第35話

白銀の焔が包み、〈堕落の女神〉との激しい応酬が繰り広げられる聖都。


その光景は、郊外まで離脱したアイナス達の揚力船からも見ることができた。


「……」


雨足は依然強く、唸るような暴風が飛航する船を揺さぶる。

今すぐにでも、ジェットに跨って飛び出して行きたい思いだった。


アイナスは拳を握り締める。


ここまでずっと一緒に旅をしてきた、一緒に戦って、悔しい思いをしたり、自分のみっともないところだってさらけ出して、ここまでやって来た。


なのに、最後の最後で、自分は見ていることしかできない。

あのふたりに託すことしかできないのが、ここに突っ立って眺めているだけの自分が、あまりに歯痒かった。


アイナスにだって分かっている、少し銃の扱いに長けているだけの自分では、もうどうにもできない次元の話だということが。


「アイちゃん……」


リッカが制服の袖を掴んだ、その顔を見て、こいつは今どんな気持ちでいるのだろうかと、アイナスは思いを巡らせた。


学科も違えば住んでいた寮の場所も違う自分たちと違って、リッカは、メトセトとほとんど四六時中一緒だったと聞いている。

同じ学科、同じ寮で共に過ごし、休み時間だって一緒にいるのをよく見かけた。


故郷にいた時のように、あれこれと自分が気にかけてやらなくても、理解してくれる友達がリッカにできたことを、アイナスは内心でほっとしていた。

リッカだって、きっとそう思っていたはずだ。


だが、その友達は、女神〈ソララ〉の力を受け継ぐ特別な存在で、そして今、まさしく〈女神の代行者〉として大陸を救うために、〈堕落の女神〉などという馬鹿げた怪物と戦っている。


アイナスには、アルメリアがどこか遠くへ行ってしまう気がしてならなかった。

ずっと胸がざわついていて辛い、だからせめて、今この瞬間だって一緒に戦って、すぐ傍で見届けたかった。


「アイちゃんは、アルちゃんのこと……」

「___ああ、そうかもな」


目を閉じて、深く息を吐く。


アイナスはただ静かに、戦いの行く末を見守った。




閃光、衝撃、爆風。

攻防の激しく入れ替わる、目まぐるしい剣戟。


技以上の、純粋な力と力のぶつけ合いだ。


だが、〈光焔の誓い〉を立てたところで、この体が生身の人間であることに変わりはない。


そしてそれは、堕落の女神やあの剣にも言えることだ、それが持つ魔力は決して無尽蔵ではない。

そう見えてしまうのは、教皇庁によってこれまで踏み躙られてきたヴェロニカや歴代の聖女達の怨恨が、それだけ強く、深いということを物語っている。


相応の力でもって対抗するには、相応の対価が必要になる。


アルメリアの〈光焔〉は勢いを増し続け、彼女の周囲も白銀に煌めいている。

まるで、自分自身をその焔へ焚べているかのようだ。


純白のドレスを翻し、焔の剣を操り、白銀の光を纏って戦うその姿は、メトセトが魅入るほど美しく崇高で、気高い姿だった。


「___ッ!」


腕に鋭い痛みが走る。

〈堕落の女神〉の持つ剣へ魔力が供給されることを断つために、自身の焔で聖都全体に漂う魔力を相殺し続けるメトセト、自分の限界は、思っているほど遠くはないようだ。


(アルメリア……)


