第4-1話 天狐さんは傘に入りたくない。

 チンッ。


 夜のキッチンに響く、オーブンの音。

 オーブンを開けると、中からふわっと甘い香りが部屋いっぱいに広がる。


「おお、いい感じに焼けてる!」


 バットの上に並ぶ、こんがり焼き上がった狐型のクッキーたち。


「……うん。焼き加減、味ともに問題なし!あとは、店員さんおすすめのリラックスハーブティーを準備すれば終わりだね!」


 視線の先にある手のひらサイズの缶。

 つい先日、私が貴重なお小遣いをはたいて買ったものだ。


 店員さん曰く、これを飲むと紅茶の成分がいい感じに作用して、リラックス状態になれるらしい。


「極上の癒しでモフモフを勝ち取る!名付けて、『癒しのティータイム作戦』ってね!」


 両手を腰に当てて、ドヤ顔の私。


 ――ティータイムを楽しみながら休息もできちゃうこの作戦は、まさに一石二鳥……いいや、モフモフも加わって一石三鳥!私って、天才!


「明日が楽しみだな……ニシシ……」


 作戦決行が楽しみ過ぎて、思わずにやけてしまう。

 すると、キッチンの入り口から気配。


「……」

「うわっ!?お母さん!?」

 

 真夜中のキッチンで一人不気味に笑う娘に、お母さんはドン引きしていた。


 ***


 翌朝、いつものように電車を乗り継いで、学校へ向かう。


 ――お、天狐さん発見!


 駅構内は右も左も高校生ばかり。

 だけど、天狐さんは絶対にすぐ見つけられる。


 なんせ、天狐さんの身長は一七五cm。

 人混みの中にいても、すごく目立つ。


「天狐さん、おはよう!」

「……おはよう」


 そう言うと、魚のように口をパクパクさせる天狐さん。


「か、化狩さん……」


 周りの騒音にかき消されてしまいそうな小さな声。


 ――天狐さんが、私を呼んでくれた~!


 今まで意地でも「あなた」って呼んでた天狐さんの口から「化狩さん」って言葉が出てくるなんて。

 嬉しすぎて、テンションが爆上がり。


 ――よし、俄然やる気出てきた!今日の癒しのティータイム作戦を大成功させて!天狐さんを骨抜きにしてやる!


 ***


 放課後、教室の窓の向こうに広がるのはしっかりとした雨模様。


「今日の天気予報って晴れだったじゃん!何で降ってくるの!」


 屋上はもうべたべた。

 ティータイムなんてできる状態じゃない。


 ――今日の作戦決行は流石に無理かな。


 ティータイムをするだけなら、教室ででもできる。

 でも、癒しのティータイム作戦は「天狐さんの休憩の質をよくするお礼に、モフモフをさせてもらう」というもの。

 天狐さんが安心して休憩できる場所でやらないと、意味がない。

 

 ――あれ?雨で屋上が使えないけど、天狐さんはどうするんだろう?


 人間の姿でいるために休憩が必要な天狐さん。

 でも、いつもの屋上は雨で濡れていて使えない。

 なら、どこで休憩するのだろうか。


「……って、あれ?天狐さんは?」


 気が付くと、天狐さんの姿は教室からいなくなっている。


「ねえ、天狐さんどこ行ったか知らない?」

「帰ったんじゃない?さっき、玄関口で見たよ」


 ――だ、大丈夫なの?


 下校途中に変身が解けかけた時のことが、頭を過る。

 あの時も、今日と同じように休憩をしていない日だった。


 ということは……。


 ――天狐さんを守らなきゃ!


 この学校で、天狐さんの秘密を知っているのは私だけ。

 天狐さんを守れるのは私しかいない。


 私は天狐さんを追って、教室から飛び出した。


 ***


 ――天狐さんは私と同じ電車通学。だから、今からでも駅に向かえば会えるはず!


