愛知編:第6話

 第二十六話




 一息ついてようやく呼吸が整ってきたところで、あたしはゆっくりと立ち上がる。周囲を見回すが、あまりに慌てて走ってきたせいで、ここがどこなのかすら把握できていない。


 目の前には川が流れていて、あたりは雑草だらけ。でも、よくよく見ると整備された跡もあった。


「河川敷の公園か、運動場っすかね?」


 倒れていた自転車を起こして、サイドバッグからペットボトルを取り出すと、ごくごくと水を喉に流し込む。ひんやりとした感触が胸に染み渡る。ようやく体の内側まで落ち着いてきた。


「……まさか、あんな巨大な化け物がいるなんて」


 脳裏に浮かぶのは、さっき見たミミズ型の異形。あの姿を思い出すだけで、手のひらに嫌な汗がにじむ。もし実際のミミズと同じ構造だとしたら、地面に潜っていた胴体部分は優に百メートルは超えていたはずだ。


「もう……ゴ○ラでも連れてこないと、どうしようもないっすね……」


 冗談のような呟きを漏らしながら、あたしはリュックから地図を取り出して、周囲の地形と照らし合わせて現在地を割り出していく。


「ここがこうなら……うん、大体の場所は分かったっすね」


 続けてコンパスを取り出して北を確認。方角を把握したうえで地図を仕舞い込む。


「まずは川沿いに北上して、1号線に戻らないとっすね」


 そこでふと、ひとつ思い出す。


「そういえば、持ってきたベレッタ……まだケースに入れっぱなしっすね」


 自転車の荷台に括り付けていたアタッシュケースを開け、中から拳銃を取り出す。チャンバーの確認、弾薬を込めたマガジンの装填、そしてセーフティのチェック。一通りを終えたあと、ホルスターにしまい込んだ。


 予備のマガジンにも弾薬を詰めて、これはコートのポケットに。サイレンサーは取り付けたままだとホルスターに収まらなかったので、こっちもポケットに突っ込む。


 ようやく装備を整え終えたところで、再び自転車にまたがる。ペダルを踏み込み、前へと進み出す。


 天気は快晴で、道にはスライムの影すら見えない。まるでただのサイクリング日和のように、穏やかな風が頬を撫でていった。



 川沿いの舗装道を進みながら、あたしは何気なく川面へと目を向ける。


 すると、水の中に妙な影が見えた。ぱっと見はカエルのよう。でもよく見れば、まるでサメのような尻尾が水を切っていて、水面からは背びれらしきものが突き出している。


 さらに観察を続けると、頭部はサメそのものなのに、胴体にはしっかりと手足が生えていた。そんな――カエルとサメを足して二で割ったような異形の生物が、川を悠々と泳いでいたのだ。


「えぇ……なんすかあれ」


 思わず声が漏れる。混乱する脳が名前をつけようとするが、どんな分類にしても気持ち悪さが勝るばかりだった。


 その時、視線の端に動きがあった。対岸から一匹の巨大なトカゲが姿を現したのだ。どうやら、水を飲みにきたようだった。


 自転車を停めてその様子を見つめる。ふと気づけば、さっきまで見えていた背びれが水面から消えていた。


 トカゲは警戒する様子もなく水辺に顔を寄せ、水を飲み始めた。だがその時、あたしの目に川の中の影が映る。あの異形――カエルザメの影が、水面近くまでせり上がってきているのが見えた。


 次の瞬間、ドバンッという音と共に水柱が上がり、カエルザメがトカゲに飛びかかった。


「うわっ!」


 カエルザメはそのままトカゲの首筋に喰らいつき、水中に引きずり込んだ。トカゲが必死にもがいているのか、水面が激しくバシャバシャと揺れたあと――じきに水が真っ赤に染まり、音が止んだ。


「……サメって、淡水でも生きられるんすかね?」


 呆然と呟きながらも、目は逸らせない。そもそも手足が生えてる時点で、まともな生物とは言い難い。それでも、これまで出会ってきた連中のせいで、あたしの常識はもうすっかりバグっていた。


「っと、こんなところで足を止めてる場合じゃないっすね」


 万が一、さっきのカエルザメがこっちに気づいたら……そのときはきっと、あたしもトカゲと同じ運命だ。


 あたしは慌てて自転車のペダルを踏み込み、その場を離れる。


 川沿いをさらに進んでいくと、やがて前方に見覚えのある標識が見えてきた。――国道一号線の案内板だった。



 国道一号線沿いをひたすら走り続けているうちに、空が茜色に染まり始めた。


 気づけば、道路脇の看板に「豊明市」の文字が見える。今日はこのあたりで寝泊まりする場所を探すべきだろうと、周囲に目を配っていると、ふと目に留まるものがあった。


「中京競馬場……?」


 興味本位で標識に従って近づいてみると、想像していたよりも遥かに巨大な建造物が現れた。コースは雑草に覆われ荒れ放題だったが、観客席はしっかりと形を保っており、その規模に思わず圧倒される。


「競馬場って、想像よりめっちゃデカいっすね……」


 入り口を確かめると、幸いにもドアは開いていた。ライトを点け、慎重に建物内に足を踏み入れる。拍子抜けするほど、中はきれいに保たれていた。


 ざっと見渡す限り、スライムの気配も奇妙な生物の痕跡もない。おそらく、ガラス張りで光が入りやすい構造が幸いして、スライムの侵入を防いでいるのかもしれない。


 六階建ての建物を一つずつ確認しながら登っていく。最上階に辿り着くと、そこにはファミリールームやラウンジシートが並ぶ、かつての上等席が広がっていた。


 ベランダの造りもしっかりしていて、ちゃんと閉め切れば夜を越すには申し分ない。ホテルのようなベッドこそないが、寝袋があればどうにでもなる。


「今日の旅はここでおしまいっすね」


 まずは敵の気配がないか、ベランダの外を確認してから、そのまま外で夕食の準備に取り掛かる。


 本日の献立は、焼き鳥の缶詰と赤飯。それから携帯コンロでお湯を沸かし、固形スープの素を溶かして即席のコンソメスープを作る。


 炊き込みの赤飯に焼き鳥の濃いタレが絶妙に絡み、スープで流し込むと、じんわりと身体が温まる。


 食後の片づけを終え、再び室内に戻る。今日拾ったばかりのベレッタを手に取り、取扱説明書を確認しながら分解と再組み立てを繰り返す。


「ふむふむ、スライドはここで外すっすね……」


 英語表記ではあるが、図解のおかげで手順は把握しやすい。何度か繰り返し操作するうちに、構造と手の感覚が馴染んでくる。


 その後、他の装備もひと通り点検・整理し終えると、あたしは寝袋を広げて眠る準備を整えた。


 遠くで虫の声がかすかに響いている。


 明日の旅路が、今日よりも少しだけ楽になりますように――


 そう願いながら、あたしは静かに目を閉じた。

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