トドオカ氏はいかにしてNTR作家になりしか

武井稲介

トドオカ氏はいかにしてNTR作家になりしか


「トドオカ先生、NTR小説の仕事を請けて頂けた件、大変ありがとうございます」

 私が文芸部へと異動になってからもっとも力を注いできた企画。それがトドオカ先生に依頼していたNTR小説だった。

 書評やVTuber活動で活躍されているトドオカ先生にとって、小説は初めての仕事だ。緊張と不安はあるが、私は十分に先生をアシストして絶対に成功させると意気込んでいた。

 編集者人生、いや、人生そのものを賭けていたといってもいい。

「すまへんな。執筆開始までずいぶん時間がかかってしもて」

 打ち合わせ御用達の喫茶店でトドオカ先生は、申し訳なさそうに頭を下げた。

 トドオカ先生はメディアには一切顔を出すことはないためその風貌や性別はいろいろ言われているが、実際は清潔感のある紳士だ。

 ここだけの話、顔を出したほうが女性ファンが増えると思う。

 胡乱な関西弁もギャップがあって人気が出そうだ。

「コンディションを整えるのに時間がかかってしもたわ」

「多忙な先生ですから、仕方のないことですよ」

 私はそう答えたが、実のところ、一点だけ心配があった。

 本当に小説が仕上がるのか?

 トドオカ先生は本当に小説を書き上げてくれるのか、という点である。

 実のところ、かなり一年半ほど前には小説執筆の依頼をしていたし、その話自体はスムースに請けて貰えていた。だが、その先はとんと話が進まない。

 その期間に私生活では学生時代から交際していた妻と入籍し、今月中にも出産が迫っているくらいだ。出産直前にトドオカ先生の仕事が本格的に始動してしまって忙しくなりそうなのはつらいところだが、この機会を逸したら二度とチャンスはないかもしれない。

 もっとも、トドオカ先生は一度請けた仕事は常に完遂してきたと聞いている。その点には定評があるから不義理をする人物だとは思っていない。きっと、再始動までに時間がかかったのは既に請けていた仕事で多忙なだけだったのだろうとは思うが、しこりは残る。

「小説の内容については、以前打ち合わせした通りのNTRものでよろしいでしょうか? 先生」

「ええ、まあ」

 トドオカ先生は面はゆそうに微笑む。

「しかし、改めて考えると、こんな作品が読者に喜んで貰えるんかが疑問に思えてきたわ」

「……とおっしゃいますと?」

 私は、トドオカ先生の表情に陰りを感じて、聞き返した。

「それは、トドオカ先生が書く小説の出来に自信がないというお話でしょうか」

「それもあるんやけど……」

 トドオカさんは少しだけ眉に皺を寄せた。

「小説は初挑戦やから、絶対おもろいもんができるとは思ってないで。せやけど、この一年ほどNTRについて真剣に考えて、本当にこないなジャンルが人気なのかと考えてしもてな」

 トドオカ先生の話に私はぎょっとする。

 この一年真剣にNTRについて考えたと言ったのは、それは、つまり、この一年かけて一人でNTRについて考えていたのだろうか。

「トドオカ先生に、そんなに真剣にNTRに向き合えて頂けていたとは」

「お? 当然やん、そんなん。やるからにはキッチリやるで。半端なことはできない性分やさかい」

「ありがたい話です。昨今は、体験してないことなんて書けないなんて泣き言をいう若手もいるくらいですからね。トドオカ先生の爪の垢を煎じて飲ませたい思いです」

 本音としては、こまめに連絡をとって欲しいが贅沢は言わない。締め切りをちぎったまま行方をくらます作家がいる中、トドオカ先生の誠実さは輝いて見える。

「話を戻させて貰うが、NTRってそんなに人気あるんか? ワシにはどうも信じられへん」

「そうですね。それについては、官能小説界全体の話からさせて頂きます。少々、長くななります」

「かまへんで。むしろありがたい」

「まず、文芸全体に共通して言えることですが、市場は縮小傾向です。これは、エンタメの多様化が主な原因だと考えています」

「なるほどな。それで?」

「特に、官能小説業界ではより手軽な動画などがあるために従来に比べたら不利になりがちだと考えています」

「確かに、千円弱かけて文庫本買って二時間かけて読むよりも、エロ動画見て発散するほうが、自然な話やな」

「おっしゃる通りです、先生」

「それでや。その先に考えがあるからワシに声かけたんやろ」

「はい」

 私は姿勢を正した。

「手軽さという面では、官能小説は動画には太刀打ちできないと考えております。ですが、トドオカ先生ならば、現状を打破して頂けると信じております」

「それは、ワシの知名度に頼るみたいな単純な話とはちゃうやろ?」

「もちろんです。私が今後の官能小説に必要なのは、ドラマ性だと考えております」

「ドラマ性? でも、ドラマ性言うたらそれこそ映像作品には勝てないんと違うか」

「お聞きください。小説と映画、漫画とアニメは競合しうるコンテンツですが、実際には競合するよりもむしろお互いを盛り立てている。同じように、官能小説も単なるエロコンテンツだけではなく、ドラマの良さを楽しめる両輪を持ったコンテンツとして売り出していければと考えています」

「言うてることはわかるけどな。そういうんは、今現役の作家さんがたも既に試みてるんと違うか」

「もちろんです。しかし、既存の作家はこれまでと大きく違った作品を試みることは難しい。既に抱えたファンにリーチしていない作品というのは、実際の出来以上にからい評価を受けます。敢えてそんな挑戦をするリスクはとれない。新人も同じです。むしろ固有のファンを持たない新人こそ、今既にいる官能小説ファンの獲得に熱心になり、新しい地平を切り開く余裕はない」