 大急ぎで玄関口へとやって来た私。

 鞄に入れっぱなしの折り畳み傘を手に、いざ雨の中へ……。


「って、天狐さんいる!?」


 玄関口を出てすぐの屋根の下で、天狐さんは一人佇んでいた。


「あら、そんなに急いでどうしたの?」

「天狐さん、帰ったんじゃなかったの?」

「そのつもりだったけど、傘がなかったのよ。いつ降ってもいいように、鞄に入れておいたはずなのだけど……どうやら、勘違いだったみたい」

「そうなんだ。それはお気の毒に……って、違う違う!」


 天狐さんのあまりの落ち着きように、本来の目的を忘れそうになる。


「天狐さん、今すぐどこか誰も来ないところに行こう!」

「……どうして?」


 不思議そうに首をかしげる天狐さん。

 天狐さんはこの前のことを忘れてしまったのだろうか。


「今日まだ休憩してないでしょ!このままじゃ、また大変なことになっちゃうよ!」

「今日は大丈夫よ。雨だもの」

「え?どういうこと?」


 天狐さんは「そう言えば、そうね」と呟きながら、何か納得した様子を見せる。


「まだ話していなかったかしら?雨は私たち一族と相性がいいの」

「それって、つまり?」

「雨の日はあなたが心配しているようなことにはならない、ってことよ」

「じゃあ、私の早とちりってこと……?なんだ~」


 ――天狐さんに何もなくてよかった……。


 安心した途端、身体の力が一気に抜けて、その場に屈みこむ私。

 天狐さんはそんな私をじっと見つめる。


「か、化狩さん……て、……とう」


 何かを呟く天狐さん。

 でも、雨の音にかき消されて、後半部分がほとんど聞き取れない。


「天狐さん。ごめん、聞こえなかった。もう一回言ってもらっていい?」

「なっ!?もう一回……!?」


 天狐さんはブツブツと何か呟きながら、もじもじ。


「ごめん。恥ずかしいなら、無理に言わなくても――」

「シッ!」

「痛いっ!」

 

 鋭い目で睨まれた次の瞬間、ペシッと蹴りをかまされる私。

 しかも、的確に脛を狙うから結構痛い。


 ――気を使ったのに……何で!?


「……って、言ったのよ」

「え?」

「だから、ありがとうって言ったのよ!何回も言わせないで!」


 天狐さんは顔を真っ赤にして、ムッとした表情。

 もう怒ってるのか、恥ずかしがってるのか、判別がつかない。

 いや、きっと両方なのだろう。


「天狐さん。よかったら、一緒に帰らない?」

「もしかして、私に濡れて帰れって言ってる?」

「そんなわけないでしょ!私って、天狐さんからそんなヤバい奴に見えてるの?」


 そんな意地の悪いことは今まで一度もしたことないのに。

 天狐さんからそんな言葉が出てきて、ちょっとショック。


「天狐さん、いい?私が言いたかったのは……」


 傘を開いて、そのまま天狐さんと一緒に傘の中へ。


「こういうこと」

「っ!?」


 突然、沸騰したように顔を真っ赤にさせる天狐さん。

 次の瞬間、逃げるように傘から飛び出す。


「ああもう、本当に……雨でよかったわ……」

「ちょっと!どうして逃げるの!」

「逃げるに決まっているでしょう!あんな……近くに……ハレンチだわ!」

「相合傘って、ハレンチなの?」


 天狐さんの気持ちにまったく共感できない。

 でも、その言動で分かることもある。


「天狐さん、今まで相合傘したことないでしょ?」

「……それくらいしたことあるわ」


 プイっとそっぽを向く天狐さん。

 図星らしい。


 ――モフモフチャンスなのに、もったいない。


 本当ならこのまま限界まで恥ずかしがらせたいけど、流石に場所が悪い。


「じゃあ、相合傘はなしだね」


 私は傘をしまって、その場にしゃがみ込む。


「……何をしているの?」

「天狐さんと一緒に雨が止むのを待ってるの」

「一人で帰ればいいじゃない」

「ええ、嫌だよ。友達を置いて帰るとか、そんな後味の悪いことできないよ。だから、一緒に待つ」


 天狐さんが「馬鹿じゃないの?」というように私を見てくる。

 だから、私はニコリと笑って、「馬鹿だよ」と返した。


「はあ、もう……」


 天狐さんは雨に負けないくらい大きな溜息をつく。


「……傘、貸して」

「どうするの?」

「いいから貸しなさい」


 私の傘を手にし、そのまま傘を広げる天狐さん。


「何やっているの?早く入って」

「いいの?」

「……化狩さんに迷惑かけたくないもの」


 でも、やっぱり恥ずかしいんだろう。

 天狐さんの顔はさっきほどじゃないけど、赤くなっている。


「天狐さん、ありがとう!」


 お言葉に甘えて、傘の中に入る。


 身体が傘から出ないよう、お互いに身を寄せ合う私たち。

 肩が触れ合うと、天狐さんはピクッと肩を震わせるけど、さっきみたいに逃げようとはしない。


 面白そうだから、顔を覗き込んでみる。

 でも、余程真っ赤な顔を見たくないのか、プイっと逸らされた。


「私の傘だし、私が持つよ?」

「必要ないわ。私の方が背が高いもの。だから、持たせて」

「うん。分かった」


 そうして、私たちは一緒に駅へと向かう。


 ――今日はモフモフできなさそうだけど、こんな日があってもいいのかな……?


 いつもと違うしっとりした雰囲気も、意外と嫌いじゃないかもしれない。

 天気予報にない雨にちょっとだけ感謝。


「それにしても結構降ってるね。水たまりもしっかり溜まっちゃってる」

「そうね。足元には気を付けた方が……いけない!」


 突然、天狐さんが私を抱きしめる。


 バシャー。


 次の瞬間、すぐ側を通り過ぎた車の水しぶきが天狐さんの背中に降りかかる。

 気付けば、天狐さんは頭から足の先までずぶ濡れになっていた。

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