天狐さんを化かしたい 〜I want to MOFUMOFU Amagi−san〜

夏黄ひまわり

第1話 天狐さんは化け狐である。

 この高校の屋上には狐がいる。

 まるで夕焼けに染まった空のような鮮やかな赤毛を持つ美しい狐。


 そのことを知っているのはこの学校で私だけ。


 ――お。開いてる、開いてる。


 校舎から生徒がほとんどいなくなった放課後。

 私、化狩友理(かがり ゆうり)は屋上へ向かう。

 

 屋上は普段鍵がかけられ、立ち入りできない場所だ。

 だけど、放課後になるとどういうわけか入れるようになっている。


「っっっ……!!」


 ――い、いた~~♡


 屋上へと続く重たい鉄の扉を押し開けると、そこには赤毛のふわっふわっな毛並みに覆われた狐が一匹。

 屋上の隅っこで丸くなって、気持ちよさそうにお昼寝している。


 ――本っ当にたまんない!ダメだ、もう我慢できない!今すぐモフモフしたい!


 私は足音を殺して、そっと彼女に近付く。


 ――あと少し。あと少し……っ!


「……あ」


 手が届くまであと数歩というところで、彼女はパッと目を開ける。

 バッチリ重なる私と彼女の視線。


 ポンッ。


 次の瞬間、どこからともなく湧いて出た煙が彼女の姿を隠す。


「……まったく、あなたって人は。油断も隙もないわね」


 凛とした声と共に煙の中から現れたのは狐……ではなく、この学校の制服を身にまとった女子高生。


 彼女は天狐慧(あまぎ けい)。

 私のクラスメイトで、クラス一の美人。

 おまけに成績優秀、スポーツ万能な超優等生。


 そして、である。


「あー、もう!何で戻っちゃうの!?モフモフさせてよ!」

「……絶対に嫌」


 天狐さんはシャープでシュッとした目をさらに細くして、私を睨みつける。

 まるで刃物を突き付けるかのような敵意の目は、クラスで「怖い」「おっかない」と評判だ。

 でも、あんなモフモフを目の前にして、怯む私じゃない。


「ええ!?いいじゃん。少しだけ、ね?私たち友達じゃん?」

「私、あなたと友達になった覚えもないのだけど?」

「ええ〜。私たち、もうここで何度も会ってるじゃん」

「勝手にあなたが来るだけでしょう?」


 相変わらずな天狐さん。

 これまで何人もの陽キャたちを粉砕してきた天狐さんの心の壁は伊達ではない。


「……大体、どうしてあなたに身体を触らせてあげないといけないの?」

「そんなの、天狐さんが世界一……いいや、宇宙一モフモフの毛を持っているからだよ!そんな最高のモフモフを前にして、モフモフしないわけにはいかないじゃん?」

「……日本語で喋ってくれないかしら?」

「つまり、天狐さんのモフモフは最強ってこと!だから、今すぐギュッてしたい!お腹に顔を埋めて、スーハーしたい!」


 私の言葉に、天狐さんはドン引き。

 まるで汚いものを見るかのように、私を見る。

 天狐さんへのモフモフ愛を語るのは、どうやら逆効果だったみたい。


 でも、ここで引き下がる私じゃない。


 ――ここまでは想定内。私にはまだ奥の手がある!

 

