Episode.13:崩れていく者と歓喜する者

「なぜ黙っている。今一度訊こう。ここで一体なにをしている?」


 ルークはつい昨日聞いたばかりの言葉に、少し驚く。まさか二日連続同じセリフを聞こうとは全く想像していなかった。

 高圧的な態度でルークに問いかけるのも同じく昨日と同じ人物で、暗闇でもはっきりとわかる爛れた顔に生物を震え上がらせる左目の眼光。会ったのは二度目だが少しも慣れておらず、ルークの言葉は詰まってしまっていた。


「お前は昨日会った三人の一人か」


 床に小さくなっているルークに視線を合わせるように、大柄の男は腰を落とす。

 急接近した顔面に少々面食らったルークだが、ずっと黙っているのも失礼だと意を決したように口を開く。


「そうです。ここに居た理由は特にないです。気付いたらここにいた的な⋯⋯」


「理解できんな」


「はは、そうですよね」


 男はため息をついて立ち上がる。

 三歩ほど歩き、男は大変面倒くさそうな表情とともに振り返る。


「ついてこい」


「へ?」


 予想だにしていなかった言葉に、ルークは呆気にとられて間抜けな返事を返してしまう。

 どうしてついてこいと言われたのか、その意図を精一杯頭を回して考え初めたルーク。そんな彼の様子に呆れたように、地面に伏していたルークを、男は片手で引っ張り上げる。


「昨日とは違い、この場に居る理由がないのだろう? 戸締まりができん。さっさと校舎から出ろ」


「す、すみません」


 男は乱暴にルークを立たせ、片手を振りついてこいと呼ぶ。

 先程とは違い振り返る素振りすら示さずにズンズンと歩いていってしまう男に、ルークは慌てて走り出す。

 男がしかめめっ面のまま黙って歩き続けるせいで、隣で並んで歩くルークには大変居心地が悪い。せめてこの空気をどうにかしようと、ルークはたまらず男に話しかける。


「改めて昨日はありがとうございました。バッチを見つけてくださっていて、本当に助かりました」


「⋯⋯」


「あの、えーと⋯⋯。なんの教科を教えているんですか?」


「⋯⋯」


「あ、あはは」


 話すことはないといった調子で無言を貫く男に、ルークは苦笑いしかできなかった。いくら無愛想だとしてもだ、ここまであからさまに無視されると堪えるものがある。

 話をしようとするのは諦めようとルークが決めたとき、ふと今度会えたら聞こうとしていたことを思い出す。


「あの、すみません」


「⋯⋯」


「あなたの名前って――『狂鬼きょうき』アスラ=ケリー・ロペスさんですよね?」


「⋯⋯だったらなんだ」


 今まで一切反応を示さなかった男が、ようやく口を開いた。

 彼の反応的にもルークの予想は当たっていたらしく、嬉しさのあまり内心でガッツポーズをとる。


「昨日会ったときに見たことあると思ってたんですよ。焦ってたのと、トレードマークの仮面を着けてないせいであの時は気が付きませんでした」


 アスラ=ケリー・ロペス。この国に住むものであれば、名前を一度くらいは聞いたことがあるだろう。アーディヴール帝国において、王族と『センティメンター』を除けば最強と称される人物。

 二つ名である『狂鬼』の名の通り、戦い方は苛烈の一言。八年前、五大学園の一つがある地、『ヴァイスヴール』に発生した大規模テロをその圧倒的な力によって、ほぼ一人制圧した英雄。


「少し前に軍を抜けたのは知っていましたけど、まさか先生をしているとは思いもしませんでしたよ」


「⋯⋯」


「どうして教師になろうとしたんですか?」


「⋯⋯」


 また無言。

 不機嫌そうな表情をしているアスラとは対象的に、興奮した様子のルークはその後も返答が帰ってこない質問をただし続けた。


「オレ、『センティメンター』になりたいんですよ」


 ルークは夢を語った。

 自分が憧れた英雄『狂鬼』の前に浮かれていたのか、ネアスの一件から目を逸らしたいがための逃避だったのかわからない。そのどちらでもであったのかもしれないが、無言の気まずい時間をなくそうと、特に深く考えることなく話していた。


