直 勘

 自分の物差しで他人ひとはかるな。

 ……それが佐々木啓之進との剣の試合を通じて真之介がまなんだことであった。これまでも実のところ、真之介は賭けの参加者の動向よりも、むしろ佐々木啓之進という変人の奥底に潜むなにものかの正体そのものを探りたいとおもってきたのだった。

 いまは亡き父親と同様に、町奉行役宅で同心手代の微役に就き、寝泊まりの巡回も、門番まがいの見番役ですら不満を洩らさずに黙々とこなしている啓之進が、酒もたしなわず、親しい友もおらず、笑うでもなく、泣くでもなく、他人ひとに群れず媚びず、泰然と日々を送っている姿をの当たりにした真之介は、さらに世之介の芯奥に潜む正体というものを見極めたいとおもい、啓之進との試合を企図きとしたのであった。

 刃をまじえはじめて感得できる相手の心性というものがあろう。啓之進もまた歳下の真之介に対し、容赦ない闘志を燃やしたのを確かにみてとった。

 ……それは、啓之進の心の奥に宿る秘めたほむらというものが、真之介をして殺鬼と化さしめることを未然に防いだことを意味していた。

 それを察してなお真之介は淡々としている。そして、初めて対峙たいじした相手に好意のような感情すら抱きはじめていた。

「……それで真さんはどうみた、佐々木啓之進は、あれはあれで噂通りの凄腕のようだの」

 その夜、やんだ雨の名残りが色濃く残るなかで、山本孫兵衛は真之介を前に地酒を飲みながらつぶやいた。真之介はあまり酒は嗜まない。孫兵衛とて舌でころがし舐める程度である。

「……佐々木さんは、なかで、なにか別の得体の知れないものと戦っているように見受けられた……それが何なのかはいまだ判然とはしないのだが……」

 真之介が答えると、我が意を得たりとばかり山本孫兵衛は、頬をほころばせた。

「ほ、さすがは真さん、なかなか面白き哲理を口にする」

「……たとえてみれば、そうだな、あれは、まさしく、かたき持ちのような心境に近いのではないかとおもう……」

「仇持ち、とな?」

 孫兵衛は小首を傾げた。仇持ちのごとき心境とはどういうことであろう。

「ふうむ……仇討に似て仇討に非ずともいえるかな。おそらく、あの試合のとき、中曽根さんもそんなふうに感じたやもしれぬ。も一度、中曽根さんにそのあたりのことを聴いてみてはどうだろう」

「真さんは……ときに、含意のあることばを吐くものじゃの。ふふふ、なるほど、の」

 孫兵衛自身、思い当たるところがあったのか、しきりに頷き返しながら、酒を舐めた。




 翌朝、孫兵衛は真之介を伴ってふたたび中曽根三左衛門の住まいに足を向けた。真之介の意見を聴いた三左衛門は、

「アッ」

と、驚いた。 

「……啓之進の亡き父者ちちじゃどのは、代々、佐々木家に伝わる剣技の継承者と聴いていたような気もするが……それをひそかにかれも修練していたのだ。さすがに真直なる人柄……ほかになにか気づいたことはなかったでしょうか? 佐々木啓之進は嫁も要いらぬと申しおったのですね」

 三左衛門が念を押すように言った。すると、孫兵衛は“真之介の直勘”をそのまま伝えた。 

「……あの啓之進の立ち振る舞いというものは、なにかに似ているとずっと考え続けておりましたが、ようやく得心しましたぞ。真さんが申すには、佐々木啓之進の姿勢というは、いや、芯というは、まさしく、仇持ちのような心境、それに近いのではあるまいかと……」

 孫兵衛が語ったのは、こういうことである。かりに仇討ちという一大目標があれば、すべてはそが“主”で、他人ひとのことなど“従”でしかなくなる。……おのずと優先順位が他人とは異なるからだ。そんな心境、心構えのようなものが、啓之進の芯奥しんおうにぽつりと宿り続けているのでは……と、孫兵衛は披露した。真之介が語るより、さすがに山本孫兵衛が語ると、なにか深遠なる哲理のようにも聴こえてくるから不思議なものである。

