ひともどき

シンシア

ひともどき

 ──第72回NHK紅白歌合戦。


 命を必死に抱えて、生きろ。と魂の叫びを歌った一人の歌い手のこと。


 髪も肌も真っ白。吸血鬼ぐらい白い見た目で、某闇の魔法使いみたいな黒の衣装を身にまとう。手の震えでマイクを落としてしまわぬように、右手とマイクを包帯でぐるぐる巻きにした彼のこと。


 替えのきかない人なんて、この世界には誰一人として存在しないのかもしれない。だけど、彼と出会うことができて日本で最も大きな音楽番組で、堂々と「歌い手」として大切な借り物を歌い上げる彼の姿に、感動することができたことは替えのきかないたった一つの思い出なのだと思う。



 ──自分の「好き」をとにかくリストアップして「異種好感度選手権」を開催したとしても、私の玉座はきっと空のままだ。これからの人生で現二番、三番、四番目以降の選手が、彗星のごとく現れた新手に倒されたり、下剋上が起こるなどして、順位の変動は半永久的に行われるだろう。それでも、きっと一番好きなものという場所に誰かが、何かが、そこへ治まることは金輪際ないのだろうと思う。




 音楽が嫌いでした。


 ひとつ理由を挙げるなら、明るすぎるからです。


 世界ってこんなにいい場所なんだよ。みんなで助け合い笑い合って生きようよ。どんなことも一生懸命やれば成功するからさ。愛ってとっても美しいもので……。みたいなわかりやすく明るいメッセージをポップに仕立て、ポジティブな感情からポジティブを歌うもの。


音楽には世間でたくさん流れているような、明るく美しいキャッチーな思いが込められたものしかないという認識でした。それらがどうしても自分には合わなかった。もっと言えば、彼の音楽と出会うまでに、音楽の楽しさや素晴らしさを理解する機会に、巡りあうことができませんでした。


私は音楽を聞いて頑張ろうと思えるほど、音楽が好きではなかったのです。きもちが落ち込んでいるときに、自分は明るすぎるそれらを聞いて頑張ることができなかった。


 しかし、彼の音楽は世間の音楽とはどこか違っていて、ネガティブな感情をネガティブに歌っているように感じました。世の中への不平不満やうらみつらみを歌詞にのせる。嫌なものを嫌だといい、誰かの大きさよりも自分の小ささを叫ぶ。それでも負のきもちの根本は確かな生への憧れがあるように思える。彼の音楽は私のこれまでの音楽の認識をゆるがす、ある種のカルチャーショックのようでした。


明るい音楽が、うずくまったまま動けない自分の背中を押してくれたり、前から引っ張ってくれたり、遠くから呼んでくれるように感じるものだとすると。


彼の音楽は、となりで一緒にうずくまってくれたり、近くで横をあるいてくれたり、前に進めないのなら横道を教えてくれるように感じます。


気分が暗い時に、ネガティブな音楽を聞くから頑張れるんです。余計に気分が落ち込まないのは、暗いことを歌う彼が一番、生をうらみながら愛しているのだとわかるからです。彼が自分の代わりに、いいたいことを叫んでくれるから頑張れるんです。



 彼のライブで好きなコール&レスポンスがありまして。


「脱落人生へようこそ」という曲のサビ部分。「死にたい!」と彼と一緒に叫べる部分があるんです。字面だけを見ると、とても危ない集団に早変わりするわけですが、もちろん次に続くのは生きることへの渇望感です。この歌はしっかりと生への執着を歌っていますので危ない曲ではないです。安心してください。「知りたい!」も「いらない!」も「生きたい!」も叫びます。


ただ、「死にたい!」なんて叫んでもいい場所は多くありません。当時の私が死を選ぼうとしていたわけではないのですが、「死にたい!」と思ったり声に出しても、誰かに変だと思われたり、心配をされない空間が存在するのだとわかったことが何よりも嬉しかったのです。ライブ特有の会場の一体感もあいまって、もうこれがとても気持ちよかったことを覚えています。


 彼を語る上で絶対に外せないのは「声」です。特筆すべきは声の高さと耳触りの良さ。つまりは、体をとおり越してそのまま天へ突き抜けるようなハイトーンボイスが魅力的というわけです。キンキンとする高音の成分が限りなく落とされたみたいな抜け感の良さが生み出す、強烈な上方向への推進力がたまりません。


 現在のJ-POPは高い声で歌える歌手で溢れています。音楽自体もただキーが高いだけでなく、おどろくほどに細かいメロディに信じられないほどの高低差がつけられているものが多いので、高音が出せるということがボーカルのアピールポイントとして弱くなってきているのだと思います。むしろ歌える音域の広くあってしかるべきもの。それでも私は、彼の高音には他のどんな歌手にも負けない魅力があると強く主張したい。



