第二十三話

 冷たい空気の中、俺とホーンラビットの望まぬ戦闘が幕を開けた。


『モコオ、スプーンもつほうににげて!』


 ユユの念話が脳内に響くやいなや、俺はホーンラビットの猛烈な突進を、指示通り右方向へ大きく跳び退いて回避した。

 雪を蹴散らし、そのまま目の前の木々の陰へと滑り込む。

 改めてホーンラビットをよく見ると、俺の体が大きくなったせいか以前ほど体格に差はなくなっている。

 ホーンラビットは、威嚇するように鼻息を荒げ、ゆっくりと俺の隠れた場所へ近づいてくる。

 俺は音もなく隣の木へと移動し、再び雪に紛れて身を潜めた。

 ホーンラビットは、俺がいた場所へ向かって、木々をもなぎ倒すかのようにその鋭い角を振り回した。

 ザバッツ!

 凄まじい破壊音と共に、木が砕け散る。

 俺は木の陰から別の木へ飛び出そうとした、その時だ。


『いまだ!とびこんでにくきゅうパンチ!』


 ユユの念話が、俺の体を突き動かす。

 角を振り終え、わずかに隙を見せたホーンラビットの懐へ、迷わず飛び込み、全身の力を込めた爪を奴の顔面に叩き込んだ!

 ピギャァァ!

 甲高い悲鳴が森に響き渡る。

 ホーンラビットは一瞬怯んだものの、すぐに頭を振り上げ、反撃の構えに入った。


『うしろ!うしろににげて!』


 ユユの指示に従い、俺は素早くバックステップで角の攻撃範囲から離脱する。

 ホーンラビットの左目には、俺の爪によって刻まれた深い傷跡が、痛々しく血を流していた。

 チャンスだ。

 俺は傷ついた左目側へと回り込み、とどめの一撃を狙う。

 その刹那、ホーンラビットは突然、予測不能な突進攻撃を仕掛けてきた!

 俺は咄嗟に左側へ大きく身を翻し、それを紙一重で回避する。

 回避も能力として生えたせいか、いつも以上に相手の動きが良く見え、余裕をもって紙一重の回避が出来ている。

 ホーンラビットは突進の勢いのまま、俺から距離を取ってしまった。

 睨み合いになる。

 距離を取られてしまうと、接近戦の利点が薄れる。

 再びホーンラビットが突撃してくる。

 俺は迷わず奴の左目側へと回避。

 ホーンラビットが角を振る攻撃してくるが、俺はそれを軽やかにジャンプして躱し、奴の頭上から追撃を加えようと体勢に入った、その瞬間――。

 ホーンラビットは驚くべき反応速度で体勢を立て直し、その鋭利な角を真上へと突き上げてきた!


「ギャン(やばい)」


 その危機を知らせる念話が、脳裏に直接響き渡る。


『つのににくきゅうぱーんち!』


 ユユに言われるがまま、俺の体が反射的に動く。

 奴の突き上げてきた角に対し、俺は腕を思い切り振り下ろし、迎撃の肉球パンチを放った!

 俺の爪と奴の角が激しい音を立てて衝突する!

 ガツン、と鈍い衝撃が伝わるが、俺にダメージはない。

 しかし、ホーンラビットは頭を激しく揺さぶられ、体勢を大きく崩している。

 この隙を逃すな。

 着地と同時に、俺はホーンラビットの無防備な首筋目掛け、鋭い爪を振り下ろす。

 逃げようと藻掻く奴。

 ここで距離を許せば、再び不利になる。

 俺は奴の動きに食らいつき、その背後から、逃走を阻むように後ろ足にも爪を叩き込んだ。

 ホーンラビットの動きは、見るからに鈍くなっている。


『ガーとカミカミでしょうり!』


 ユユが興奮した声で噛みつきを促す。

 だが、あの生温かい血液が口の中に広がり、喉を伝う不快な感覚が蘇り、俺は一瞬ためらってしまった。

 俺は、躊躇を振り払い、奴の傷ついた首元目掛け、渾身の切り裂き攻撃を繰り出す。


「ガァァウォン(肉球ストラッシュ!)」


 ギャピィィィ!

 けたたましい断末魔と共に、俺は攻撃後、即座に距離を取った。

 余計なフラグは立てない。

 ホーンラビットは、ピクリとも動く気配がない……。

 勝った、のか?


