第17話 保育園でいちゃつくやつ

「せーの! 生きてるだけで、えらいえらい!」

『いきてるだけで、えらいえらい!!』


 土曜日の午前。保育園でそららは、何故か猫の着ぐるみで子供たちを洗脳していた。


 いや……、洗脳は言い過ぎか。これも部活の一環だ。着ぐるみが可愛いからいいんだ。うん。


 ちなみに俺はよくわからない怪獣の着ぐるみだ。誰が得するの?


「それじゃあ……次は奈那お姉ちゃんに絵本を読んでもらいましょう。せーの! 奈那お姉ちゃーん」

『ななおねえちゃーん』


 以前に奈那と挨拶をしに行った保育園の朗読日。しあわせ新聞部初の校外活動。


 ……そのはずなのに、いつの間にかそららのペースに乗せられて、全肯定生ライブみたいな感じになっているのはどういうことだろう。


 今もヒーローショーのお姉さんのような掛け声で、巧みに子供たちを盛り上げるそららお姉ちゃん。俺や奈那にはとてもできない芸当で、天性のカリスマを感じた。


「……はーい」


 呼ばれた奈那お姉ちゃんは、狐の着ぐるみ姿で消えてしまいそうな声を出しながら、子供たちの前に現れた。俺には見せたことがない、はにかむ様子に悪戯心がムクムクと……。


 ……いや、やめておこう。子供たちの前で大人げない。俺も高校生だ。少しは落ち着いたところを見せねばなるまい。


 さすがの奈那も子供の前では毒気を抜かれるのだろう。調子が狂いっぱなしのようでいつもの勢いがなかった。


 それでも、朗読する姿は絵になる。


 ……そういえば、最初に彼女を見た時は新入生代表の挨拶だ。あの時も落ち着いた佇まいと優れた容姿は多くの人の目を惹き付けていた。


 けれど、今はあのときよりも温かい感じがする。血の通った人間らしさというか、暖かな表情がすごく身近に感じて……なんかいつもより、すごくいい。


「……ずいぶん熱心に見ていますね?」


 いつの間にか横に立っていたそららが、いつもより近い距離から小声で囁く。奈那の邪魔をしないよう、配慮してるのかもしれない。


 彼女は頬をぷくっと膨らませて、じっと俺を見上げていた。けれどその目はどこか甘えた子猫のように――遊んでほしくてウズウズしている。


 今にもじゃれつきそうなその姿に――思わず口元がほころんだ。


「ほっぺ、お餅みたいだよ」

「アツアツのヤキモチでございますよ?」


 子供たちの前でお姉さんぶっていたのとは別人のように子供っぽい表情で拗ねている。構ってくれないと『今夜はご飯抜きです』と言い出しそうな顔だ。


「奈那さんに熱視線を送ってました。私のことは、あんな風に見てくれていなかったのに。……だから、火がつきました」


 またふくらむ、白い頬。それがほんとに柔らかそうで……つい、突いてみる。


「――ふにゃっ!!」


 変な声と一緒にヤキモチはしぼんでしまい、残ったのは赤くなった恥じらいほっぺ。


「なっ……なんで急に触るんですか! 良いって言ってない!」

「ダメだった? 今更かなって」

「今更も大皿もありません! 女の子の身体を勝手に触るのはダメです!」

「大皿はちょっと強引過ぎないか? お餅ネタ飽きたよ」

「論点そこじゃない!」


 抱き枕までしてるのに今更……って思ったが、考えたら俺から触るのってこれが初めてかもしれない。


「そららからは触ってくるじゃん? 何度か抱き付いてきてるし」

「……私はいいんです」


 ……よくないだろ。可愛いからいいけど。


「女の子は、男の子に触られるのに心の準備が必要なんです。抱き枕をした時だって、私はたくさん心の準備をしていたんですよ?」

「え? ……それってつまり、俺から触ってもよかったってこと?」

「ろっ、論点そこじゃないですっ!」


 すっかり涙目になってしまった。からかい過ぎたかもしれない。


 前回の抱き枕もなにかあったわけではないが、そららからしたらやっぱり覚悟が必要だったのかもしれない。


