第14話 夜宮へ


 毎年恒例の夏祭をまえに、六月に執りおこなわれる夜宮は、あじさいまつりと呼ばれ、地域の古寺に三日間ほど特設の露店がならび、和紙にあじさいを描いた提灯が夜の境内を照らす。市外から足を運ぶ家族連れも多く、湯村の両親も、小さなころに何度か連れていったことがあった。


 中学生のとき、クラスのまとめ役が「夜宮に行くやつ手をあげて」と、放課後になって参加者をつのったが、湯村はもう廊下に立っていて、にぎやかな教室へはいることはできなかった。学年が変わり、おそるおそる手をあげたこともあったが、「あとだし禁止」といって、数にいれてもらえなかった。


 友だちと呼べるクラスメートはなく、仲間はずれにされてもしかたないため、夏休みはわずか三人だけの将棋部で、ぼんやりと過ごした(ほんとうに、記憶がおぼろげなのだ)。


 将棋部といっても、顧問の国語教師は生徒をほったらかしで、部室もないため、廊下の突き当たりにある倉庫に机と椅子を持ちこみ、黙々と棋書を読んだり、宿題をしたり、ノートにらくがきをしたり(部長が描く四コマ漫画は、それなりにおもしろかった)、ごくたまに将棋を指すていどである。入部した理由も、掲示板の案内に[初心者歓迎、時間の過ごし方は自由です]なんて筆文字に、目がとまったからだ。ゆえに、湯村は将棋の知識が身につかないまま、三年の秋に期間満了となり、めでたく退部した。見送りは一年生ひとりきりだった。



 大学生になって、はじめて友人と呼べる存在の水島は、二番線の電車をおりると、歩道橋のまんなかに立つ湯村を見つけると「よう」と、軽く手をあげた。ポロシャツにデニムという服装よそおいは、いつもどおりだ。湯村は半袖のシャツに薄手のカーディガンをはおり、ポシェットを肩がけにしていた。女性用のバッグだが、金糸きんしで装飾されたロゴマークが気に入っているため、買いものへ出かけるときは愛用していた。


「そのポシェット、キリンの刺繍がいいな。湯村っぽくて似あうよ」


「ノーブランドの安物だけど、ぼくも、このキリンのロゴマークが気に入って買ったんだ(水島なら、ほめてくれるだろうと思った)。……きょうは、つきあってくれてありがとう」


「手をつないで雰囲気をだすか?」


「たしかにデートっぽいけど、そういうのは、彼女ができたらしてあげなよ」


「湯村が、おれの彼女になればいいだろ」


「……え?」


「なんてな」


 白い歯を見せて笑う水島にどぎまぎした湯村だが、思いのほか元気そうで内心ホッとした。じゃれながら歩きだすと、階段でよろめいて、転倒寸前となった。


「おい、危なっかしいな。やっぱり、おれと手をつなぐか」


 云うなり、水島の五本指がすべりこんでくる。まさかの恋人つなぎだ。ありえない。


「ば、ばか、ひとに見られるよ……」


「だいぶ暗くなってきたし平気だろ」


「これから行く夜宮は、提灯がたくさん飾ってあって、昼間みたいに明るいんだ」


「じゃあ、寺につくまで。ほら、そこに段差があるぞ。気をつけろよ」


 まるで彼氏のようなせりふに、湯村の心臓は警報のごとくドキドキと鳴りひびいた。ぎくしゃくして足もとへ視線を落とすと、水島は「う~ん」とうなり、ひと呼吸おいてから切りだした。


「湯村ってさ、女みたいだよな」


「なにそれ、どういう意味……」


「躰つきとか、腕も細いし、なんかいいにおいする」


 水島は鼻さきを前髪へ近づけた。においを嗅がれた湯村は、ゾクッと背なかが慄えた。思わず「スケベ!」と叫び、驚いた水島は、つないだ手をはなした。


「スケベ?」


「水島は、ぼくにたいして近すぎる。それが迷惑とか、いやって話じゃなくて……、その、緊張するから……」


「なんで緊張するんだよ」


「だって、男とはつきあえないって、まえに云ったじゃないか」


「それ、説明になってないぞ」


「ぼくのことは、いいから……」


「よくない。ちゃんと聞かせろ。おれは、湯村の質問には答えるし、ここで、はっきりさせておきたい」


「はっきりって、なにを?」


「湯村は受け身ネコだとか、女子どもが云ってたぜ。もし事実なら、黙らせる必要があるだろ」


「なんで、水島がそんなこと……(ネコって……)」


「友人として、湯村が困るような吹聴は、やめさせたいからさ」


 そんな噂は初耳だ。仮に現実だとして、その女子学生のなかに、星野は含まれているのだろうか。もしそうならば、水島が湯村の立場をかばっては、おもしろくないはずだ。


「や……めて……」


「湯村?」


「たのむ水島……、なにもしないで……」


 青ざめて口ごもる湯村を見おろす水島は、ふたたび指をすべりこませてきた。湯村の手は、冷たくなっている。知らずにいてほしかった奇異な体質をあばかれてしまい、泣きたくなった。水島との友好関係も、これっきり疎遠となるだろう。ほんとうに、そう思った。だが、水島はそんな薄情な男ではない。



「夜宮に行くんだろ。しっかり歩け」



 知らない町にきて、湯村の手を引いて歩きだす水島は、「次はどっち?」と、曲がり角へさしかかるたび、うしろをふり向かずに確認した。道案内をするうちに、湯村の体温は汗ばむくらい上昇した。古寺の屋根が見えてくると、水島は立ちどまり、ゆっくり手をはなした。



「水島、ぼくは……」


「気づけなくて悪かった」


「あやまることなんてない」


「女子どもの噂は、おれのせいなんだよ。さっき、湯村も云ったじゃないか。近すぎるって。いっそ、噂のとおりにしてみるか? ……ごめん、ばかだなおれ」



 ありがたいことばだった。いちばん好きなひとが水島ならよかったのにと、心のなかで感謝する湯村は、「うん、底なしのばかで、お人好ひとよしだね」と苦笑した。



✦つづく

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