銀色リコレクション

めるち

第1話

ピッピッピ――。

無機質な機械音が部屋に響く。


小さな白い体の上で、獣医が何度も手のひらを押し当てる。

「メル! 大好きなカニカマ、たくさんあるぞ!」

小さな体は、心臓マッサージの振動でたびたび跳ね上がった。


「ほら、戻っておいで! 頼むから…!」

「メル…! 来月誕生日だろ、美味しいものたくさん食わせてやるから…」


必死に声をかけ続ける。

「メル! メル! まだ早すぎるだろ、頼むから…!」


だが、その願いも虚しく――

獣医は力なく、無念そうに告げた。

「残念ですが、これ以上は…」


その言葉とともに映像は途切れ、俺は荒い呼吸で目を覚ます。



ベッドの上でぼんやりと首を動かすと、視界の端に白いスコティッシュフォールドの写真が入った。

写真の中の彼女は、相変わらず太々しくも愛嬌のある表情で、まるでこちらに何かを催促しているようだ。


「メルさん、おはよ。まだまだ忘れられそうにないわ」

苦笑しながら写真に話しかけ、ベッドから起き上がる。


遺影の前、小皿に新しい猫用カニカマをそっと置く。

冷蔵庫から出したばかりで、まだ少し冷たい。

「ほれ、今日のカニカマ。しっかり食えよ」


思い返せば、喪った当初は何も手につかず、

家に帰ればただ写真をじっと見つめるだけの日々だった。

そんな時間を繰り返すうち、あの日の夢を見ることも次第に減っていた。


メルが居なくなってもう6年か。

久しぶりにあの日の夢を見たな……


おっと、感傷に浸ってる場合じゃない。

そろそろ支度しないと。



変わり映えのない仕事を終え、帰路につく。

会社を出ると、初夏特有の温く重たい空気がまとわりついた。


降りそうだし、急いで帰るか。

足早に駅へ向かうが、マンションの最寄駅に着いたところで本格的に降り始めた。


くそ、ついてねえな……傘買って帰るか。


そう思った瞬間、視界の隅で何かが光った。

目を向けると、高校生くらいだろうか――銀髪のショートカットの女の子が立っていた。


ああ、なんだ。あの銀髪が光って見えたのか。

そう結論づけ、視線を前に戻そうとした時――


パチリ。


目が合った。


……やばい。通報されたらどうしよう。別に何もしてないのに。

とにかく逃げ――


そう思った瞬間、トトトッと駆け寄ってきて、回り込まれた。


「ね、おにーさん」


無視して立ち去ろうとする。

「あ、どこいくのさ。おにーさんに話しかけてるんだけど」


どうやらロックオンされたらしい。

観念して、できるだけ冷静を装う。

「な、何か私にご用でしょうか?」


内心ビビり散らかしているのを見透かしたのか、

変な敬語を発した俺を彼女はカラカラと笑った。

「や、おにーさんこっち見てたでしょ? ご用があるの?はわたしのほうだよ」


敵意はなさそうだが、油断はならん。


改めて観察する。

背は160センチくらい、肩までのサラサラの銀髪に――カニカマのヘアピン?


「カニカマ…?」

しまった、口に出てしまった。


「あ! いいでしょ、これ。お気に入りなんだ」

嬉しそうに自慢する。人懐っこい猫みたいな子だ。


「いや、見てたわけじゃなくて、たまたま目が合っただけで…」

「ふーん、たまたまねぇ?」


疑っているのか、じっとこちらを見る。


一刻も早くこの場から離れたい。

「そ、そういうわけだから俺はこれで――」


「ちょーっと待った」

踵を返そうとした俺のスーツの裾を容赦なくつかまれた。

「ね、ね、せっかくだからさ、なんか食べさせてよ」


……何を言ってるんだ、この子は。

目が合っただけの他人に飯を要求するか?

しかも何がせっかくなんだ?

せっかく要素なんてどこにもないだろ…


「ねー、いーでしょ? そこのニャックでいいからさ!」

「なんで俺がそんな――」

「……だめ?」


拒否しようとした言葉を遮り、

くりくりした大きな目で覗き込んでくる。

その無言の圧力に、ふと懐かしさを感じた。


――そういえば、メルもご飯の催促はこんな目で圧をかけてきてたな。


気を削がれた俺はため息をつき、降参する。

「わかったよ。ご馳走させてもらいますよ」

「やったー!」


こうして俺は、彼女に引きずられるようにニャックへ向かった。



「あー、美味しかった。ごちそーさま!」

「カニカマバーガー最高だよね」

上機嫌に礼を言い、店を出る。


カニカマのハンバーガーなんてどこが美味いんだ?

っていうかそもそもカニカマバーガーってなんだよ…

「そりゃよかった。じゃ、俺はこれで」


「うん! また会えるといいね、おにーさん」


捲し立てるように言い残し、去っていった。

新手のP活か…?

なんにせよ、とんでもない女だったな。

名前も知らんが、まあ、もう会うこともなかろう。


とにかく疲れた。早く帰ろう。

いつも以上の疲労感を覚えながら、トボトボと歩き出す。


メルを喪って、色をなくした毎日。

初夏の雨、湿った空気の中駅前で出会ったカニカマ女と目が合った瞬間から、

何かが少しずつ変わり始めていた——

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