第6話 私と詩織さんは違う。でも本当は同じなのかもしれない
買い物から戻り、部屋の扉を開けると、先ほどまでの湿った空気や、カップ麺の匂いは消え、ほんのり洗剤の香りが漂っていた。私が来るまで混沌としていた部屋が、今は少しだけ、まともな生活空間に変わっている。
「……ただいま戻りました」
私の声に、返事はなかった。しかし、微かに寝息が聞こえてくる。音のする方へ視線を向けると、ベッドで詩織さんが気持ちよさそうに眠っていた。
おそらく配信を終え、疲れ果てたのだろう。そして、その横にある、配信をする部屋の扉が開けっぱなしになっている。
(なんでこの人は、こんなに無防備なんだろう)
あんなにトンチンカンな理由で私を遠ざけていたのに、扉は開けっ放しになっている。意味がない。私は呆れながらも、その無防備な姿に、どうしようもなく愛おしさを感じた。
私はそっと、配信部屋の扉を閉めた。カチリと小さな音が部屋に響き、その音で詩織さんが目を覚ます。
「ん……り、莉子ちゃん?いつから……」
詩織さんは、慌てて飛び起き、寝ぼけ眼で私を見つめる。
「たった今です。寝てましたよ」
「ごっごめん!疲れてたみたいで……」
詩織さんは、ぺこりと頭を下げ、私に謝罪する。しかし、その視線は、チラリと配信部屋の扉の方を向いている。
「あっあの……莉子ちゃん。その……そっそっそそそっちの部屋……」
「……覗きませんよ」
「え?」
「エッチなものが置いてあるんですよね?」
私の言葉に、詩織さんは「え?あ。そっそう!」と、慌てて頷いた。その必死な様子に、私の口元が緩む。
「詩織さんの性癖とか知りたくないですから」
私がそう言うと、詩織さんはホッと安堵の息を漏らした。
「……あの詩織さん。全然片付いてないじゃないですか。呑気に寝てる場合じゃないですよ?」
私は、詩織さんの視線をそらしながら、リビングに散らばったままのゴミを指差した。本当は配信をしていたことは分かっているけど、知らないフリをするべきだ。
「あ。ごっごめんね!頑張って片付けたんだけど、眠くなっちゃって……」
詩織さんは、バツが悪そうに俯く。
「……詩織さんは一人じゃ何も出来ないと思ってましたから。残りを片付けちゃいましょう」
「……莉子ちゃん?」
私はそう言って、ゴミ袋を手に取った。詩織さんが驚いた顔で私を見つめる。おそらく怒られなかったからだろう。本当に子供みたいだよこの人。
「何ですか?早く手伝ってください」
「うん!手伝う!」
詩織さんは、満面の笑みで私の隣に座り、再び片付けを始めた。二人で向かい合って作業をする。その特別な時間が、私の心を満たしていく。
結局、全ての片付けが終わる頃には、あっという間に時間が過ぎていた。窓の外は茜色に染まり、部屋の中は暖かな夕焼けの光に包まれている。時計はもうすぐ18時を指そうとしていた。
「……そろそろ夕飯作りますか」
私がそう言うと、詩織さんはきょとんとした顔で私を見つめた。
「え?夕飯?いいの?」
「そのために食材買ってきたんじゃないですか」
「そっか!そうだよね!莉子ちゃんが作ってくれるなんて、贅沢だな〜」
私は、台所に向かい、野菜を取り出した。今日作る料理はオムライス。詩織さんは「わーい!オムライスだ!」と子供みたいに喜んでいる。
二人で初めて向かい合って食卓を囲む。テーブルの上には、綺麗なオムライスと、簡単なサラダ、そして温かいコンソメスープが並んでいる。詩織さんは、キラキラした瞳でオムライスを見つめている。
「莉子ちゃん、いただきます!」
「どうぞ」
詩織さんは、スプーンを手に取り、大きく一口オムライスを頬張る。
「……美味しい!」
私の心臓が大きく跳ねた。詩織さんは本当に美味しそうに食べてくれる。その姿を見ているだけで、私は幸せな気持ちになった。しかし、次の瞬間、詩織さんの表情が少しだけ曇った。
「本当に美味しい……」
そう呟く詩織さんの声は、少し震えているように聞こえた。私の心臓が、ざわめく。
「……詩織さん?」
私が問いかけると、詩織さんは少し俯き、ぽつりぽつりと話し始めた。
「莉子ちゃんさ。私ね、今23でしょ?大学を1年浪人してるんだよね」
私は黙って、詩織さんの言葉を待った。
「その……遊んでたわけじゃないんだけど、親から遊んでると思われていて。自分では一生懸命頑張ってるんだけどさ、認めてもらえなくて。それで……家を追い出されちゃって一人暮らしをしてるんだよね」
詩織さんは、言葉を選びながら話しているようだった。おそらくVtuber活動のことを、両親に理解してもらえなかったのだろう。
「この部屋が散らかし放題なの、言い訳になっちゃうんだけど……なんか、汚い部屋のほうが生活感があって、誰かが一緒にいるような気がするからなんだ」
詩織さんは、そう言って寂しそうに笑う。その笑顔は、これまでに見たどの笑顔よりも、痛ましくて、儚かった。私は、詩織さんの孤独を、この部屋の混沌とした風景から感じ取ることができた。
「なんて、本当にダメでだらしない大人だよね、私」
そう言って、詩織さんは寂しそうに笑った。その笑顔に、私の心はかき乱される。
何かを言うべきなのは分かっているけど、言葉が見つからない。
私は、「完璧な優等生」として、常に周りの期待に応えようと生きてきた。テストで良い成績を取ること。部活で成果を出すこと。一人暮らしでも完璧な生活を送ること。何の意思も夢もない。ただ、それらをこなして、周りから認められることで、私は自分の存在価値を見出してきた。
そんな私にとって、詩織さんは、全てが真逆の存在だった。だらしない。無防備。けれど、詩織さんが自分の夢を語る姿はとても眩しかった。
『誰かが一緒にいるような気がするからなんだ』
詩織さんのその言葉は、私の心の奥底に隠された、「誰かに甘えたい」という本音を、鋭く突いた。私は、詩織さんの弱さやだらしなさに、他人事ではない何かを感じていた。
だからこそ……
詩織さんの孤独を、私が満たしてあげたいと思った。
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