Episode.21:気味が悪い場所

 ルーク渾身の一撃が響き渡るより少し前。暗い穴を滑り降りていたネアスは隔離された牢屋のような場所にて、行方不明であったシャルの姿を視界に捉えた。


「シャル?」


 呼びかけてみるも、ぴくりとも動かない。まさか、と一瞬悪い想像を掻き立てられるも、取り敢えず落ち着けと自分を律し深呼吸。

 まずまず、ここに居るシャルが本物とも限らない。ほとんどありえないが、ネアスとルークが騙された時のように、偽物という線もありえなくないのだ。

 なぜほとんどありえないかと言うと、わざわざ牢屋に隔離したネアスを騙したところで、イクスにはなんの利点もない。もしネアスを始末しておきたいなら、やりようは他に五万とある。


 であるならば、やはり目の前のシャルは本物なのかもしれない。ネアスはそっとシャルの腕を取る。完全に本物という確証はないので、あくまでも警戒を怠らずに。

 シャルの手首にそろりと、ネアスは人差し指と中指を乗せる。


「……生きてる」


 ネアスの人差し指と中指から、確かな命の鼓動が伝わってきた。ただ眠っていただけだったようだ。

 ほっと一安心しかけるネアスだが、思い出したかのように今一度警戒態勢に入る。生きているからといって、まだ罠の可能性は全然残っている。本来なら起こさずに一度この場から離れて、後からシャルのことを伝えて教師を連れてくるのが理想かもしれないが、


「ん、早く起きて。ネアスには散々言っておいて、自分だけ長い時間寝るの?」


 ネアスにシャルを放置するという選択肢はなかった。シャルの体を揺すり、目覚めるときを待つ。もちろん、警戒は緩めずに。

 精神的に参ってしまって休んだとセネスに聞いていたが、そう言われて見てみると少しやつれているように見える。あまり食べていなかったのだろうか。


「う、うぅん……」


「ん、起きた?」


 シャルの意識がはっきりしているか確かめるように、ネアスはフリフリと自身の手の平をシャルの顔の前で振る。

 小さく声を漏らしたシャルは目を擦り、何度か瞬きをすると、


「あ、え? ネアス……?」


 心底驚いたようにネアスの名を呼んだ。


「ん、おはよ。それより気分は」


 反応的に本物そうなシャルに、内心安心しながらネアスは問う。言葉は間髪入れずに帰ってきた。ネアスが予想していたものからは百八十度反対のものであったが⋯⋯。


「ネアスが起きてる!? えっ、体調は大丈夫なの!?」


「あー、そっか。ん、大丈夫。元気元気」


 すっかり忘れていたが、退院してからはこれが初の顔合わせ。部屋に引きこもっていたシャルにとっては突然眠っていたネアスが現れた形になる。驚くのも無理はない。

 ネアスがホラ、と腕を広げて無事だと示すと、シャルはホッとしたように静かに息を漏らした。


「よかった⋯⋯。あ、ネアス。そのごめ⋯⋯ふもも――」


 シャルの口から続く言葉は紡がれず、もごもごとした音だけが反響する。その理由は至って単純なことで、ネアスがシャルの口元を抑えたからだ。


「今はそれどころじゃない。周り、見てみて」


「ふむも? ふひゃあ!?」


 素直にネアスの言葉に従って周囲を見渡し始めたシャル。寝ぼけていたからか、少しばかり呆けていたが、突然雷にでも打たれたかのように素っ頓狂な声を上げながら、ビクリと体を震わせて飛び上がった。