「なるほど」と、先にうなったのは三左衛門であった。

「……おふたりのご指摘……そのげんで、こちらで思い当たる事が、ものの見事に符合ふごういたしました」 

「………?」

 孫兵衛も真之介も互いに顔を見交わしながら、不審げに三左衛門をみた。

「……啓之進が嫁を娶らず、いまの今まで独り身でおるのは、おそらくは、一人の女人を慕うあまり……なのではないか。そのことに、ようやく、いま、思い至りました」

 三左衛門が言ったそのあとのことばに孫兵衛も真之介も驚いた。

「……啓之進が、いまだに、恋がれておるのは、なにを隠そう、わが姉、佐與さよだとおもいます」

「佐與……?」

 初めて耳にした真之介は首をかしげた。山本孫兵衛もあれこれ思案し出した。

「その名前……聴いたことがありますぞ。就活中、ご重臣方の人間関係などを調べておったものでして……確か佐與と申される女人は藩公御側室の……?」

 孫兵衛がいうと、三左衛門はこくりとうなづいた。

 中曽根三左衛門の姉、佐與はいま二十七。十年前、藩公の側妾として召され、いまは江戸の藩邸にいる……。 

「まことに罪なことをしてしまいました……すっかり忘れ去ってしまっていたのです……」

 三左衛門は何度も同じことを口にした。佐々木啓之進を“兄者”と呼び親しんでいた幼年の頃、同じように“あにさま”と言ってそばを離れなかったのは佐與だったはずである。

 そうして当時、中曽根家にふりかかった不運という名の波にのまれていた往時、みなの気鬱きうつを打ちはらってくれたのは、純朴で生真面目な佐々木啓之進の存在であったはずである……。

「……そのことをすっかり忘れていました。あの頃、啓之進に申したのですよ。『兄者あにじゃが、佐與姉上のことをいとうなら、嫁にすればいいだにぃ』と。それだけではなく、なにをおもったのか、啓之進と約定事やくじょうごとまで交してしまった……」

 ……それは、たわいな、むしろ幼いがゆえの思いつきであったろうか。三左衛門は、そのとき、啓之進にこう言ったのである。

『この先、兄者が、ひとに言ってはいけないことばを決めよう。うん、そうだ、ありがとう、かたじけない・・・・それを口にしないと誓い、守り通すなら、きっと、佐與姉上は兄者の嫁さまになるよ』 

 と、いったようなことであった。

 あるいは、もっと強い、成人した武士が、互いの刀のつばと鍔とを打ち合わせて誓詞とする、金打きんちょうのごとき誓いであったかもしれない。

「……そんなことがあったな、と、先日、男神どのと啓之進の試合をみて、また、そののちの啓之進にまつわる話を詳しく聴いて思い出しました……まさかとも疑っておりましたが、嫁を家付きでも貰わぬ啓之進のありさまが、さきほど、おふたりが申された“仇持ち”のごとき真念……と聴いて、なおさら、確信がもてました。あの啓之進は、いまもなお、あのおりの金打きんちょうの誓いを、固く、堅く、硬く、守り続けているのでありましょう」

 深い吐息とともに三左衛門は薄っすらと笑みを浮かべた。その含羞がんしゅうのおもいは孫兵衛、真之介の二人に伝わり、互いに声無き声で応じた。

「ゆえに……」と、三左衛門は続ける。

「……ここで、佐々木啓之進の呪縛をいてやらねばなりません」

「と、申されると……かの者の立身出世を後押しなされると?」

と、孫兵衛が問うた。

「いや、そんなことをしてやっても啓之進にとっては迷惑千万なことにちがいないでしょう。十数年前の誓いの呪縛を解くは、かのおりの金打の誓詞をこちらがまっとうせねばと……」

「それは……まさか?」

 孫兵衛がいい、真之介は無言のまま、複雑な表情で三左衛門をみつめていた。

「ここはご家老やご執政方を動かし、佐與姉上に、お暇乞いとまごいあるべしと、お殿様からお申し渡されるべくお願いするしかないでしょう」

 三左衛門が企図したことは、なにも奇想天外なことでない。

 それどころか先例もある。

 側妾の多いおくの事情というものは、ある程度の年齢を経れば、武士でいうなら御役御免といった体裁ていさいで、城外に去らしめることで、財政負担を軽減するとともに、外戚の権力をぐことで、将来的に発生しかねない次期藩主の座をめぐった御家騒動を未然に防ぐ措置でもあった。

「……まして、姉上はいまだ子をなしてはいない。すでに、中年増なかどしまとよばれるよわいに差し掛かったいま、かのおりの約定通り啓之進に再嫁させるほうがいいかもしれぬゆえ……」

 どうやら三左衛門は、往時の約定を果たす決意を固めたようであった。その大決意を知って、

(……とすれば、ここはもうひと働きせねばなるまいな)

と、真之介は再度佐々木啓之進のもとをおとのう決心をした。

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