 自然と声に熱が籠もってしまった。

 そんな私をトドオカ先生は黙って眺めて、ゆっくりとコーヒーを飲み下して、

「つまり……」

 トドオカさんは、口元にうっすらと笑みを浮かべていた。

「ワシのような外様なら損な役目をさせやすいっちゅうわけか」

 トドオカ先生の言葉は軽口のようだったが、わずかなひりついた響きがあった。

「どないや? そこんところ」

 私は、ごくりと唾を飲み込んだ。

「腹ァ割った話、してくれへん相手と仕事するんは難しいなぁ」

「率直に申し上げまして、その通りです」

 私の言葉に、トドオカ先生は目を細めた。

「官能小説業界を盛り返すためならば、私はトドオカ先生に人柱になって頂く覚悟があります。無論、企画が失敗したならば、私も先生と運命を共にする覚悟です」

「ええやん」

 トドオカ先生はするりと言い、ウェイターを呼び止めてコーヒーをお代わりした。

「そういう熱い心は好きやで」

「……はい?」

「企画に人生賭けてるのもほんまやと信じたからこそ、企画に乗ったわけやしな。驚かしてすまんな」

 トドオカ先生がからからと笑うのを見て、私は全身から力が抜けるのを感じた。

 氷が溶けてしまったアイスコーヒーを持ち上げて、一気に飲み干した。

「もう少し、詳しい話をさせてください。どうして、外様の中でもトドオカ先生にNTR作品をお願いしたのかの話を」

「そう、そこがなかなかわからへん。自分の恋人がよその男に奪われて楽しい連中おるんか?」

「私なりの解釈ですが、NTRの魅力は複数の視点から楽しめるところにあると思います」

 私は緊張で口の中が粘つくのを感じていた。

「NTR側で楽しめる読者と被NTRで楽しめる読者。両方の読者が楽しめるところこそ、NTRのキモです。さらに、登場人物が三人いれば、自然と関係性が生まれます。これは、一対一の純愛より有利な部分です」

「タイマンラブコメより、ハーレムラブコメのほうが展開にバリエーション持たせられるみたいな話か?」

「そう考えて頂いてもいいです。その上で、トドオカ先生にお願いしたい理由もあります」

「ほう? 教えてくれや」

「トドオカ先生、あなたは、人の心がないと評判です」

「……」

「ですが、だからこそ人の心を理屈で理解しようとしている。だからこそ、特定の人物にいれこむことなく読者の脳を破壊する作品を書ける。私は、そう信じています」

「そない褒められたら、がんばるしかないやん」

 先生はぬっと分厚いA4の紙束を取りだした。

「実は第一稿はできとるんや。十万文字と少しくらいかな。これを第一稿として、修正を重ねていければと考えとるところや」

「はい?」

 ぎょっとして、紙束と先生を交互に見つめた。

「また、急ですね。どうされました?」

「準備が整ったので、このくらい書くのはすぐやったわ。五日くらいやったと思う。もっとも、素人の仕事なのでこれからが本番やけどな」

 慌ててぱらぱらと原稿をめくった。素人の仕事などとんでもない。元々レビュー業をしていたというのもあるのだろうが、大した仕事の速さだ。

 軽くめくっただけでも、内容の充実ぶりは伝わってくる。小説としてどの程度手直しが必要かはわからないが、このペースなら想定より早い刊行も視野に入る。

「ワシはこの一年NTRについてはよく考えたけど、今日話聞いてNTRの見せ方についてはまだまだ勉強していかなあかんと思う。これからよろしくな」

「ありがとうございます。読み終え次第、メールします」

「おおきに」

 トドオカ先生は微笑む。

 あまり期待していなかっただけに妨害の収穫だった。

 この企画はうまくいく。

 そんな確信が、胸に湧き上がる。

 時計を見ると、既に夕方七時を回っていた。今日は直帰してもいいだろう。

「良ければこの後、軽く飲みでもどうですか。先生」

 くいっと飲みの仕草をしてみせる。

 妻が今日は遅くなるという話だったので、先生と夕食を済ませられれば都合がいいと考えていたのだ。

「近場にいい店があるんですよ、先生」

「うーん。魅力的な話やけど、また今度やな。人と約束があるさかい」

「それはそれは。失礼いたしました」

「ま、どうせすぐまた打ち合わせするんや。次は予定空けておくんで、その時にはよろしゅうお願いしますわ」

 立ち上がったトドオカ先生は、にこりと今までとは違った笑みを浮かべた。


「奥様、今大事な時期ですやろ。奥様のお体にもくれぐれもよろしゅうな」


 そう言い残して、トドオカ先生は打ち合わせを後にした。

 喫茶店に残った私は、そのまま原稿に可能な限り目を通しておくことにした。

 内容は大筋では、一年前の打ち合わせの通りの内容だった。長年付き合ってきて結婚を控えた、幸せ絶頂のカップル。そこに突然現れた紳士的でありつつも刺激的な男性に心を奪われ、最終的には間男の子供を宿したまま元の恋人と結婚する話だ。

 大筋は定番だが、却ってそこがいい。

 シンプルな導入だからこそ、女性が間男に魅せられて恋人を喜んで裏切る様子、その解像度の高さが際立つ。

 まるで、作者自身が実際にその場に立ち会っていたみたいに。

 

 気がつけば、数時間にわたり原稿を読みふけっていた。

 店員に閉店の声をかけられるまで、私は没頭していたことに気付かなかったほど、熱心に原稿を読んでいた。

 他に客がいない店内で、慌てて原稿をしまって立ち上がる。

 どこかで夕飯を食べて家に帰らないと。


 あれ?

 さっき、トドオカ先生は妻のことを気遣ってくれたが……。

 私は、トドオカ先生に、結婚したこと、まして妻が妊娠中であることなど、言ったことがあっただろうか?

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