「な、ななななにこれ!? なにこれ、どういうこと!? ネアス!?」


「ん、ネアスもあんまわからない。シャルが居なくなって、探しに行ったらこれ」


「え? 私が居なくなった?」


「ん、行方不明。みんな心配してる。ネアスも一応心配してた」


「ど、どうして!? 私は部屋にいたはず⋯⋯。て、あれ?」


 シャルが考え込むように顎に手をやり、うずくまる。

 どうしたのだろう、とネアスもしゃがんで、シャルの顔を覗くように見ると、パンとシャルが手の平を叩いた。


「思い出した! なんか声が聞こえたんだよ、声が!」


「声?」


「うん。部屋に居た時に声が聞こえて、今思うと不気味でしかないんだけどどうしてか引き寄せられちゃって⋯⋯。それで気付いたらここ? にいたって感じだと思う」


「ん、なるほど」


 今度はネアスが思案する。もっとも、特に大した考えなど浮かばなかったのですぐやめてしまったが。


「まあ、取り敢えずここから脱出する。それが先」


「そうだね。でもどうしよう? 結構頑丈そうだよ?」


「ん、どうしよう」


 手始めにガラスを直接叩いてみる。特に効果がある様子はなく、次は壁とガラスの接合部分を狙って叩き始める。

 接合といっても噛み合わせただけのものなので、意外と簡単にはずれるのかもしれない。そんな期待から叩いてみるも、こちらも大して効果があるようには見えなかった。


「⋯⋯痛い」


「だ、大丈夫?」


「ん、無理かも」


「ありゃりゃ」


 じんじんと痛む拳を振る。

 こういった力が要求されることはルークの担当なのに何故居ないのだ、という浮かんできた半ば八つ当たりのような考えを頭の隅へと寄せて次の手を考える。

 壁床天井、使えるものはないか。小さなひび割れだって良い。とにかく突破口を見出そうと顔をブンブン回す。だが、


「なにもない」


 造りたてなのだろうか。それも高水準の技術で。

 学園やネアスが眠っていた病院ですらひび割れくらいであれば見受けられたのに、この場には一つたりともない。

 つまり突破口がなく、ネアスは少し困ってしまった。


「ねえ、ネアス」


 そんなネアスに、まさに閃いたといった表情のシャルが肩を軽く叩いてきた。

 振り返るとシャルはネアスを指さして、


「その上着と靴を片方脱いで、私に貸して」


「ん、わかった」


 何故ネアスの上着が必要なのかさっぱりだが、ネアスは素直にシャルの言葉に従う。でも気になるものは気になるので、上着と靴を差し出しながらシャルに訊いてみると、


「武器を作るからだよ。といっても、本当にないよりはマシくらいだけどね」


 そう言うとシャルは苦笑いを浮かべながら、ネアスから二つを受け取る。


「私、今日は一日中部屋に居たせいでさ。制服着てないんだよ、このシャツ一枚」


 シャルは自身の着ている部屋着を摘んで、ピラピラと振る。

 揺れている部屋着は水色の生地に、シャルが好きなマスコットキャラクターが印刷されているもので、ネアスも何度か見覚えがあった。


「でもネアスが上着を着てたからね。これがいけそうだなって思ってね。あ、ネアスちょっと手を貸して」


「ん、わかった」


 手招くシャルに答えて、ネアスは手の平を向ける。


「この服の片下辺りの生地を持って」


「ん」


「そしたら本気の力で引っ張って。私は反対方向に引っ張るから」


「ん、え?」


「どうかした?」


「いや、そんなことしたら服が⋯⋯」


「破けるよ。だって破こうとしているんだもん。逆に破けてくれないと困るよ」


 ネアスは大いに困惑した。それはシャルが服を破こうとしていることはさしたる問題ではなかったが、シャルがお気に入りの服をさも当然のように破こうとしているからだ。

 困惑しているネアスにシャルは、


「優しいね、ネアス。でも大丈夫。これは脱出のために必要なことなんだから。服くらい命と比べたら大したものじゃないでしょ?」


「ん、それはそう。そうだけど⋯⋯」


 シャルに優しく諭されてなお、ネアスは困惑の色を示す。


「あはは。ネアスは変わったね。凄くいい感じに」


「変わった?」


「うん。だって昔のネアスだったらそんなこと気にしなかったよ。命大優先。今もそこは変わってないんだろうけど、その前提条件の例外として、言い方は悪いけど私とルークを利用しないようにしようとしているような感じがする」


