第14話 『あまりこ』と『しーちゃん』




 その夜、私は、ベッドに寝転がってスマートフォンを握りしめていた。古書店でのバイトが終わってからずっと、私の頭の中は詩織さんのことでいっぱいだった。


 店長や圭介さんと明るく話す詩織さん。その笑顔の裏に、私だけが知る孤独がある。そのギャップが、私をひどくもどかしい気持ちにさせる。


 スマートフォンの画面に映し出されたのは、詩織さんのもう一つの姿、Vtuber『しーちゃん』だった。画面の中のしーちゃんは、いつもの詩織さんと同じようにほんわかとした雰囲気で、楽しそうにゲーム実況をしていた。チャット欄には、ファンからのコメントが流れ、しーちゃんは一つ一つに丁寧に、そして明るく反応している。


『みんな、今日も来てくれてありがとう!いや~、このボス、ほんとに強いんだよねー!もう何回負けたか分かんないや!』


 明るい声がヘッドホン越しに聞こえてくる。私は、画面の中のしーちゃんを見つめながら、詩織さんのあの日の言葉を思い出していた。


『ありがとう莉子ちゃん。でも私一人じゃ……きっと無理かな。莉子ちゃんがそばにいてくれるから……私は頑張ろうって思えたんだ』


 ファンに囲まれて、楽しそうに話しているのに、詩織さんは、本当は一人で頑張っている。たくさんの人の中の「一人」ではなく、誰か特定の「一人」を求めている。


 その孤独が、画面の向こうから、私にひしひしと伝わってくるようだった。配信が雑談コーナーに移った。ゲームの話から一転、しーちゃんはぽつりと呟いた。


『んー、そうだなー。最近ね……一人で頑張ってる人、みんなすごいなって思うんだよね……』


 しーちゃんの声は、いつもの元気な声ではなく、静かで、どこか遠くを見つめているようだった。それは、画面の中のアバターが、ふわりと浮かぶように静止し、少しだけ口元が緩んだまま、遠くを見つめるような表情になった。まるで、チャット欄のファンではなく、誰か特定の人物に語りかけているような、そんな雰囲気だった。


(一人で頑張ってる人……)


 その言葉は、まるで、私に向けられた言葉のように聞こえた。胸が苦しい。いてもたってもいられない。私は、この気持ちを、どうにかして詩織さんに伝えたい。そばにいることしかできないけれど、ここにいるよって、あなたを一人にしないよって、そう伝えたい。


 私は、勢いのままに、スマートフォンのキーボードに手を伸ばした。


(ダメだ。私がコメントしたら、詩織さんに気づかれてしまうかもしれない……)


 理性が、私を止めようとする。高校生が、年上のバイト先の先輩のVtuber活動をこっそり見ているなんて知れたら、詩織さんはどう思うだろうか。きっと、幻滅するに違いない。正体を隠しているのにその事実を知っているのだから。


 そう思うと、手が震えて、キーボードを打つことができなかった。でも、同時に、詩織さんのあの寂しそうな瞳が、私の脳裏に焼き付いて離れない。


(このままだと、詩織さん、本当に一人になっちゃう……)


 そんな強い衝動が、私の理性を上回った。私は、アカウントを登録する。


『あまりこ』。


「天野莉子」の名前を、少しだけ変えた。それは、私の本名、天野莉子から取った、ただ安易に並べただけの文字。でも、どこか、詩織さんの目に止まってくれたらいいな、という淡い期待がそこにはあった。ほんの少しでも、あれ?って思ってくれて私のコメントを見てくれたら。


 そんな、勝手な願いを込めた私だけの秘密のアカウント。


 そして、震える指でコメントを打ち込む。


『しーちゃんはいつも頑張ってるよ!』


 彼女が一人で頑張っていることを、私は知っている。そして、この言葉に込められた私の想いが、彼女に届きますように。そんな願いを込めて、指先が「送信」ボタンを押す。


 詩織さん……『しーちゃん』のチャンネル登録者から考えてもコメント欄の流れはそこまで速くない。私のコメントは、きっと目に止まる。そう思いながら、私は画面をじっと見つめていた。


 すると、次の瞬間。アバターがそれまでとは違う動きを見せた。私のコメントに一瞬だけ、その瞳が向けられたように見えた。その瞳が、少しだけ見開かれる。そして、その瞳が私のコメントを捉えたのだと直感で分かった。


『あ。『あまりこ』さん?初見さんかな?初コメありがとう!頑張るよ~!』


 その一言が、私の胸にまっすぐに響いた。私の想いが、本当に彼女に届いた。たったそれだけのことが、私にとって、こんなにも特別なことだなんて。


 まるで、私たち二人の間に、目に見えない糸が結ばれたような気がした。スマートフォンの画面は、もうただの四角い箱ではなく、私と詩織さんを繋ぐ特別な窓に変わっていた。


 私は、もう一度コメントを打った。


『しーちゃんのこと、これからも応援してるよ!』


 画面の向こうで、彼女はまた、優しい笑顔を見せてくれた。


 もう私は一人じゃない。


 詩織さんも一人じゃない。


 そう思えたら、この一人暮らしの部屋の静けさが、ほんの少しだけ、温かくなったような気がした。

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