第13話

炎の鬣を持つ巨大な怪物が現れたニューフォージ中央広場。


メトセトはまだ動ける聖騎士たちに協力し、逃げ遅れた人々に手を差し伸べていた。


「助けに来たわ、さあ、早く」


広場の隅の、崩れた瓦礫の影でうずまる女性に肩を貸して立ち上がらせる、幸い大きな怪我はないようだが、恐怖で脚が竦んでいる。


「大丈夫、大丈夫だから……」

「ありが___っあ、危ないッ!」


女性が叫ぶ、視線をやると、目の前に魔物が迫っていた。


「っ!」


咄嗟に片手をかざしていた、白銀の光が手のひらから溢れ、見る間に魔物を焔で包み焼き祓った。


無闇に力を使うことを好みはしないが、こんな状況で、自分を含め誰かの身を守る術をメトセトは他に知らない。


他にこちらを狙う魔物がいないことを確認して、改めて女性へ手を差し出した。


「……行きましょう」


尻餅をついた女性は、唖然としながらもおずおずとメトセトの手を取った。


広場の端のほうには、まだ持ち堪えている聖騎士たちが守りを固める場所がある、メトセトは女性の体を支え、彼女を送り届けようと足を踏み出す。


こちらに気づいた聖騎士が、崩れた壁の後ろから大きく手招きした。


「よし、こっちだ!」


近づくと、聖騎士は身を乗り出して庇うようにふたりを物陰へ急がせた。


「彼女で、最後か」

「はい、あとの方は……」


戦いの邪魔にならない範囲で見て回ったが、どれも皆、間に合わなかった人たちだった。


「いいや、協力に感謝する。……君のその制服、イルミナリスの生徒だな」

「そうです」

「では、あの少女は君の学友だな?」


聖騎士は、物陰から顔を覗かせて炎の怪物に追われるアルメリアを指した。


「はい」

「あの化け物はかつて女神に封印された魔獣だ、ここはひとまず安全だろうから、守りを最小限にして、我々も手助けに……」


聖騎士はそう言うが、メトセトは奥を見渡した。

怪我をして、怯え、身を寄せ合う人々。

彼らを守る聖騎士たちは決して緊張を解いてはいないが、だからこそ消耗している。


メトセトは逡巡した。

アルメリアなら、きっと街の人々を優先するように言うだろう、あの怪物と戦ったところで今の状態では聖騎士は数を減らすだけだ。


そうなれば、助けた人々を守り抜くことが困難になる、今は安全でも、この場所がどうなるかなどわからない。

そして、聖騎士たちのことだって、これ以上彼らが犠牲になることをアルメリアは許さないはずだ。


「いえ。どうか、みんなを安全な場所まで送り届けてください」

「な……っ」


聖騎士は狼狽した、当然だろう。

メトセトは、ヘルムのバイザーが覆うその目を真っ直ぐに見つめ返して、もう一度力強く「お願いします」と言った。


躊躇う聖騎士は短い間に何度もメトセトとアルメリアのほうを交互に見やったが、やがてメトセトの考えに理解を示したのか、重々しく頷いた。


「……恩に着る」


仲間へ指示を出すと、聖騎士たちは救助した人々を連れ、その場を去って行った。


「……」


アルメリアを見つめる、魔獣と呼ばれたあんな怪物を相手に、到底、余裕があるようには見えない。


上空からはリッカの操舵するジェットでアイナスが支援している、メトセトは、彼女たちを信じて見守るしかなかった。


女神は遥か昔に大陸から消えた、そして、代行者と呼ばれる聖女も、今はいない。

アルメリアが、自分たちが、この状況を切り抜けられることをいったい何に祈ればいいのだろうか。




「アルメリア!」


頭上からアイナスの声が聞こえた、見上げる余裕などなかった。


「なんだ!」


怪物の振り下ろした拳を躱す、叩きつけられた広場の石畳が砕け、その下の泥を散らした。

そして、拳を叩きつけたそこから炎が噴き上がる。


降り注ぐ雨や大気中の水分が一気に蒸気へと変わり、視界が一瞬、真っ白になった。


「メトセトが最後の逃げ遅れを聖騎士に預けた、さっさと離れるぞ!」


この状況で唯一の良い知らせだろう、だが、アルメリアに胸を撫で下ろすことを許さないのは、この怪物の存在だ。


鋭い拳の連続、濡れた髪や制服の重たさですら煩わしいほど動き回って、猛攻を掻い潜る。

だが、どうにか直撃を免れても怪物の生み出す炎や蒸気に、少しずつ追い詰められていく。


こんなものを野放しにしたまま、逃げ去ることなどできるはずがない。


「こんな魔物を放って逃げられるか!」

「そいつは魔物じゃねぇ、〈ベヘモス〉ってやばい魔獣だ!」


アイナスがジェットのリアシートから猟銃を撃つ、弾は外れ、地面から泥の柱が舞い上った。


彼女は砂粒に見えるほど先の銀貨すらど真ん中を撃ち抜いてみせる腕前がある、しかし、その弾頭がことごとく〈ベヘモス〉を捉えられないのは、この怪物がそれを避けてみせるからだ。