その背を見守る。


〈堕落の女神〉の斬撃を受け止め、アルメリアが鍔迫り合いの状態から剣を跳ね上げた。


刃を返し、アルメリアはそのまま剣を振り下ろす。

袈裟斬りに焔が迸る、だが〈堕落の女神〉は怯むことなく拳を打ち出してくる。


かつてはその鍛錬の様子を近くで見守ったであろうヴェロニカの記憶が反映されているのか、奇しくもそれは、ハインリヒの戦い方によく似ていた。


アルメリアが、焔を纏う真っ白な義手の手のひらを突き出す、〈光焔〉と魔力が激突し、発生した衝撃波が地面を割って聖都を横断するほどの亀裂を走らせた。


光を撒き散らして激しく相殺し合うふたつの力、打ち負けたのは___アルメリアのほうだった。


「!」


義手が、ばらばらに砕け散る。

即座に左腕を引くアルメリア、〈堕落の女神〉が次の一撃を繰り出す前に、片手で剣を振るう。


左手を使えないぶん、全身を踊らせるように勢いをつけ、遠心力を乗せて剣を叩きつけた。

そしてその一撃によって、〈堕落の女神〉の持つ歪んだ剣に、僅かにヒビが走る。


その消耗が、目に見えて現れた瞬間だった。


アルメリアはそれを見逃すことなく、片腕のまま怒涛の攻勢でたたみかける。


〈堕落の女神〉もまた、ひび割れた剣を振るった。

焔の剣と魔力の刃がぶつかり合って閃光を散らす、その衝撃は力の激流となって周囲の瓦礫を粉砕し、吹き飛ばし、暴れ狂う。


やがて遂に、彼女の力が押し切った。

アルメリアの剣が、〈堕落の女神〉の剣を両断したのだ。


「いまっ!」


メトセトが、広げた両腕を閉じるように正面へ向ける。

聖都中へ張り巡らせた焔を、〈堕落の女神〉一点に集中させ、その体を焔で包み抑え込んだ。


動きを封じられる〈堕落の女神〉、メトセトは叫んだ。


「アルメリアっ!」

「___斬るッ!」


アルメリアが踏み込む、燦然と燃え上がる剣を天高く掲げ、その全身全霊を込めて___一閃した。


渦を巻いて突き抜けていく白銀の焔、溢れかえるほどの眩い光の奔流は〈堕落の女神〉を呑み込み、イーゼルガルドの果てまでその輝きで斬り裂いた。


真っ白に覆い尽くされた視界が、少しずつ元に戻る。


〈堕落の女神〉はほとんど燃えさし同然となっていたが、まだその実態は残っていた。

メトセトは引きずるような足取りで歩み寄り、その体を優しく抱きしめる。


「もう、いいのよ」


〈堕落の女神〉の体がメトセトの腕の中で瓦解し、灰となっていく。

僅かに白銀に煌めくその儚い灰燼は、二つに斬り裂かれた暗闇の間から、青空へと消えていく。

メトセトはその最期を見届けて、アルメリアへ振り返った。


「お疲れさま、ヴェロニカは……苦しんでいた聖女たちの魂は、救われた。あなたのおかげよ」


地面に横たわったアルメリアを膝に抱いて、その頬を撫でる。


「長い旅だったわ。たいへんだったけど、楽しかった。リッカがいて、アイナスがいて……いろんな人に出会って……そして、あなたがいた」


抱えた膝の上で眠るアルメリア、静かに焔の揺れる剣を、彼女の右手はまだしっかりと握っていた。


その手に、自分の手のひらを添える。


「___終わらせましょう」


空には未だ暗澹とした不吉な雲が押し寄せている、イーゼルガルドは、闇に覆われたままだ。

〈堕落の女神〉や魔獣といった脅威がそう簡単に生み出されなくとも、大陸から光を奪うこの闇は魔を生み出し、人々を危険に晒し続けるだろう。


この闇を晴らして、光を、そして、〈光焔〉の加護を再びこの地へもたらす。

それが、〈女神の代行者〉に選ばれた、自分たちの使命。


メトセトはアルメリアの手を取って、剣を頭上へと掲げる。


いろんな思い出が胸に込み上げてきた、この旅で見たいろんな光景が順に浮かんでは消えて、心を満たしていく。


ヴェロニカやハインリヒは、自身の運命を呪い、絶望し、すべてに復讐することを誓って剣を取った。

アルメリアは、彼女たちの絶望を目の当たりにしてなお、騎士としての信念を貫くことを選んだ。


自分には、そんな信念も大義もない。

ただ、自分の生まれた意味と、果たさなければならない使命を知った、ずっと心の中で追い求めた答えを知ることができた。


それが、大切なひとや思い出を守ることであるなら、喜んでこの身を捧げよう。


掲げた剣から、焔が再び燃え上がり、柱となって空を覆う闇を突き抜ける。


その光の柱はさらに眩く、大きくなり、やがて、イーゼルガルド大陸全体を包み込んだ。



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