの……ってことか」

「そららの問題もそららのものってことよ」


 その声は、感情を押し殺したように冷たく響く。


「あなたがなにをしても、最後はそらら次第。手を差し伸べるのは良い、でも、彼女の問題に引きずり込まれそうなら……決断しなさい」


 パンケーキを切られるたび、心が削られていく気がした。


「一緒に堕ちるくらいなら、手を離しなさい。彼女が救われないのは、彼女の責任。あなたまで巻き込まれる必要はないの」

「奈那……俺はそららを見捨てる気はないよ」

「……そんなの、私だって同じ。そららは友達だから、見捨てたくない」


 奈那が白い小瓶を傾けると、トロリとシロップが流れだす。


 一滴もこぼさぬよう丁寧に注ぐ姿は、とても優しく見えた。


「3人でしあわせ新聞部を続けたい。でも――考えてしまうの。それが叶わないならどうしようって」


 奈那は小瓶をそっと置くと、俺を見る。


「ねぇ、明兎。もしこの先……空良が3人で居ることを選ばないなら……」


 不安に揺れる瞳が俺を捉えて、離さない。


 そんな例え話は聞きたくないのに、逃がしてくれそうになかった。


 躊躇いに震える声で、迷わず言葉を続ける。


「そのときは……空良じゃなくて、私の手を、掴んでくれる?」


 ――きっと彼女も、分かっている。そららの存在が、俺の中でどれだけ大きいか。


 それでも、手を伸ばした。


 傷つく覚悟で、傷つけてしまう覚悟で、不安を飲み込んで。


 それなのに俺は――何も返せない。


『もう後戻りできませんからね』


 そららの言葉が、どろどろと身体に纏わりついている気がした。

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