 そりゃそうか。男のベッドに入るんだ。


 口ではしないと言っても、何かされるかもという気持ちは捨てられないだろう。


 なんにせよ……小声とはいえ、保育園で話す内容じゃない。


 真っ赤な顔で泣きそうになっているそららをずっと見てたい気もするけど――


「おい、アキオ! そららをいじめるな!」

「だれがアキオだ」


 下から声が聞こえた。見てみると、年長の男の子が奈那より険しい目で俺を睨みつけている。


 仁王立ちしている彼は、そららが読み聞かせしていたとき一番前に居たはずだ。いつの間に部屋の隅に居る俺たちの所に来ていたのか。


「そららをいじめるやつは、俺がやっつける!」


 テレビヒーローの真似事のような構え。あったなぁ、こういうのが好きな時代。


「ほぉ……? 生意気な坊主だ。年上にはさんをつけろと習わなかったのか?」

「明兎くん、めっちゃ乗り気じゃないですか」


 隣でそららが笑う。坊主はそんな彼女に目が釘付けだ。


 ……はは~ん。さてはこいつ、マセガキだなぁ?


 それじゃ、可愛くてマセてるヒーロー様のために……俺も悪役っぽく演出して差し上げるかな――っと!


「――ひゃあっ!」


 そららの腰に手を回して引き寄せると、小さな悲鳴があがった。彼女の頭は俺の胸へと収まり、いつもの甘い匂いに包まれる。


「ふははっ! 悔しかったら俺からそららお姉ちゃんを奪って――あいててっ!」


 腰に回した腕をそららが思いっきりつねる。いや、マジ痛い。爪が食い込んでるって。いたたたっ!


「だからっ、触って良いって言ってないっ!!」

「痛いっ……ごめんって……!」


 解放すると、そららはピョンと身を離して俺を睨みつける。


「子供の前でなにをしてるんですか、ほんとに……」


 呆れられたが、それは子供の前じゃなければ良いと聞こえるんだよなぁ。さすがに口には出さないけど、子供の前だし?


「奈那さんが終わったので、今度は手遊び歌をしてきますね。……君も一緒に行こっか?」

「あ、うん……」


 マセガキはシャイボーイでもあるようだ。そららに手を引かれながら大人しく子供たちの輪に戻って行く。


 子供に微笑みかけるそららはすっかりお姉さんで、そんな彼女の姿をいつまでも見ていたかった。


「それじゃ、一緒に歌おうね!」



 子供達の前に立つと、そららはまたカリスマを発する。


 よく観察してみるとマセガキ以外にもそららに熱い視線を送る男の子は多いようで……彼女の人気ぶりが窺える。もちろん、女の子もみんな笑顔で参加している。


「右手はパーで、左もパーで……、えらい! 良い子! たくさん頭撫でてあげる! 出会ってくれてありがとう!」

『であってくれてありがとう!!』


 子供たちをみんなそららワールドに引き込み、全肯定の英才教育を施す。……みんな笑顔だから、それもいっか。


 彼女は気付いた時には傍に居て、その笑顔が暖かな灯を、心に宿してくれた。


 いつの間にか受け取ったその優しい光を――今度は俺が誰かに届けたい。


 俺にはそららのように、みんなを巻き込む力なんてない。


 でも……この手が届く範囲だけでも、温かくできたらって思う。


 それがそららの願う、『優しい世界』だと思うから。




***




 その後マセガキが『お前を倒して、そららお姉ちゃんと結婚する!』なんて言い出した。


 ……ついカチンときた俺は、あらゆる遊びで大人の力を見せつけて全勝。


 結果、子供には泣かれ、そららには『大人げない!』と説教をされてしまった。



 ……生きてるだけでえらいのに、余計なことをするのが人間なんだよね。


 今までの俺なら絶対に空気を読んでしなかったことをしてしまった。



 ――それも、そららが理由なのかもしれない。

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