 雪面に横たわるホーンラビットの姿を確認し、ようやく勝利の実感が湧いてきた。

 安堵の息を吐いた俺の耳に、上空から飄々とした声が届く。


『ホーウホウ、なかなかやるのじゃ』


 声の主は、この戦いの仕掛け人、サラスだ。

 途端に俺の頭に血が上り、戦いの熱が冷めやらぬまま、俺は怒りに任せてサラスへ飛びかかった。


「アオン(サラスてめぇぶっとばす!!)」


 しかし、サラスは俺の攻撃などまるで意に介さず、ひらりと高く高度を上げ、俺の爪は空を切る。


「ガウガウ!(馬鹿ミミズク降りてこい!)」


 俺は地面を蹴りつけ、何度も吠え続けるが、サラスは嘲笑うかのように俺の攻撃範囲外を飛び回る。

 そんな俺を見かねてか、ドリュアが冷静な声で諭した。


『モコオ冷静になるのです。精霊族に物理攻撃は効きませんよ。』


 ドリュアの言葉に、俺の激情が嘘のように鎮まっていく。

 そうだった、精霊族には物理攻撃が効かない。


「アオーン(ドリュア頼む、一発あのフクロウモドキにかましてくれ!!)」


 俺はドリュアに懇願するが、そのフクロウモドキという言葉がサラスの神経を逆撫でしたらしい。


『ホーウホーウ!誰がフクロウモドキじゃこの犬っころめ!!』


 一触即発の雰囲気が漂い、俺とサラスの間で罵り合いが始まる。

 その醜い喧嘩を、ドリュアが冷水を浴びせるように一喝した。


『いい加減になさい、二人とも。サラス、今回は貴女の行き過ぎたやり方に問題があります。さあ、モコオに、その真意を明かしなさい。』


 ドリュアの有無を言わせぬ言葉に、俺とサラスはまるで子供のように、不満げに顔を見合わせたまま黙り込んだ。


 サラスが諦めたような、それでいてどこか得意げな口調で語り始めた。


『ホウ、そうじゃな、いささか突然すぎたかもしれんのじゃ。

 モコオに“回避”が生えてきたのはホーンラビットと戦闘したことにより生じたことだと仮定したのじゃ。

 ならば、もう一度戦ってみれば何か分かるかもしれないじゃろ。』


 サラスは、いかにも学者然とした口調で、今回の行動の目的を語り始めた。

 つまり、俺の能力発現のトリガーを解明しようとした、ということか。


「アオン(それで能力は増えたのか?)」


 俺は、期待を込めて尋ねた。

 これだけの危険を冒したのだ、何かしらの成果があってほしい。


『どうなのですか、サラス』


 ドリュアの促す声が響くが、サラスは答えない。

 宙を仰ぎ、腕を組んで思案しているようで、彼の口から言葉が出る気配はなかった。

 その沈黙が、この戦闘が無駄だったのではないかという疑念を、俺の心に深く刻み込んだ。


 サラスは腕を組み、深く考え込んでいるようで、その表情からは何も読み取れない。

 やがて、彼はゆっくりと顔を上げた。


『ホーウゥ……モコオには能力は生えておらん』


「アオーン(やっぱりか、そりゃ、そんなに簡単に能力は増えないよな)」


 俺はそう呟き、深くため息をつく。

 しかし、サラスは俺の落胆など気にも留めず、自説を展開し始めた。


『ホウホウ、経験の積み重ね、今回で言えば“回避”の訓練があったうえでホーンラビットの戦闘がトリガーになったのかもしれぬのじゃが、単純に格上との戦闘経験が必要だったのか、それとも命がけの戦闘が必要だったのか、ほかにも考えられることはあるのじゃ、サンプルが少ないのじゃ、とりあえず分かったことは…………モコオにはセンスがないという事じゃな。』


 論理的に語るかと思えば、最後に余計な一言。

 その言葉は、俺の怒りの導火線に火をつけた。


「ガウワオン(このミミズクマジでぶっとばす!)」


 俺は牙を剥き出しにして、サラスに飛びかかろうとする。

 サラスは楽にそれを躱すと、意味深な言葉を漏らした。


『ホホホウ、ただじゃな……』


 何かを言い淀むようなサラスの様子に、ドリュアが僅かに表情を変えた。


『どうしたのですか、先ほどから貴女らしくないですね』


 ドリュアの静かな問いかけに、サラスは奇妙な沈黙を返した。


『……ホーウ、ユユに“テイム”が生えておる。』


 俺は理不尽な戦闘に巻き込まれたうえに、理不尽な才能の格差社会の現実に打ちひしがれて、ただただ唖然とし、鼻の穴を膨らませ自慢げに仁王立ちをしているユユを凝視してしまった。

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