 ――それがいけなかったのかもしれない。


「――いつか時間があるときにでも、オレに戦い方とかを教えてくれませんか?」


「⋯⋯教える?」


「はい! オレ、強くなりたいんです。だって『センティメンター』になるためには強くならなくちゃでしょ?」


 珍しく返事が返ってきたことで、更にルークは嬉しそうに語る。


「何故そこまで『センティメンター』になりたい?」


「え? なんでって『センティメンター』は小さい頃からの憧れで⋯⋯」


 まさか何故『センティメンター』に憧れたのかと聞かれると思っていなかったルークは、多少驚きながらも返事を返す。

 ルークが『センティメンター』になりたいと思ったのは六歳の頃で、それからほぼ毎日筋トレや体力をつけるための走り込みを実践している。


「では、何故憧れた?」


「え? なんでって⋯⋯」


 ルークは言葉を詰まらせる。

 昨日感じていた威圧感がぬるく感じてしまうような、圧倒的なまでの迫力を放ちだしたアスラにルークは一歩後ずさりした。


「つ、強いから⋯⋯です」


 なんとか言葉を絞り出す。

 しかし、アスラの求める言葉ではなかったようで、


「その理由であれば、『センティメンター』になる必要などない。そんなもの理由になっていない」


 絞り出した言葉はアスラによってあっさりと否定されてしまった。


「大体、何故強さを欲している?」


「それは『センティメンター』になるためで……」


「『センティメンター』になりたい理由すらないのにか?」


「……」


「理由なき力には意味がない。それどころか、無差別に人々を傷つける恐れのある刃にしかならない」


「⋯⋯」


「それに、だ――」


 アスラは一拍置いて続ける。


「――今のお前が力を求めるのは『センティメンター』になりたいからですらない。お前はただ逃げたいだけだ。見たくないだけだ。だから夢に向かって努力をしていると自分の感情を偽り、目を逸らしたいだけ。私にはそうとしか見えない」


「は⋯⋯?」


 ルークは放心したように黙り込む。

 ルーク・ハワードを構成していたその全てが崩れ去ったような感覚である。自分の行動、発言が友人のためではなかったことを悟り。自分が『センティメンター』を目指す理由すらちっぽけで、ただの現実逃避だと突きつけられてしまったのだ。

 ガラガラと、ルークの中でなにかが崩れていく。


 そんなことはないと否定したかった。しかし、できなかった。

 アスラの言葉は正しいと心のどこかで認めてしまったのだ。

 ルークは頭を強く抑える。頭が痛んで痛んでしかたない。

 飾りのない無骨な言葉。だからこそルークの心へと強く突き刺さり、大きな傷を何箇所も作り出した。


「いつまで呆けているつもりだ。もう昇降口についた。さっさと出ていき寮の部屋にでも戻れ」


「あ⋯⋯」


 気づけばルークは昇降口に立っていた。

 全く気が付かなかったが、いつの間にかここまで来ていたらしい。

 言われた通りルークは魂の抜けたような歩き方で大きな扉をくぐると、間髪入れずに重たい扉が閉じられた。


 空を見上げれば豪華絢爛ごうかけんらんに輝く星々が視界いっぱいに広がる。

 美しい夜空とは対象的な、ちっぽけな自分をまざまざと見せつけられている気分に陥ったルークは逃げるようにその場をあとにした。


     ◇


 寮まで戻ってきたルークは、入口正面に設置されているカウンターのベルを鳴らす。

 部屋の鍵は外出時カウンターに預けてしまう。紛失の恐れはないが、今のルークのように誰とも顔を合わせたくないときや、今のように管理人がカウンターに居なく、早く部屋に戻りたい場合には少々不便ではある。


 カウンターの奥から管理人が出てくるのを、天井の光が走っているパイプを眺めながらルークは待っていた。

 やがてカウンターの奥から管理人であろう人物が顔を出した。実際はそれほど大した時間は経っていなかったのだろう。だが今のルークには長い時間が経過していたような感覚がしてならなかった。


「ずぅいぶんとぉ、遅くまで寮に帰ってぇきませんでしたねぇえ。なにかあったのでぇすかぁあ?」


 紙を全て帽子で隠し、目元には濃い隈をこしらえている男であった。

 喋り方に妙な癖があり、翡翠色の瞳が怪しげに輝いている。

 昨日と今日の朝寮の鍵を渡してくれたのはこの男ではなく、優しい顔をしたおじいさん。言い方は悪いが怪しげな人物が管理人だということに、ルークは思わず面食らったような表情になってしまった。


「おぉうとぉ、すみませんねぇえ。どうやぁらぁあ驚かせてしまったよぉおうですねぇえ。なあにぃ、ただ気分が晴れない様ぉ子でしたので気晴らしに世間話でもと思いましてねぇえ」


