第6話・ヒグマとの戦い



「逃げたい、やめたい、帰りたい」

「つべこべ言うな、覚悟は決めたんじゃろ」


 最初に魔力コントロールの方法を学び、そこから【煙の魔法】を習得し、その後に全身筋肉痛になりながらも【身体強化の魔法】を常時発動できるようにした。


 そこからはひたすらに師匠と戦い戦闘経験を積んだ。

 もちろん、日本生まれ日本育ちの僕にはまともに喧嘩をした経験すらない、何度地面とキスしたかも忘れたほどだ。



 だが、そんなある日ボソッと師匠が呟いた。



「そろそろ実戦経験を積ませるべきじゃの…」

「実戦経験?今、まさに師匠と戦ってるじゃないですか?」

「違うわい、こんなのただの組手と変わらんわ。もっと、命を懸けた“本当の闘い”をお前には学んでもらう」


 つまりは、本当に死ぬかもしれない戦いに駆り出されるということだ。

 そして、これまでの傾向からして必ず師匠がやると言えばやるのだ。


 ゲロを吐こうが、筋肉痛で動けなくなろうが結局やる羽目になる。


「…相手によります」

「ふむ、そこが問題なんじゃよな。今の平和な時代にお前を殺しに来る奴なんておらんし、こういう時にちょうど良く相手がいればいいんじゃが……ちょっと待っとれ、電話じゃ」


 すぐに戦わされるわけではないことを聞いてほっと胸をなでおろすが、その安心感はすぐさま気泡のように消え去ることとなる。

 と言うのも、電話を取りに小屋に戻っていった師匠がニヤニヤした表情で戻って来たのだ。


「……聞きたくないです」


 嫌な予感がマックスになった僕は思わず両耳を塞ぐ、しかしそんなことをお構い無しと言わんばかりに何があったのか風の魔法で直接耳に伝えられる。


『ヒグマが出たそうじゃ』

「勘弁してください!!本当に死にます!」


 思わずそう口に出す。

 そう、異世界に転移させられた初日に出会ったのがヒグマだった、その恐ろしさに思わず気絶し、師匠がいなければ危うくそいつの夕食になるところだったのだ。


 実際には僕たちの夕食になったわけだが。

 そういうわけもあって僕は絶対にアイツとは戦いたくなかった。



「わからんぞ、今のお前は最初にいた泣き虫小僧ではない。嘔吐し、筋肉痛を乗り越え、何度も地面に転がされても諦めず立ち上がって来た。少なくとも半人前の魔法使いと言えるじゃろ」

「し、師匠!!……僕、行きます!」


 そこまで、言われるのであれば僕も師匠の弟子として引くわけにはいかない。

 それに、ヒグマには初日に気絶させられた借りもある、別個体とはいえ返すのはやぶさかではない。



「ちょろいの…」

「何か言いました?」


 何か言った気がしたので振り向くも、すぐに目を逸らした師匠がいるだけだった。まあ、特に何もないのだろうと早速、ヒグマ討伐の準備をし始めた。




***




 そして、翌日――冒頭の時間軸に戻るというわけだ。


「…やっぱり、怖い」

「あのテンションがもったのは一日だけじゃったか」


 あの遠足前のテンションがもったのはその日一日だったらしく翌日になっていざ出発となると恐怖心が蘇ってきてひたすら後悔し続けていた。



「ほれ、儂がついてくるのはここまでじゃ。後は頑張るんじゃぞ」

「…師匠、骨は拾っといてくださいね」

「わかっとるわかっとる、頑張るんじゃぞ~」


 ひたすらビビった僕はある程度まで師匠についてきてほしいとねだって何とかついてきてもらったが、その間に熊は現れることなく、出てきたら師匠に倒してもらう計画は失敗に終わった。