「⋯⋯」


「それは嬉しいは嬉しいけど。それで私に気を使いすぎることはないよ。だってネアスは死にたくないでしょ?」


「ん、全く」


 食い気味に返事を返したネアスに、シャルはほらね、と言わんばかりに片目を閉じる。


「だからさっきから言っているように、気にする必要はないよ。ネアスの服は制服なんだから、破くのは不味いからね」


「⋯⋯ん」


「じゃ、力を込めてね。破くから」


 戸惑いはあれど、言われたことを確実に実行する。

 力を込めてから少し経つと糸が千切れだす音がし出し、やがて袖が破けてシャルの素肌が露出した。


「ありがとうネアス。で、これを靴に詰めて⋯⋯。もう一つ必要か。ネアス、もう片方も」


「ん、了解」


 一度破いてしまえば、二度目には大した抵抗感はない。

 思いっきり引っ張って、そのまま破けていなかったもう片方の袖も破いてしまう。


「よしよし、いい感じいい感じ」


「結局どんな武器を作るの?」


 上機嫌に袖であった布がパンパンに詰まった靴を叩いているシャルへと、ネアスは疑問を投げかける。


「これはね。ブラックジャックっていう武器だよ。本来だったら布でコインとか石とかを包んだ武器でね。今はないから代用で上着と靴。制服の靴は頑丈だからさ、代わりになると思ったんだよね。一応破った布も詰めて、より固くしたし大丈夫でしょ」


「おお、それは凄い」


「でしょ? あとは上着で靴を包んでっと⋯⋯。よし! 完成。ネアス、これを振り回してみて」


 シャルから差し出されたブラックジャック擬きを、なんとなくで振り回す。


「こう?」


「そうそう。そんな感じ! そのままガラスと壁の接合部に靴の部分を力一杯ぶつけてみて」


「ん、理解した」


 ブンブンと振り回して、ネアスの全力の力を込めてシャルの言う通りに靴をぶつける。

 すると今までなんの変化も見せなかったガラスにヒビが走っていた。


「やった!」


「ん、すごい」


 喜びとともに跳ねているシャルをチラ見して、第二投目を同じ箇所にお見舞いする。第三投、第四投、ぶつける度にヒビは広がっていき、遂に、


「ん、割れた」


「割れたー!」


 脱出困難と思われていた牢獄に、一つの大穴が空いた。


     ◇


「なるほど、ね」


 ネアスとシャルは牢屋から脱出して、施設内の廊下を歩いていた。移動の時間も無駄にはしないために、シャルへと情報の共有をすると、若干言葉を詰まらせながらの返答が聞こえた。


「ん、なにかわかんないとこがあったら言って。できるだけ答える。でも、ネアスも大して知らないから、期待はしないで」


「うん、ありがとう。そうさせてもらうね。でも、取り敢えずは大丈夫」


「ん」


「それにしても、この施設広くない? 学園の地下に作られたのは最近のはず……だよね?」


「ん、そのはず……。なんか凄い『エンレオナ』でもあるのかも?」


「すっごい気になるんだけど」


「でも、今は集中」


「うん、わかってる」


 二人が歩いているのは、なにも疲れたからや足が痛いからなどではない。ルークの安否もわからない状態でゆっくりまったりできるはずがないのだ。

 それでも歩いているのは、この廊下にも罠が仕掛けられている可能性があるからだ。

 特に二度もイクスの罠に引っかかってしまったネアスとしては、嫌でも慎重になるしかない。


「まずはルークじゃなくて、この施設の出口を探す」


「そうだね。ルークには悪いけど、それが一番だろうね」


 ネアスの発言をシャルは肯定。

 そう、いくらルークが心配だからといって駆けつけても、二人ができることなどたかが知れている。できるとしたら足手纏いになることか、肉壁になるくらいだろう。

 なので、二人は心を鬼にして、三人が生き残る可能性が一番高い方法に賭ける。

 イクスがこの施設に入るときには、ネアスとルークが連れ込まれた時のように落ちているとは考えにくい。やはりきちんとした入口のようなものがあると考えたほうが自然だろう。

