第8話 ユニバーシティ


 大学には、サークルという集まりがある。共通の趣味や興味をもつ仲間で団体をつくり、大学生活を充実させるため、目標や計画をたちあげて活動する。課外活動ではあるが、学生の自主性や協調性によって、さまざまな能力を高めることができた。



 五月の大型連休をなにもせずに過ごした湯村は、昼休憩の食堂で、ちょっとした勧誘を受けた。山岳部に所属する同期生は、山々の魅力を身ぶり手ぶりをくわえて熱弁してくる。ひとりでいたところへ声をかけられたので、助け舟はやってこない。山岳部はすばらしいと語る学生は、坂道を転げ落ちそうな、まるっこい躰つきをしていた。


「すごいことは、わかったよ。でも、ぼくはサークルにはいる予定はないんだ。ほかをあたってくれないかな」


 丁重にお断りすると、学生はつまらなそうな顔をして立ち去った。なるべく人づきあいを遠ざけたい湯村は、ため息を吐いた。めずらしく水島が欠席した日、肩の力を抜いて過ごす湯村は、ふと、フルーツ牛乳がのみたくなった。トレイをかたづけて食堂をあとにすると、渡り廊下のさきにある自動販売機へ向かった。


 トートバッグから小銭いれを取りだすと、コインを投入してボタンを押す。ガコッと音をたてて落下する紙パックは、あちこちヘコんでいる。酸味があって甘いフルーツ牛乳は、幼いころにのんだ記憶のまま、今でも変わらない味がした。


「ふう、おいしい……」


 気分がおちついた湯村は、残りの時間をつかって構内をふらついた。うっかり鷹尾に出喰わす危険性は低い。彼は、卒業を先送りにしてまで、やり遂げたいことがあるのだろう。事実、そうとしか思えない。


 

 恋は美的革命、愛は芸術的奇跡

 時こそ今は、青春なり

 来たれ、わが演劇サークルへ!



 大学構内の掲示板は、どこも新入生を勧誘するポスターで埋めつくされている。いつごろから放置してあるのか、色褪いろあせて、文字が読めない張り紙も多かった。そんな風景を横目に、湯村は建築科のある学部へたどりついた。


 建築学は理系の学問と思われやすいが、芸術的側面も欠かせない要素であり、総合力が求められる観点から、学ぶ領域は広い。湯村は、常に図面ケースを肩がけにしてあらわれる鷹尾を、ほんの少しだけ尊敬した。


「あのひと、ほんとうは授業に参加したくて、登校しているのかも……」


 留年の理由が気になる湯村は、すれちがう学生に声をかけようか迷った。鷹尾との関係を問われた場合、返答に困るからだ。結局、ふらふらと歩きまわって教室にもどると、水島からメールが届いた。椅子にもれて携帯電話の画面を確認する。風邪をひいたらしく、週末まで授業を欠席するとの連絡だった。



「水島……、だいじょうぶかな……」



 同期生は誰も、湯村を友人として求めない。ほうって置かれたほうが気楽だが、水島瞬平しゅんぺいは入学式以来、なぜか教室では肩をならべてすわり、休み時間は会話が発生する。もっとも、プライベートを詮索されたり、休日の誘いを受けることはないため、極端に忌避せず、大学にいるときはいっしょに過ごした。


 お見舞いのメールを送信すると、わずか数秒後に返信が届く。休んだぶんの講義のノート、コピーしてくれ。コピー代の請求も忘れずに。……授業態度はまじめな水島らしい文面だ。湯村は無意識にみがこぼれた。地味な黒ぶちメガネをかけている水島だが、意外にも女子学生に人気があり、休み時間になるとよく声をかけられた。会話内容は不明だが、互いに携帯電話を取りだすしぐさを見るかぎり、番号を交換しているのだろうと思われた。水島の社交性は見習いたいところだが、湯村の特異体質が、それをむずかしくした。



「……帰ったら、なにをしよう」



 本日の午後はひとコマで終了するため、すぐに帰宅しても時間があまる湯村は、大学の図書館へ寄ることにした。学部棟と独立して建つ図書館は、資料と情報の宝庫である。専門的な蔵書にあふれ、学習や調査、研究を目的とした利用であれば、地域の住民も出入りが許されていた。ただし、所蔵書の閲覧が基本につき、問題集などを持ちこんで勉強や予習をしたい場合は、本学生のみが利用可能な学習室をつかう必要がある。


 はじめて足を運んだ湯村は、天井までとどく巨大書架を見あげ、「すごい……」と、感嘆した。個人学習エリアに着席する学生の多くは先輩たちで、一年生の姿はまだ少ない。壁ぎわにある案内図をながめると、レファレンスカウンターの近くにコピー機が設置されていたので、さっそく、きょうのぶんのノートをコピーしておいた。しばらくは(水島のおかげで)、週末までの余暇を図書館で過ごすことにした。


 

 金曜日の午後、湯村は図書館で授業のノートをコピーしてトートバッグにしまうと、建築コーナーの本棚付近をうろついた。適当な雑誌を手にしてページをめくると、「興味があるのか?」という突然の声に、「うわ!」と短く叫んでしまった。


「た、鷹尾さん」


「春馬でいいぜ」


「は、春馬さん……」


「すなおでよろしい。おまえの下の名前、なんだっけ」


「透ですけど……」


「透ね。……湯村のほうが呼びやすいな」


「じぶんで聞いたくせに」


「すねるなよ。そのうち名前で呼んでやるからさ」


「だったら、ぼくも苗字で呼ばせていただきます」


悋気けちだな」


「ぼくが? どうしてそうなるんです?」


 予期せぬ人物があらわれたので、湯村はにわかに当惑したが、いつもと変わらない調子の鷹尾と、軽妙な会話が発生した。


「どうして……、あなたが図書館ここに……」


 早朝の木立ちのかげに、その姿をさがしてやまなかった湯村は、数日ぶりに顔をあわせた鷹尾を、非難するようなまなざしで見つめた。



✦つづく

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る