「……逃げたい」


 だが、もう森のど真ん中のため逃げるにしても獣道を熊と競争するのだけは避けたい。

 ならば、安全に帰るためにはあのヒグマをぶっ殺すしかないだろう。


「…とにかく、準備するか」


 この日のためにヒグマの野郎のことはよーく研究してきた。


・体重は推定約200~400kgほど、大きい個体はもっとあるらしい。

・時速は大体50km/hで走行可能、普通の人間なら走って逃げきるのは不可能

・攻撃力は前足の一撃で人間の頭蓋骨・胸骨を粉砕可能

・知能は非常に高く、トラップや追跡を回避する力がある。

・臆病さも持ち合わせており、人間を避ける傾向もあるが、一度的と認識すると容赦なく襲う


 無理だ、どう考えても勝てる相手じゃない。

 師匠の場合は銃の名手でもあったため一撃で倒したが普通に考えて勝てる体重差じゃないし、おそらくメイン攻撃の煙の斬撃も致命傷にはならないだろう。



「…あっちの攻撃は一撃なのに、僕の攻撃はへっちゃらってどんだけ強いんだよ……マジで、日本の猟師ってすごいんだな」


 ぐちぐち言いながらも準備をそそくさと進める。

 もし、この間にヒグマに見つかれば僕はまた天に昇りあのクソッたれ女神の面を拝むことになるだろう。




 もちろん、あんなのと正面戦闘をする気は全くない。


「よいしょ…やっぱり便利だな【身体強化の魔法】って、固い地面もすらすら掘れちゃう」


 当然、落とし穴である。

相手の攻撃が届かない場所でこちらは安全圏から攻撃し続け奴を倒す。


 これでうまくいけばいいが、熊もバカじゃない。

あいつは普通にトラップを仕掛けても回避してくる可能性がある。


「もし、餌とかあればな…」


 近くに川などあれば魚などを調達してこのトラップの餌として使いたいのだが生憎なことに近くから川の音も聞こえないし、他の動物が近くにいるような音も聞こえない。


 なら、どうするか?無論、餌を用意するのだ――


「……最悪だ」


 思わず口からそう零れた。

そこら中にあるひっかき傷、つまりはこの辺にヒグマがいる。

 

もちろん、ここに来たのはヒグマをトラップに嵌めて殺すためである。



「グルルゥ!」

「…始めるか、止まったら死の鬼ごっこをさ!!」


 どうやら相手も腹の虫が悪いようで、こちらを見た瞬間に得物だと察知して全力疾走してくるヒグマ、その推定時速は50㎞/hなのだ。

 これは、なんと自転車や一般的な人間の全力疾走の約二倍と来た。


「くっそ!!早すぎるだろ、岩場で少しくらいスピード落とせよ!」

「グルゥ!!」


 相手はこの獣道を常用しているガチの獣、地の利も相手にある。

証拠に、阿歩炉は徐々にヒグマに追いつかれつつあった。


 だが、妙なことにすぐに追いつかれることはない。

いくらバレー部だったとしてもここまでのスプリント力は阿歩炉にはないはずだというのに――



「マジで、助かってるよ【身体強化の魔法】にはさ!」


 そう、身体強化の魔法は込める魔力が強ければ強いほど回すのは難しくなるが、その分だけ身体強化の度合いは上昇する。

 そこで、僕は身体強化の魔法の訓練時に鍛えられた体といつもより多めの魔力を使うことで何とかギリギリ捕まらずに獣道を駆け抜けていた。



「よし、このまま行けばポイントに誘い込め…うぉっ!」


 一瞬、よそ見をしたその瞬間急に高低差のある岩場に足を引っかけ前のめりに転ぶ。

それを我幸いにとばかりに鼻息荒く、涎をまき散らしながらヒグマは接近してくる。



「っ、あ……」


 逃げようとしたその一瞬、目の前に来たヒグマを見て動きが止まる。




 フラッシュバックした、あの日の光景――異世界に来て、初めて出会った命の危険、それは確かに阿歩炉のトラウマとなって体に刻みつけられていた。


 心臓が早鐘を打つ、ドクンドクンと死期がそこまで迫る。

 頭蓋骨や肋骨を砕き、肉を抉り、内臓をまき散らさんと迫るあの前脚が――


『大切なのは自分が何をしたいかじゃぞ』


『だがな魔法でも科学でも人間が想像できることで実現が不可能なものはないのじゃ』


 僕は、何をしたかった?走馬灯のように記憶が流れ込んできた。


 この自問自答ももう慣れてきた、そんなのは明白である。


(帰りたい)


 たとえ、ゲロを吐こうが、全身が筋肉痛になろうが、ヒグマと戦うことになろうとも――



(それでも、僕は帰りたい!!)



 日本に帰る、帰ってお母さんとお父さん、友達、クラスのみんなとまた会いたい。

 なら、どうすればいい、どう想像すればヒグマを殺せる?


