静岡編:第7話

 第十五話




 翌朝――。

 あたしは民泊のベッドで目を覚ますと、身だしなみを整え、乾パンと水で簡単な朝食を済ませる。空は明るく、天気も上々。これなら今日の移動も順調に進みそうだ。


 朝食の後、リュックの中から駐屯地で手に入れた地図を取り出し、畳の上に広げる。

 目指すは静岡市内。とくに清水区にある市役所を次の目的地に据えることに決めた。


 この地図には地形や主要道路の情報はしっかり載っているが、細かな施設――たとえばスーパーや商業施設、住宅街の情報などは描かれていない。

 だからこそ、市役所のような公共施設で観光ガイドや地元のマップが手に入れば、より効率的な探索ができるはずだ。


「ま、役所が残ってりゃの話っすけどね」


 ひとりごちて、地図を折りたたみリュックにしまう。

 それから装備の点検に移る。拳銃のセーフティ、マガジンの残弾、小銃の状態、バールのグリップ。念のためすべてを確認してから、タクティカルグローブを締め直す。


 リュックを背負い、最後に民泊のドアをそっと閉じると、あたしは再びこの壊れた世界に踏み出した。


 幸い、今日は快晴。まぶしいほどの陽光が地上を照らし、あの厄介なスライムどもの姿はどこにも見当たらない。


「絶好のサイクリング日和っすね」


 自転車のスタンドを蹴り上げると、軽やかにペダルを踏み込む。

 行く先は静岡市・清水区市役所。

 道中で何事も起こらないことを祈りつつ、あたしは前へ前へと進み出した――。




 道中、崩れた橋や線路を跨いで転倒した電車など、行く手を阻むトラブルに何度か遭遇したが――

 何とか静岡市内の清水区役所前まで辿り着くことができた。


 辺りは静まり返っており、人の気配は一切感じられない。

 とはいえ、今回の建物にはバリケードのようなものは見当たらず、出入り口も無傷のままだった。


 あたしは入口近くに自転車を停め、サイドバッグから予備の弾薬をポケットに詰め込む。

 慎重に正面玄関へと歩み寄り、ヘルメットのライトを点けて中を覗き込んだ。


 ライトの明かりが届く範囲には、特に目立った危険はなさそう。

 スライムが数匹這っているだけで、今のあたしなら問題なく対処できる。


「なら、行くっすよ」


 バールの先端をドアの隙間に差し込み、ぐっと力を込めてこじ開ける。

 その音に反応したのか、内部のスライムが二匹ほどのっそりと近寄ってきた。

 しかし、その程度ならむしろ準備運動。バールを振るって順番に叩き潰す。


 そうしてエントランスへと足を踏み入れると、すぐ目につく場所に観光パンフレットが陳列されていた。

「ありがたいっすね」

 一番の目的だった地図類を確保できたことで、まずはひと安心。


 次に向かうのは物資と資料探し。

 エントランスにある案内板によると、この市役所は地上九階・地下一階構造になっている。

 地下には食堂と売店があるとの表記があり、もしかすれば非常食なども残っているかもしれない。


 期待を込めて地下へと向かうと――


「当たりっすね!」


 棚には保存食やレトルト食品、缶詰類がずらりと残されていた。

 驚くほど荒らされた形跡はなく、段ボール箱のまま積まれたものもある。


「これだけの物資、よく無事だったっすね……」


 少し不審に思いながらも、手に入るなら有難く頂くべき。

 あたしはリュックに食料を詰め込み、地上一階へと戻った。


 その後は各階を順に探索していく。

 二階・三階では特にめぼしい発見はなかったが、四階の都市計画課らしきフロアでは、周辺エリアの詳細な地図や建築資料を発見。

 中には観光地の構造図などもあり、一部をリュックに収めていく。


 そして五階へ向かおうとした、そのとき――

 階上から微かな物音が聞こえた。


 警戒心を高め、足音を立てないように慎重に階段を上がる。

 そして五階フロアが見え始めた位置で、そっと身を伏せて廊下の奥を覗いた。


 窓から差し込む自然光に照らされて現れたのは――

 ハエトリグモを巨大化させたような異形の存在。

 その大きさは、大型犬ほどもあり、しかも複数体が廊下を徘徊している。


 耳を澄ませば、さらに上層階からも足音のような響きが聞こえてくる。


「なるほど……食料もバリケードも手付かずだった理由、わかっちゃったっすね」


 あの蜘蛛どもが居座っていたからこそ、人は近寄れなかった。

