直 勘
自分の物差しで
……それが佐々木啓之進との剣の試合を通じて真之介が
いまは亡き父親と同様に、町奉行役宅で同心手代の微役に就き、寝泊まりの巡回も、門番まがいの見番役ですら不満を洩らさずに黙々とこなしている啓之進が、酒も
刃をまじえはじめて感得できる相手の心性というものがあろう。啓之進もまた歳下の真之介に対し、容赦ない闘志を燃やしたのを確かにみてとった。
……それは、啓之進の心の奥に宿る秘めた
それを察してなお真之介は淡々としている。そして、初めて
「……それで真さんはどうみた、佐々木啓之進は、あれはあれで噂通りの凄腕のようだの」
その夜、やんだ雨の名残りが色濃く残るなかで、山本孫兵衛は真之介を前に地酒を飲みながらつぶやいた。真之介はあまり酒は嗜まない。孫兵衛とて舌でころがし舐める程度である。
「……佐々木さんは、
真之介が答えると、我が意を得たりとばかり山本孫兵衛は、頬をほころばせた。
「ほ、さすがは真さん、なかなか面白き哲理を口にする」
「……たとえてみれば、そうだな、あれは、まさしく、
「仇持ち、とな?」
孫兵衛は小首を傾げた。仇持ちのごとき心境とはどういうことであろう。
「ふうむ……仇討に似て仇討に非ずともいえるかな。おそらく、あの試合のとき、中曽根さんもそんなふうに感じたやもしれぬ。も一度、中曽根さんにそのあたりのことを聴いてみてはどうだろう」
「真さんは……ときに、含意のある
孫兵衛自身、思い当たるところがあったのか、しきりに頷き返しながら、酒を舐めた。
翌朝、孫兵衛は真之介を伴ってふたたび中曽根三左衛門の住まいに足を向けた。真之介の意見を聴いた三左衛門は、
「アッ」
と、驚いた。
「……啓之進の亡き
三左衛門が念を押すように言った。すると、孫兵衛は“真之介の直勘”をそのまま伝えた。
「……あの啓之進の立ち振る舞いというものは、なにかに似ているとずっと考え続けておりましたが、ようやく得心しましたぞ。真さんが申すには、佐々木啓之進の姿勢というは、いや、芯というは、まさしく、仇持ちのような心境、それに近いのではあるまいかと……」
孫兵衛が語ったのは、こういうことである。かりに仇討ちという一大目標があれば、すべてはそが“主”で、
「なるほど」と、先に
「……おふたりのご指摘……その
「………?」
孫兵衛も真之介も互いに顔を見交わしながら、不審げに三左衛門をみた。
「……啓之進が嫁を娶らず、いまの今まで独り身でおるのは、おそらくは、一人の女人を慕うあまり……なのではないか。そのことに、ようやく、いま、思い至りました」
三左衛門が言ったそのあとのことばに孫兵衛も真之介も驚いた。
「……啓之進が、いまだに、恋
「佐與……?」
初めて耳にした真之介は首をかしげた。山本孫兵衛もあれこれ思案し出した。
「その名前……聴いたことがありますぞ。就活中、ご重臣方の人間関係などを調べておったものでして……確か佐與と申される女人は藩公御側室の……?」
孫兵衛がいうと、三左衛門はこくりとうなづいた。
中曽根三左衛門の姉、佐與はいま二十七。十年前、藩公の側妾として召され、いまは江戸の藩邸にいる……。
「まことに罪なことをしてしまいました……すっかり忘れ去ってしまっていたのです……」
三左衛門は何度も同じことを口にした。佐々木啓之進を“兄者”と呼び親しんでいた幼年の頃、同じように“
そうして当時、中曽根家にふりかかった不運という名の波にのまれていた往時、みなの
「……そのことをすっかり忘れていました。あの頃、啓之進に申したのですよ。『
……それは、たわいな、むしろ幼いがゆえの思いつきであったろうか。三左衛門は、そのとき、啓之進にこう言ったのである。
『この先、兄者が、ひとに言ってはいけないことばを決めよう。うん、そうだ、ありがとう、かたじけない・・・・それを口にしないと誓い、守り通すなら、きっと、佐與姉上は兄者の嫁さまになるよ』
と、いったようなことであった。
あるいは、もっと強い、成人した武士が、互いの刀の
「……そんなことがあったな、と、先日、男神どのと啓之進の試合をみて、また、そののちの啓之進にまつわる話を詳しく聴いて思い出しました……まさかとも疑っておりましたが、嫁を家付きでも貰わぬ啓之進のありさまが、さきほど、おふたりが申された“仇持ち”のごとき真念……と聴いて、なおさら、確信がもてました。あの啓之進は、いまもなお、あのおりの
深い吐息とともに三左衛門は薄っすらと笑みを浮かべた。その
「ゆえに……」と、三左衛門は続ける。
「……ここで、佐々木啓之進の呪縛を
「と、申されると……かの者の立身出世を後押しなされると?」
と、孫兵衛が問うた。
「いや、そんなことをしてやっても啓之進にとっては迷惑千万なことにちがいないでしょう。十数年前の誓いの呪縛を解くは、かのおりの金打の誓詞をこちらが
「それは……まさか?」
孫兵衛がいい、真之介は無言のまま、複雑な表情で三左衛門をみつめていた。
「ここはご家老やご執政方を動かし、佐與姉上に、お
三左衛門が企図したことは、なにも奇想天外なことでない。
それどころか先例もある。
側妾の多い
「……まして、姉上はいまだ子をなしてはいない。すでに、
どうやら三左衛門は、往時の約定を果たす決意を固めたようであった。その大決意を知って、
(……とすれば、ここはもうひと働きせねばなるまいな)
と、真之介は再度佐々木啓之進のもとを
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