「だったら尚更だ!」

「バカか、死ぬぞ!?」


二発、三発、排莢と装填を素早く繰り返し弾丸を撃ち出すが、怪物はその身を踊らせ全て躱す。


「クソが、避けんじゃねえっ!」

「合わせろ、アイナス!」

「ああもうッ!回り込んでくれ、リッカ!」

「うん!」


アイナスがトップブレイクの砲身を戻したのを合図に、アルメリアは〈ベヘモス〉へと駆け出した。


懐へ飛び込んできた獲物に、魔獣は炎を纏った拳を打ち下ろす。

小さい頃魔物に腕を喰いちぎられそうになった痛みに比べれば、火傷程度、怪我の内にも入らない。


剣の側面をぶつけて拳の軌道を逸らし、横へステップ、逆巻く炎の熱が眼球の水分を飛ばしてたまらず視界が狭まる、肌を焼かれる鋭い痛みを堪えながら、アイナスたちと対角になる方向へと身を翻した。


「もういっこ貸しだからな、アルメリア!」


アルメリアを追いかける〈ベヘモス〉の、死角から放たれたアイナスの砲弾がその後頭部で派手に爆発する、彼女が滅多に使わない炸薬の入ったバースト弾だ。


よろめいた怪物へとアルメリアが踏み込む、剣を両手で握りしめ一気に肉薄、硝煙を振り払って顔を上げた〈ベヘモス〉の目が、アルメリアを再び捉える。

拳を打ち出させるよりも早く、剣を一閃、魔獣の喉元へ切先がようやく届いた。


この時アルメリアの剣が、その剣閃光とは明らかに異なる何かの輝きを、僅かに、しかしはっきりと纏っていたことを、メトセトは目撃した。

そしてその光が、自分の中の何かと響き合うような感覚が、確かにあった。


「まさか、アルメリア……」


怪物から絶叫が上がる、彼女が切り裂いた傷口には白銀に煌めく焔が揺れて見えた気がしたが、それは一瞬のことですぐに掻き消えた。


致命傷にはならない、後ずさる〈ベヘモス〉は激昂し、一際大きな雄叫びを轟かせて全身から炎を噴き上げた。


捻れた頭部の角は溶け落ちそうなほどに赤く光って、吐き出す息が炎に変わる、手足は赤熱するほど高温に達して、立ち込める蒸気に乱反射していた。


まさしく化け物だった、あんなものを解き放つハインリヒに対して、戦慄を覚える。

己の無力さにアルメリアは歯嚙みした、あの一撃に手応えこそあったものの仕留められはしなかった、それ以上に、結果としてさらに厄介な状態となってしまった。


「くそ……!」


口の中で毒を吐く。

両手で握りしめた剣の柄に、義手の食い込む耳障りな音がした。


「アルメリア、もう充分だ!」


アイナスがすぐそばへ飛び降りて来て、腕を掴んだ。


「だが……っ!」

「このままやり合って勝てる見込みがあんのかよッ!?」


〈ベヘモス〉はその眼に怒りと敵意を静かに燃やし、アルメリア達を睨めつけていた。

そしてその後方、炎の怪物の背中にそびえる大聖堂の上には、ハインリヒの姿があった。


「ハインリヒ……」

「おいっ!急げ!」


TrailHawkに跨ったアイナスが、アクセルを回してアルメリアを呼ぶ。


「アルメリア!」

「……ああっ、くそッ!」


振り払うように視線を切った。

剣をしまい、敵に背を向けて走り出す。

アルメリアが後ろに飛び乗ったのを確認して、アイナスはすぐさまバイクを全速力で発進させた。


その様子を見ていたメトセトを、リッカが迎えに来る。


「メトセトちゃん!」


彼女の手を取ると、そのまま後部座席に引っ張り上げられた、リッカがジェットの推力を上げ、アイナスたちを追ってその場を離れていく。


アルメリアの悔しさは計り知れないが、それでも内心ではほっとしていた。

あのまま戦い続けるのは、無謀であるとしか思えなかった。


ベヘモスに追いかけてくる様子はない。

遠ざかっていくニューフォージ中央広場の大聖堂、その上で、〈闇影の騎士団〉の艦隊が覆う空を背負って、ハインリヒは静かに佇んでいた。


その目は、確かにアルメリアのことを見つめていた。



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