 あるいは、近づいた者は皆、奴らの餌になったのかもしれない。


 ゾクリと背筋に悪寒が走る。

 あたしは急ぎ足で階段を引き返し、一気にエントランスまで戻る。


 道中、奴らと鉢合わせることはなかった。

 自転車のもとへと走り、リュックの荷重を調整しながらサドルをまたぐ。


「必要なパンフレットや地図、食料も補充できたっすし……十分っすね」


 太陽の光が差す方角を確認すると、あたしは再びペダルに足をかけ、静かに市役所を後にした――。




 市役所を後にし、しばらく走ったところで視界に広がる公園が目に入る。

 少し休憩をとろうと思い、自転車を停めてベンチに腰を下ろした。

 リュックから取り出したパンフレットを広げ、今日の宿泊候補を探していく。


「観光名所とかは今はどうでもいいっすけど、宿の情報は助かるっすね」


 温泉宿の文字が目に留まる。

「温泉って、こんな状況でもまだ入れるんすかね……」

 独り言を漏らしつつ、道中に立ち寄れそうな宿泊施設の中から「ホテルホーク静岡」という名の温泉宿を見つける。


「泊まる場所は必要っすし、とりあえず行ってみるっすよ」


 パンフレットを丁寧に折り畳みリュックにしまうと、再び自転車にまたがって走り出す。



 静岡駅周辺は建物が密集していて、多くのホテルが目に入る。

 地図を確認しながら、目的のホテルを探していく。


「ホテル名は確か、ホテルホークだったっすよね……あ、ここっすね」


 その建物には確かに『ホテルホーク静岡』の看板が掲げられていた。

 入り口は施錠されていたが、慣れた手つきでバールを差し込むと、力を込めてこじ開ける。


「温泉……使えるといいんすけど」


 ぼそりと呟きながらエントランスへと足を踏み入れる。

 広い館内にしては、スライムの姿がほとんど見えないのが気にかかる。

 油断せず探索を続けると、案内板を見つけた。

 そこには館内の見取り図があり、大浴場の位置も明記されている。


「よし、覗いてみるっすかね」


 大浴場へ向かい、浴室のドアを開けると――

 そこには空になった浴槽が広がっていた。


「やっぱダメっすかね……」


 半ば諦めつつ、試しに蛇口をひねってみると――

 温かいお湯が流れ出てきた。


「マジっすか⁉ 温泉、生きてるっす!」


 歓喜の声をあげながら、浴槽にお湯をためはじめる。

 お湯が溜まるまでの間、館内の安全確認と物資の探索に取りかかる。

 時間をかけて丁寧にすべてのフロアを確認し、スライムや化け物の気配が一切ないことを確認すると、安心して大浴場へと戻った。


「久しぶりのお風呂~♪ しかも温泉っすよ~♡」


 上着を脱ぎ、丁寧にたたむと下着も脱ぎ、近くにあった籠に収める。

 浴室に入り、風呂桶にお湯をくんで頭からかぶる。


 以前手に入れておいたアメニティグッズを取り出し、シャンプー、トリートメント、ボディソープを使って髪と体を洗う。

 久々にしっかりと体を清めたあたしは、満ちた浴槽へとゆっくり足を沈めていく。


 ちょっと熱めのお湯。けれど、それが心地よい。

 体全体を湯が包み込む感覚に、思わず声が漏れる。


「あぁ~、極楽っす~……」


 全身が溶けていくような心地よさ。

「今ならあたしもスライムになれそうっすね~」


 そうしてしばらく温泉に身を預け、心ゆくまで温もりを味わった後――

 髪と体を拭いて水気を取り、清潔な服に着替えると、事前に安全を確認しておいた客室へ向かう。


 扉をロックし、荷物を下ろすとそのままベッドへ倒れ込む。

 けれど、次の瞬間――お腹がぐぅ、と鳴いた。


「そういや、晩ごはんまだだったっすね……」


 あたしはのろのろと起き上がると、リュックから缶詰を取り出す。

 昼間、市役所で見つけた焼き鳥の缶詰に加えて、駐屯地で手に入れていた白米とたくあんの缶詰も開ける。


「たくあんの缶詰、意外といけるっすね」


 缶詰の焼き鳥もなかなか美味しく、しみじみとした満足感に満たされる。

 食後の片付けを済ませ、歯を磨くと、あたしは再びベッドに身を預ける。


「温泉、気持ちよかったっすね……今後の旅でも、温泉見つけたら絶対入るっすよ……」


 ぼそりと呟くと同時に、まぶたがゆっくりと閉じていく――

 心地よい疲れと満腹感の中、意識は穏やかに沈み込んでいった。

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