 私はモフりたい。

 どんな手を使ってでも天狐さんをモフりたい。


「天狐さん、見て!」


 鞄の中に忍ばせておいたそれを取り出す。


「私の家、カガリ豆腐の特上油揚げ!六枚セットで六千円、一枚千円の超高級だよ!」

「……っ!?」


 スーパーでは決してお目にかかれない、輝くような黄金色の油揚げを目にした途端、目の色をガラッと変える天狐さん。


 ポフン。


 すると、頭の上に「ぴょこん!」と飛び出す狐耳。


「やっぱり、油揚げ好きなんだ」


 天狐さんは慌てて自分の狐耳を隠す。


「モフモフさせてくれたら、全部あげるよ」

「……いらないわ」


 プイッと、顔を逸らす天狐さん。

 でも、その瞳は未だ油揚げをロックオン中。


 ――強がってるけど、隠せてないよ……ニシシ……。


 油揚げ作戦は順調。

 ここでさらに一押し。


 私は袋の封を切る。

 袋を開けた途端、油揚げの食欲をそそる香ばしい匂いがブワッっと溢れ出す。


「な、何をする気!?」

「こうするんだよ」


 パクリ。


 天狐さんの目の前で油揚げにかぶりつく。


「うーん、特上うっま~♡」


 口の中に入れた途端、じゅわっと染み出す油の甘味。

 特上と付くだけあって、そこらの油揚げとは段違いの美味しさにほっぺが落ちそうだ。


「……」


 ゴクリ。


 私を凝視しながら、喉を鳴らす天狐さん。


「食べたいなら早く言った方がいいよ。私、待ってあげないから」


 もう一枚をパクリ。

 さらに、パクッパクッ……。


「ああ、口の中が油揚げでいっぱい。最っ高~♡」

「な、なんて贅沢な……」


 恍惚とした表情で舌鼓を打つ私に感覚されて、天狐さんの制服の裾からふわっふわの毛に包まれた尻尾が現れる。


「こんな、あからさまな罠に引っかかるわけには……」

「あ、もう最後の一枚だ」


 ぴくっ、と狐耳が動く。

 油揚げに注ぐ眼差しはこれまで以上に情熱的になる。


「いただきま~す!」

「……ま、待って!」


 最後の一枚が私の口に放り込まれる寸前、ついに天狐さんが絞り出すように声を上げる。


「えっと、その……から、だから……」


 頬を赤くして、ボソボソと呟く天狐さん。


「ごめん。聞こえなかった。何て言ったの?」

「だから、その……」


 視線を右へ左へ、忙しなく動かす天狐さん。

 そして、スカートの裾をギュッと握りしめて……。


「……尻尾だけなら触っていいから。それを食べさせて」

 