 もっとも、イクスの場合は普通の物差しに当て嵌めていけない類の存在であろうが。


「地上に出て、アウル先生とかを呼ぶ。これしかない」


「うん、出口はどこかにあるだろうしね。ないと地下にあるのも相まって、大きな棺桶だよ」


「ん、その棺桶で二人は死ぬかも知れない」


「縁起でもないことを言わないでよ。しかもそれ、自分だけは生き残る算段でしょ。なんでわざわざ二人って言うの……」


「……ネアスは死にたくない」


「知ってるよ。私も死にたくないけどね」


「ん、当たり前」


「そうだね。さっ、できる限り急ぐよ!」


 二人は先を急ぐ。


     ◇


 十分経つか経たないかくらいの時間を歩き回っていたネアスとシャルは、とある扉に手をかけていた。

 これまでも数回扉は開いてきていて、そのどれもに罠など仕掛けられていなかったが、決して油断はしない。ネアスは背を扉につけて、たとえ開けた場所から銃弾が飛んでこようと当たらない位置について、扉を開く。

 なにも飛んでこない。第一段階は、クリア。


「よっと」


 第二段階は牢屋の脱出時に使用したブラックジャック擬きを開いた入り口の前で揺らし、物体に反応する罠がないかを判断する。

 腕が飛び出さないように細心の注意を払いながらシャルは黙々と確認作業に取り掛かっている。


 そして第三段階。

 シャルはブラブラ揺らしていたブラックジャックを部屋内に投げ入れる。

 一秒、二秒、三秒、飛んで十秒。なんの反応も見られない。どうやら今回も安全なようだ。


「入ろう、ネアス」


「ん」


 部屋の中は、これまでの様子とはガラリと変わっていた。これまでの室内は小難しいことが書かれた紙が何枚も置いてある机がある部屋や、様々な部品が置いてある倉庫のような場所もあった。

 一部屋入るごとにシャルが大きな興味を示すせいで、毎回引っ張り出すのにネアスは苦労していたが、どうやら今回はより酷くなりそうだ。

 何故かといえば、部屋の中央には巨大な『エンレオナ』であろう装置が置いてあったから。


「シャル、そんなに熱中しないでね。まだまだ行くべき場所がたくさん」


「わ、わわわかっているよ! セネスじゃないんだから!」


「本当?」


「本当だよ本当!」


 とてとてと巨大な『エンレオナ』に駆けていくシャルを見送りながら、ネアスは軽くため息をついた。緊急事態だからこそネアスの言うことはすぐ聞いてくれるが、これが緊急事態ではない状態での出来事だったら半日はこの一部屋に居座ることだろう。

 シャルが興味深そうに顔を上に横にと動かしている背越しに、ネアスも『エンレオナ』を見つめ、目を細める。


「シャル、ちゃんと調べて。もしかしたらそれ大事かも」


 ネアスもシャル同様、目の前の『エンレオナ』に興味が湧いた。興味が湧いたのはシャルとは違って性能一点だけであるが。


「言われなくても。きっとこれが脱出の手がかりになると思ってるんでしょ?」


 シャルはネアスの言わんとすることを瞬時に理解し、行動に移していた。触りしか『エンレオナ』について知らないネアスには、シャルがなにをしているかさっぱりなため、頼もしい限りである。

 シャルを待つ間、ネアスは室内を探索する。他に何かしらに役立つものはないかと期待しての行動だ。


「ん? なにこれ」


 役に立ちそうなものではない。ただ単純にネアスの興味を引いた。

 ネアスは膝を折ってしゃがみ込み、床に落ちていたボロボロの紙を拾い上げる。


「女の、人?」


 どうやら落ちていた紙は写真であったようで、一人の女性が映っていた。白と黒の濃淡でしか色を映さない写真のせいで、女性の髪色や瞳の色はわからない。

 読み取れる情報としては真っ直ぐな髪を腰辺りまで下ろしていて、瞳は穏やかそうに少し細められている。少し儚げな雰囲気を纏った女性であった。

 少々薄汚れているが折り目以外のシワはなく、大事に保管されていたのがわかる。写真が落ちていたすぐ隣には画鋲も落ちていて、どうやら壁に留めていたものが落ちてきてしまっていたようだ。


「ネアス! この『エンレオナ』の効果と使用方法がわかったよ! だからちょっと来てくれない?」


「ん、わかった。今行く」


 画鋲も同じように拾い上げ、元々刺さっていたであろう位置に女性が映っている写真を留めると、ネアスはシャルの元へと駆け出した。

 ネアスが走ったことで発生した風が、優しく画鋲で壁に貼り付けられた写真を揺らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る