 ──「好き」という曖昧な感情を細かく分類するような言葉が、数多く生み出され続けているが、そのどれもが本人の熱量や好きの度合いを正確に測るための言葉ではない。単に自分が「好き」だということを主張するためのアイコンでしかない。「推し」という言葉はその最たる例である。


数多くあるジャンル一つずつにそれぞれ存在するような「推し」。生涯応援すると誓いを立て、眼を捧げる対象としての「推し」。同じ「好き」でも使う人によって対象へ向けられる熱量や気持ちは全く異なる。そのズレを生み出している原因をこう考える。「好き」という言葉が「愛」と同じくらい人類にとって考察不足な感情だからである。




 タイトルの『ひともどき』は彼の楽曲から盗りました。この曲は彼の活動の中でも大きな区切りの曲だといえます。そういう意味で好きな曲でもありますが、何よりこの曲で歌われていることが好きです。


 自分はここにいるのに、ここにいないみたいに思うことがあります。人間が恐いです。自分も同じ形をしているはずなのに、どうしてこんなにも人と違うのだろうと考えない日はありません。人が当たり前にできていることが自分には当たり前にできない。それどころか、どんなに苦労してもできない。誰かの普通の中に自分の普通がないことがとても恐ろしいのです。


『ひともどき』が公開されたのは2020年の10月18日。この日付は彼の誕生日です。もちろん大切な日なので、ただでさえ感傷的というか感情が動きやすい日です。そんな日に初の顔出しMV、彼個人に近しいと感じる感情的な歌詞、ど真ん中バンドサウンド。それだけでも、両手を上げながら涙腺崩壊感動ものなのですが、自分が日々抱えていた恐さと似たような心情を歌っているのだと傲慢にも思うほど、歌詞に強く惹かれました。


 そして、私が彼の歌を初めて聞いた時にも感じた、彼の音楽の代弁者としての側面をより色濃く感じる曲です。ここまで書いてしまったら、恥ずかしいのではないかと思うラインを平気で飛び越えたような、口や喉よりも心臓から飛び出すような、血の赤にほど近い鮮烈な言葉には本当に驚かされますし、心を動かされます。


 もう一度書きたい。世間で流行っている曲らと彼の音楽が圧倒的に違うのは、この歌詞から伝わる書き手と読み手の距離間。コール&レスポンスと同様に誰かに言ったら変だと思われるか心配されること、誰にも言えないことを代わりに歌ってくれる感覚を覚えることです。彼の音楽を聞いていると、自分のかたちを肯定してくれているような気さえします。


 ──「好き」と「嫌い」の間に存在する空間よりも遠い場所に「無関心」はある。しかし、好きなものへ向ける感情として「嫌い」を抱き続けることが健全であるはずがない。好きなものの嫌いなものは大抵が膨大な好きを前にして見えなくなるか、好きに比べて嫌いが小さすぎるから気にならないのどちらかである…………と断言はしたくない。

好きなものに「無関心」を抱きたくないから「嫌い」を向けるのだ。一つのものを「好き」であることに対して多くの熱量を注ぎ続けられることは尊いことで正しいことであるが、「好き」なものを「嫌い」になった人も同じくらい尊いことで正しいことであるのだと主張したい。


 2022年。紅白歌合戦を経て好スタートを切るように思えた年。あることを境にして、彼の曲を聞かなくなりました。なので、おそらく今の私の状態は外から見れば「好きだった」なんです。でもだったじゃないのです。だったっていいたくない。好きでいたかった。好きで……。


 彼を好きでいられない理由に彼を持ち出した時点で、私の中の「好き」は歪んでいくのです。それでも、彼のことを「好き」の対極に存在する「無関心」になりたくないし、だったにもなりたくないので、「嫌い」っていい……たいわけがないです。頭でわかったとしても、胸の痛みが消えるわけではありません。


行き場のない想いや胸につっかえた曖昧模糊とした感情を伝える言葉を。「好き」でも「嫌い」でも「無関心」でもない言葉を。それこそ誰かに代弁され、与えられたものではなく、自分で探して当てはめたいです。そして、彼から教わった自分のかたちを今度は自分で肯定できるようになりたい。


 天使みたいな歌声の彼と出会って音楽の楽しさを、この世界の愛おしさを知りました。間違いなく私の中心には今でも彼の姿があります。彼の曲を聞かなくなった今、このエッセイを書くことでわかったことも、わからなくなったこともあります。


 ですが、一つだけ確かなことがあります。


 あの日までの、まふくんが好きです。

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ひともどき シンシア @syndy_ataru

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