 人間が想像できることで実現不可能なことはない、だがそれが妄想であってはならない。

ヒグマを倒すのは妄想だったか?――いや、違う事前にヒグマのことを調べて、罠も準備して、逃げ切る用意もしてきた。



「だから、お前に負けるか!切って【煙の魔法】」


 大した意味はないだろうと正直あまり期待していなかった煙の魔法による斬撃、それを咄嗟に僕は放っていた。

 だが、予想外だったのは手刀と共に放たれたその一撃は前足の攻撃を一瞬だけ遅らせた。


「うぉっ…っと、逃げろ!!」


 そこから全力で身体強化の魔法を発動してダイビングスライディングで死地を脱した僕は全速力でポイントに向かった。

 その上、行幸だったのはヒグマには本能的に煙を嫌う習性があるため斬撃の後にまき散らされた煙が僕への進行を止めたのだ。



「グルゥオォォォ!!」

「ひぃぃぃぃぃ!?」


 だが、完全に怒らせたらしく血走った目で僕を追ってくる。

その姿を見て、思わず震えあがるも今度はあんなへまをしないために足元も確認しながら進んでいく。




「だけど、これでチェックメイトだ」


 全速力で走り出してまだヒグマはしつこくついてきている。

だが、それこそ僕の狙い通り――もちろん、このまま単純に罠を飛び越えてアイツが落とし穴にはまるのを期待するなんてことはしない。




 だからこそ、仕掛けていた第二のトラップを作動させるのだ。




 さて、ここで誰に言っているかわからないが問題だ。

 魔法を発動させるためには何が必要だろうか――今更だが、答えは想像と魔力だ。



想像が魔力を形作り、僕のように煙を展開することができる。



 だが、その魔法は果たして常に僕の近くでしか発動しないものだろうか、答えは否である。

魔力と想像をすれば魔法は発動する。



 これは、僕が【身体強化の魔法】の特訓の時に何度も電撃を浴びせられた時に思いついた方法で、ずっと不思議に思っていたのだ。



 何の変哲もない腕輪が【身体強化の魔法】を解除すると電撃が来るのだ。

特徴があるとすれば、この腕輪は魔力を帯びていた、それも師匠の魔力だ。



『【煙の魔法】……できちゃったよ』


 と言うことで試してみた。

そこら辺の適当な石に魔力を込めて遠隔で煙幕を発動できるか試したのだ。

結果は、発動可能である。



 もちろん、物の耐久力によって込められる魔力の量は異なるがここにはいくらでも魔力を込められる木がある。



「起動しろ【煙の魔法!】」


 そう詠唱すると、さっきまでヒグマが通っていた道から煙幕が出現する。

それだけではない、辺りの木からも煙幕があふれ出しでいた。



 この狙いはヒグマの退路を断つことともう一つある。



 この魔法で作り出した煙は僕によって精密とは言えないがある程度は操作ができる。

煙幕の空間は本能的に煙を嫌うヒグマの習性からすれば臭くてたまらないだろう。



 そこで、罠までの一本道だけを煙が入らないようにした。

もちろん、人間がこれを見れば罠だと一発でわかるだろう。


 しかし、相手は人間じゃなくて獣だ。本能的に嫌なものからは避けたくなるのは世の理だろう。



「グルゥウアァァアァ!!!」

「‥‥そう来ると思ってたよ」


 煙が晴れて生まれた一本道の先で僕を確認したヒグマは一目散に迫る。


だが、その凶悪な前脚が再び僕に放たれることはなかった。

 無事発動した落とし穴は重力に従ってヒグマを穴の底まで引きずり込ませるのであった。



「グルルルッ!!」

「僕の勝ちだ」


 上からヒグマを見下ろす、このシーンを手繰り寄せるために命を懸けた自分の頑張りとヒグマを落とし穴に落とした優越感で少し、脳がとろける感覚がした。


「…でも、ここからが地味に大変なんだよな」


 そこそこ深いとはいえ、この落とし穴に落ちた程度じゃヒグマは死なない。

なので、ここからはちまちま攻撃して倒れるまで粘ることになる。


「やってやらぁ!!」



***





 そして、ちまちまと煙の斬撃をヒグマに放つなどしてかなりの長期戦になりながらもやっとヒグマの討伐に成功した。


「銃の一丁や二丁くらい持ってくればよかった‥‥」


 ぶっちゃけ素人が当てられるものじゃないと、作戦のうちには特に加えなかったがここまで追い込めたなら下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるし火力要因として持ってくればよかった。



 なんて、後悔しながらもヒグマの一部を切り取りあの小屋にまで帰ってくるのは明け方になっていた。



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