第25話 少年のゆくえ


 たびたび湯村のまえにあらわれる少年は、水たまりを飛び越えて走り寄ってきた。


「透おにいちゃん、こんにちは」


 礼儀正しく頭をさげるので、湯村も「こんにちは」と挨拶した。やや離れた場所にいた鷹尾は「よう、チビ」と、気楽に声をかける。


「雨のなかを出てきたのか」


「うん。お庭にいたアマガエルを追いかけていたら、春馬さんたちを見つけたんだ。ふたりで、どこかへいくの?」


「用はすんだ。帰るところだよ」


「じゃあ、駅にいくんだね。ぼくもいっしょにいこうかな」


「カエルはどうするんだ」


「雨がふったら、また見つかるかなぁ。ねぇ、春馬さん。なんで雨がふると、カエルはケロケロなくの?」


「皮膚呼吸しているからだろ」


「お口だけじゃなくて?」


「ああ。それだけ空気中の水分に敏感な生物なんだよ。カエルが鳴き始めたら、雨の前兆って云われるくらいだしな」


「わあ、カエルってすごい。雨を予知できるんだね。カッコいいな!」


 鷹尾と少年のやりとりを傍観する湯村は、口をはさむ機会をうかがっていた。こんどこそ、謎の多い少年の名前を確認しようと思った。湯村の表情から思考を見透かす達人(鷹尾のことだよ)は、わざとらしく肩をすぼめた。街路樹の根もとへ目を凝らす少年へ、「こいつは湯村透だ」と、親指で示す。


「ぼく、透おにいちゃんのことなら知ってるよ。春馬さんとおなじ学校の一年生で、フルーツ牛乳がだいすきで……、えっと、それから、スクールバスにのってくるひとで……」


「待ってくれ。たしかに、きみは、まえにバス停で逢った子だよね」と湯村。


「うん。あと、花火大会でも!」と少年。


「まえに下手な尾行もしただろ」と鷹尾。


 最後の指摘は聞かなかったことにして、湯村は少年の名前をたずねた。ようやく、本人の口から判明すると思われたが、男の子は「だめなの」と首をふる。


「だ、だめ?」


「うん。おしえてあげられないの」


 少年は、誰かに口止めをされているようだ。無意識に眉を寄せる湯村は、そのままの表情で鷹尾を見つめた。鷹尾は「なんだよ」と顔をしかめた。


「……いえ、なんでもありません(この子に口止めしたのは、鷹尾さんじゃない? ……それじゃ、いったい誰が、なんのために?)」


 質問を変えようとしたとき、ケッケッケと鳴き声が聞こえた。街路樹の茂みに、カサッと小さな影が動く気配がある。足もとへしゃがんでいた少年は、「カエルだ!」といって、車道側へまわりこんだ。


「おい、白線から飛びだすな」


 鷹尾がすぐさま注意をはらい、少年もすなおに舗道へもどる。


「春馬さん、カエルがないてるよ。また雨がふるのかな?」


「だとしたら、本降りになるまえに帰るぞ。湯村も、いいな」


「は、はい。わかりました」

 

 ふしぎな遠出は、こうして終わりに近づく。時刻も夕方につき、じきにあたりは暗くなるだろう。湯村には馴染みのない界隈を、少年は道の分岐点に立つたび、「あっちの坂道のさきには商店があって、向こうにいくと公園があるんだよ。まえはジャングルジムがあったけれど、いまはなくて、ちょっと残念」と、地域の特徴を述べた。


 公園における代表的な大型遊具といえば、すべり台やブランコのほか、ジャングルジムも人気の部類にはいるだろう。塔状に組み立てた金属管の頂上を目ざしてのぼるジャングルジムは、手足を操縦する筋力や決断力、勇気が必要となってくるため、いちばん高いところまでのぼったあとは、いつもより爽快な気分になれる。ふだんと変わらない小さな町並みも、高い場所で風景がひらけると、広大な世界に見えるのだから、ふしぎな感覚だ。


 駅へたどりつくまえに少年と別れ、鷹尾と電車に乗ると、黒雲が走り、まもなく驟雨しゅううとなった。


「あの子、ぬれずに帰れたかな……」


 車掌を流れる水滴を見つめて湯村がつぶやくと、となりにすわる鷹尾は「心配ないさ」と、あっさり云う。たしかに、男の子はレインコートを着ていた。しかし、むやみに雨に打たれては、風邪をひく。とうとう名前を教えてもらえなかったので、鷹尾へ質問した。


「あの子に、ぼくの名前を教えたのは、あなたではなかったのですね」


「おれだよ。さっき、紹介してやっただろうが」


「あの子は、鷹尾さんの紹介にあずかるまえから、ぼくのことを下の名前で呼んでいました……」


とおるなんて名前、今時めずらしくもないさ」


「そういう意味じゃなくて……(はぐらかした?)」


 ガタンッと車両がゆれると、体勢をくずして鷹尾の肩に躰がふれた湯村は、「すみません」と、とっさに詫びた。ぎこちない動作で向きなおると、「少し寝かせろ」といって、鷹尾の首がもたれてくる。ほんとうにまぶたをとじてしまうので、湯村は寄りかかる鷹尾の重みを、緊張ぎみに受けとめた。少年のゆくえを考えていたが、しずかな息づかいを耳もとに感じると、思考は迷走した。


 鷹尾は、確実になにか、、、を知っている。あるいは、かくしている。そうでなければ、こんなふうに湯村を連れだす理由がない。しかし、どこか幻惑的な少年に気が散る湯村は、大事な情報を見落としていた。


 風が強く吹きだすと、激しさを増した雨は雷雨となり、けたたましい雷鳴をひびかせた。



✦つづく

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