「あ、そ、そうですか。お気遣いありがとうございます」


 愛想笑いを浮かべたルークに、これまた管理人は不敵な笑みを見せた。


「いいえいいえぇ! それもこの寮の管理人の仕事ですからねぇえ。どうかしましたぁあ? ご友人と喧嘩でもなさったのですかぁあ?」


「あ、いや⋯⋯」


 知ってか知らずか、答えづらいところを突いてくる。


「まあ、そんなところです」


 あれが喧嘩なのかは疑問だが、ルークに会話を続けるつもりはなかった。

 いい人なのかもしれないがあまりに胡散臭い。それに今のルークはもともと、誰かと話をする気分でもないのだ。

 さっさとこの場を切り抜けようと、なおも話し続けようとする男を半ば強引に静止して、部屋の番号を伝える。


「ではぁ、少々お待ち下さいねぇえ」


 男が鍵を持ってくるために再びカウンターの奥に引っ込んだのを確認してから、ルークは深く息を吐いた。

 ただ会話をしただけで、一日中運動していたときと同じくらいの疲れが押し寄せた気がしてならない。それほど、先の男は強烈で、ルークは精神的にも参ってしまった。


「はぁい、どうぞぉお」


「ありがとうございます。それでは」


「待ってくださぁあい」


 ルークが直ちに切り上げようと早口で捲し立てたが、男に止められてしまった。

 無視して階段を駆け上ってもいいが、それは流石に申し訳がない。それにこれからも会うだろう相手。関係を悪くするのは得策ではない。


 ルークは重い足取りで、笑みを浮かべながら手招きする男の元まで戻っていく。

 どこまでも不気味で、どこか薄っぺらい笑い方をする男にルークが「なんですか」と、若干不服そうな返事を返す。

 その返事を返し終えた瞬間のことであった。男から胡散臭い笑みが消え、ルークの首元を掴んでグッと体を近づけるように掴み上げ、


「――君はなにも悪くない。気にせずこれからも存分に力を磨きなさい」


 と静かに耳打ちした。


「それってどういう⋯⋯!」


 意味がわからず困惑のまま、問いただすように声を張り上げる。

 だが問いただされた当の本人はまた胡散臭い笑みを浮かべ、「さぁあ」と言うだけで他になにも言おうとしない。


「それではぁ」


 脱力した手をブラブラ揺らしながら、管理人の男は奥へと引っ込んでいってしまった。


「なんだったんだよ⋯⋯」


 ルークは意味がわからないといった様子で呟くが、その問いに答える者はいなかった。


     ◇


「ん? うぅん⋯⋯」


 ネアスは盛大にあくびをしながら目を覚ます。

 昔見たことがある天井。一体いつ見たものだっただろうか。一切わからないが、思考を割くだけ無駄だとネアスはバッサリ切り捨てた。

 とても気分が良い。こんなにスッキリした気持ちで起きれたのは相当珍しく、ネアスはこれまでにないほど機嫌が良かった。


「ようやく起きたのですねネアスくん。ずっと起きなかったので心配しましたよ?」


「ん、おはよう」


 何故か驚いている様子のアウルがネアスのベッドの隣りにある椅子に腰掛けていた。アウルは呑気に返事を返したネアスに苦笑している。


「凄いタイミングですよ。私がちょうど病室を訪れて、椅子に座った瞬間に目を覚ましたので、ちょっと驚いちゃいましたよ」


「ん、ここ病院か」


 少し噛み合っていない会話を繰り広げながら、ネアスはここが病院であることを知る。

 目覚めたばかりの脳もアウルと話している内に完全に起きたらしく、今のネアスがどうして病院にいるのかを理解し始めた。


「決闘したあと運ばれた感じ?」


「いえ、二時間半から三時間ほど目を覚まさなかったので病院に連れて行った形です。どうですか? 体に違和感とかはありませんか?」


「ん? うーん。そういえば凄くお腹空いてる」


 ネアスの発言を肯定するように、ネアスの腹の音がなった。

 意識すればするほど無性にお腹が空いていき、なんでも良いから食べ物が欲しいとアウルへ懇願する。


「では、食事をお願いしてきますね」


 そう言い残すとアウルは一度病室をあとにして、大した時間は経たずに戻ってきた。


「まだ?」


「あと少しで来ますよ」


「取りに行く」


 体にかかっていた布団を投げ捨てて、病室を飛び出していこうとしたネアス。

 扉へ走り、勢いよく扉を開けようと力を込めたが、


「ネアスくん。安静にしていましょうね」


 アウルの『エンパルマ』だろう。扉がガチガチに凍ってしまい開くことができない。

 アウルは無意味に扉を開こうと力を入れ続けるネアスを持ち上げる。そのままネアスはベッドのもとまで戻されてしまった。


「これを食べていてもいいですから。シャルさんとセネスさんが持ってきてくれたんですよ」


 アウルが籠に入ったお菓子の山を見せると、ネアスは目にも止まらぬ速さで籠をその手に収めた。

 驚いているアウルを尻目に、ネアスは両手にお菓子を持ちながら交互に口へ放り込んでいく。


「凄い食欲ですね。寝起きでそこまで食べられるならある意味安心です」


「ん、なんかお腹が空いて空いて堪らない」


 普段から同年代の二倍以上の量をペロリと平らげるネアスだが、それにしたって今はお腹が空いてしょうがない。ここまでお腹が空いている状態になったのは相当久しぶりなため、ネアスは懐かしさも覚えながら次々とお菓子を胃袋に収めていく。

 ネアスの発言に、少し神妙そうな表情になったアウルが口を開く。


「それはそうですよ。ネアスくん。君は一週間眠っていたんですから」


「ん⋯⋯。んぇ?」


 アウルの発言にネアスは素っ頓狂な声を上げ、お菓子を持っていた手を太ももに落とした。

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