 ついに、天狐さんが折れた。


 天狐さんの正体を知ってから約一週。

 何度拒否られても、諦めず通い続けた努力がやっと報われた。


 報われたんだけど……。


「ええ、尻尾だけなの……?」


 モフモフを許可された嬉しさより、尻尾しかモフモフできない不満の方が勝ってしまう私。


「……条件が呑めないのなら、この話はなしよ」

「尻尾だけでいいです。十分です」


 ――はあ、全身を撫で回したかったな……。


「はい、天狐さん。あ~ん……」

「……っ!?あなた、何をやっているの!?」


 油揚げを口に持っていくと、顔を真っ赤にして驚く天狐さん。

 耳と尻尾の毛もブワッと一斉に立ち上がる。


「え?何でそんなに驚いてるの?食べさせてほしいんでしょ?」

「そんなわけないでしょう!どうして、私があなたに……あ、あ~ん……なんて……」


 ブツブツと文句を言い続ける天狐さん。


「照れてるの?」

「ち、違うわよ!」


 そう言って、私の手から油揚げを奪い取る天狐さん。


「モフモフ(?)は、これを食べた後。邪魔したら、なしよ。分かった?」

「うん。分かった」


 一枚千円もするうち自慢の高級油揚げ。

 せっかくなら存分に味わって欲しい。


 ――このうちのリピーターになってもいいんだよ。そしたら、油揚げ貢ぎ作戦でモフモフし放題だからね。ニシシ……。


「それでは……いただきます」


 行儀よく正座をする天狐さん。

 そして、いよいよ油揚げを口に運んで……。


「〜〜〜っ!?」


 油揚げを口にした瞬間、表情がふにゃ~っと緩む。

 尻尾もブンブン振り回して、本当に幸せそう。


 そんな天狐さんの姿を見てると、こっちまで嬉しくなる。


「……ごちそうさまでした」


 そうして、油揚げを食べ終えた天狐さんは手を合わせて、ごちそうさまをする。


「今まで食べた油揚げの中で、一番美味しかったわ」

「うちに来てくれれば、いつでも買えるよ」

「……まあ、考えておくわ」


 そう言うと、天狐さんはその場でくるりと回って、私に背中を向ける。


 ――天狐さんもモフモフ尻尾だ〜〜〜っ♡


 目の前に差し出される天狐さんの尻尾に、私の胸はもうキュンキュンして止まらない。


「……約束だから、触らせてあげるわ」

「分かった!それじゃあ……モフモフするね!」


 そうして、私は念願だったモフモフへ飛びつく。

 その瞬間、天狐さんの尻尾の毛がぶわっと逆立ったけど、そこからはもう大人しかった。


「は~~~~~~~~~~~っ♡最っ高~~~~~~~~~~っ♡」


 ギュッと抱きしめて、顔を擦り付けて、心の底から天狐さんの尻尾を堪能する。


 ――硬すぎず、柔らかすぎずの絶妙なモフモフ具合!香水みたいな甘い匂いもするし……ああ、私の見立ては間違ってなかった!天狐さんのモフモフは、至高のモフモフだ……!


 天にも昇る気持ちとは、まさにこのことである。

 もう幸せすぎて、頭がおかしくなっちゃいそう。


「……あなたって人は、本当に変わってるわね」

「え?そう?」

「だって、普通は気持ち悪いって思うでしょう?私、純粋な人間ではないのだから」

「気持ち悪いって言われたことあるの?」


 そう問いかけると、ハッとした表情を作る天狐さん。


「……教えない」


 天狐さんはプイっとそっぽを向く。

 でも、その反応はもう肯定してるのと一緒だ。


「……」


 まだ一年生も始まったばかりで、私は天狐さんのことをほとんど知らない。

 天狐さんは私のことを友達じゃないって言うし、あまり立ち入ったことは言っちゃいけないのかもしれない。


 それでも、これだけは伝えたい。


「天狐さんを気持ち悪いって言った人、本当にムカつくね!」


 天狐さんの耳が微かに動く。


「こんな最高のモフモフを持ってるの天狐さんが、気持ち悪いわけないよ!むしろ、羨ましいよ。私にも分けて欲しいくらい!」

「……怒るところ、そこなの?」

「え?ダメだった?」

「……いいんじゃないかしら。あなたらしいと思ってしまったもの」


 ポフン。


 天狐さんの全身が煙に包まれる。

 すると、天狐さんは全身赤毛に覆われた完全な狐の姿に変身していた。


 ――ひゃあああ~~~~~!?全身モフモフ来た~~~っ!!!


「で、でも……怒ってくれたのは、嬉しかったわ……あ、ありが――」


 小さな声でボソボソと呟く途中で、息を荒くしてじりじり迫る私に気付く天狐さん。

 野生の本能か、瞬く間に全身の毛が逆立つ。

 

「ね、ねえ。その野獣のような目は何?あなた、今何を考えて……?」

「天狐さん、モフモフさせて……」

「ダ、ダメよ……尻尾だけって言ったでしょう?」


 声を震わせながら、ゆっくりを後ずさる。

 そこにすかさず距離を詰める私。


「いいじゃん、ちょこっとだけ。ギュッと抱きしめて、顔を埋めてスーハーするだけだから、ね?」

「絶対嫌!」


 人間の姿に戻った天狐さんは顔を真っ青にしながら、屋上の出入り口まで一気にダッシュ。

 引き留める間もなく、屋上から姿を消してしまう。


「うう。全身モフモフ、したかった……」


 絶好のモフモフチャンスをものにできず、膝から崩れ落ちる私。

 

「……でも、やっとモフモフできた!まだチャンスはある。このまま天狐さんにアタックし続けて、いつか天狐さんのことを思う存分モフモフしてやるんだ!」


 これは、化け狐の天狐さんが持つ世界一のモフモフを追いかける私の奮闘の物語。

 そして、モフモフを通してかけがえのないものを見つける——私と天狐さんの青春の物語。

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