第8話  新たな人生と盟友の絆

 明治8年、東京。

 新しい時代の風は、さらに強く、この国を吹き抜けていた。

 女性が外で働く姿も珍しくなくなり、銀座通りには、ガス灯がともり、夜の街を明るく照らしている。

 その銀座通りに面した、とある洋品店。


 忙しく働く女性の中に、松子の姿があった。

 彼女は明るい笑顔で客と接し、生き生きとしている。


「松子さん、旦那様は、お元気ですか?」


 同僚の問いかけに、松子は誇らしげに答えた。


「はい。最近は、書斎にこもって、新しい本を書いておられるんですよ」


 そう言う松子の手元には、一枚の葉書が握られている。

 そこには、『学問のすゝめ』の福沢諭吉に触発され、夫が、「教育卿」から「物を書く先生」へと、新たな『道』を、見出した旨が記されている。


 その葉書は二枚存在し、一枚は長崎の才谷梅太郎に、もう一枚は、グラバー邸の谷和一のもとに届けられていた。 


「…木戸さんが、『物を書く先生』か。あの堅物が、のう…」


 谷は、葉書を読みながら、感慨深げに呟いた。

 しかし、その顔には、満面の笑みが浮かんでいる。


「ええじゃろう。それこそが、あんたの天職じゃ。このワシも、負けとれん!」


 谷は、再びロンドンへの夢を膨らませていた。

 だが、その前に、どうしても会って話したい男が一人いる。

 谷は旅支度を始め、再び、木戸の屋敷へ向かった。

 一方、長崎の梅太郎もまた、葉書を読んだ後、すぐさま立ち上がった。


「木戸さん、やりおったぜよ。本当に、自分のやりたいことを見つけたんじゃな」


 梅太郎は、部下たちにしばらく留守にすることを告げると、急ぎ足で港へと向かった。 


「おまんの新しい人生の門出を、このわしが祝わんと、誰が祝うんじゃい!」


 彼の心の中には、木戸の決断に対する、深い喜びと安堵の気持ちが満ち溢れていた。

 その頃、木戸孝允の屋敷の裏庭。

 木戸は縁側に座り、一匹の飼い猫に、優しく餌を与えていた。


「お前も、腹が減ったか。わしと同じじゃな…」


 木戸は、猫の頭をそっとなでながら、遠い空を見つめた。

 そこには、政務に追われていた頃のような苦悩は一切なく、あるのは、穏やかな笑みと、満ち足りた日々。


 そして、その日の夕方。

 木戸の屋敷の門前に、二つの懐かしい影が再び現れた。

 谷と梅太郎、二人の盟友。

 木戸は、二人の姿を見て立ち上がり、満面の笑みで言った。


「お前たち…来たのか」

 三人は、互いの顔を見合わせ、静かに笑い合った。

 そこには、『かつての』攘夷志士は、もういない。

 ただ、新しい時代を、それぞれの生き方で生きていく、三人の男たちがいるだけだった。


 彼らの新しい物語は、今、始まったばかりだ。

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もしも、明治維新後に、『龍馬』と『高杉』が生きていたら、木戸孝允さんが『政治家を辞職しそう』。そんな、もしものお話。 こだいじん @yachiru-regurusu

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