Episode.07:過剰な言葉
「すみませんねネアスくん。今回の件は全て、私の落ち度です」
講義終了後、ネアスがアウルに言われた通り職員室に訪れると、開口一番アウルからの謝罪があった。
「ん、先生が悪いわけじゃない。元々はネアスに責任がある」
変に謝られても、ネアスが困ってしまう。講義中に眠っていたのはネアスで、ネアスのために、内容の振り返りまでしてくれたのだ。
感謝こそすれば、謝罪を求めるなどあり得ない。
「確かに。講義中に寝てしまうのは、少し困ってしまいますがね……」
苦笑いを浮かべたアウルは、頬を軽く掻く。
「まあ、それを差し引いたとしてもあそこまでネアスくんが言われる必要はありませんでした。その事態を引き起こしてしまったのは、完全に私の責任です」
「……」
アウルの言っていることを理解できないわけではない。確かにアウルがこういった状況になってしまうと知っていたら、もっと上手く物事を進めていただろう。
だが、それは後の祭りと言うものだ。今更考えたって仕方がない。
そもそもアウルが悪いことなどあり得ないのだ。
「気にしすぎないで。逆にこっちが反応に困る」
これはネアスの本音である。悪くもないアウルがいつまでも申し訳なさそうにしていたら、ただただ居心地が悪い。
そんな調子で告げた言葉に、アウルは少し驚いたように瞬きをすると、優しげに微笑んだ。
「嗚呼。聞いてはいましたが、教師とは本当に難しい職業ですね。まさか生徒に気を使わせてしまうとは……。もっと、頑張らないとですね」
「ん、頑張って」
「はい、頑張りますよ。話は戻りますが、確かに私がネアスくんの立場なら、変に謝られるのも気まずくなりますね。承知しました。変に謝罪するのは辞めにします」
「ん、それがいい」
どこか偉そうな態度になってしまっているネアスだが、アウルは気にしていないようで、心底楽しそうに見える。
アウルもアウルで、今年教員になって初めての講義が滅茶苦茶になってしまって、心に来るものがあったのかもしれない。
その事実が余計、ネアスに罪悪感を抱かせた。
「おっと、もういい時間ですね。そろそろ教室に戻った方が良さそうですよ」
「ん、本当だ」
時計の針を見るに、次の講義の時間まで五分程度しか残っていない。このまま職員室で駄弁っている時間は全くない。
「じゃ、もう行く」
「はい。なにかあったらまた来てください。相談なら聞きますし、助けがほしければ全力を持って助けますので。といっても、わざわざ職員室まで来るのも大変ですかね」
「ん、ありがと。なんかあったら来る」
「ええ、お待ちしていますよ」
アウルに顔を下げ、ネアスは職員室を後にした。
◇
「ごめん」
アウルと話した休み時間とは、また別の休み時間。これまた唐突に、今度はネアスが謝罪の文言を口にした。
「んだよ。いきなりどーしたってんだ」
ネアスが改めて謝罪したのは、目の前で悪態をついているレオ。
これはケジメである。こうやって謝罪しなければ、ネアスはネアスが嫌いな人々と同じになってしまう。それだけはどうにも許容することはできない。
そうなってしまったが最後、結局ネアスは大嫌いな彼らと同じだったのだと認めてしまうのだから。
「ハッ! 謝ったかと思えばだんまりか? なにが悪かったかもわからねーのかよ。どーした。どこが悪いか言ってみたらいーじゃねーか」
「……」
「大体。テメェのせいでイラついてたのは、俺だけじゃない。他のヤツにも言いに行くのかよ? 自称感情がねーテメェの、誠意の籠っていない空っぽの謝罪をだ」
「……わからない」
「ア゙ぁ?」
「ん。誰が怒っていたのか、ネアスにはわからない」
「そーかい。結局自己満で、本当は悪いと思ってなかったってことだ。テメェを睨んでたヤツを良く見てれば、誰が機嫌が悪かったかなんて一目瞭然だろーが。大体なんなんだテ――」
「――ん、だから教えて欲しい。誰が怒っていたのか。
「ハア?」
レオから面食らったような声が漏れる。
そう、これは自己満足するために行なっている、理由も動機も自分本位の謝罪である。
自分が嫌いな人々と同じになりたくないからと言う、身勝手な謝罪。
レオの話ぶりからして、彼は誰が怒りを抱いていたのかわかっている様子。
であれば、彼が教えてくれれば、ネアスは謝罪しに行くことができる。
自己満足結構。自分勝手ではあるが、ネアスにとっては許してもらうより、謝ったという事実の方が大切だ。謝らないよりは、謝ったほうがましだ。
レオの言い分は、全て合っている。
「ん、自己満。合ってる。だけど、謝らないよりは断然いい」
もちろん悪いと思っていることは本当。できることなら、謝って許して欲しいという思いもある。
そこを履き違えてはいけない。レオの言う誠意のない謝罪。本心から悪いと思っていない謝罪をしてしまえば、それこそ意味がない。
「ハッ! なんで俺がテメェに教えなきゃなんねーんだ。断固拒否するね」
「ん、お願い」
「やらねーって言ってんだろ!」
レオは声を荒げた。
机を強く叩いて立ち上がり、身長差のせいかネアスを見下ろす形になる。
「ふざけたことばっか言ってんじゃねーよ。本当に感情の起伏がねーヤツだな。ちっとは俺に悪いと思わないのか?」
「ん、思ってる。だから謝ってる」
「わからねーヤツだな! 感情がないヤツなんかいるもんか! もしそうだとしたら感情が存在しないヤツなんて、人形……いんや、そんなのAIだろーがよ!」
「――あ」
ネアスは瞳を大きく開き、口をパクパクさせる。一瞬だが、ネアスの見えている世界から色が消えた……そんな錯覚を覚えてしまった。
「あ、いや……」
レオが何か発しようとしたが、その声がネアスに届くことはなかった。その理由は単純で、レオの声よりも大きな声が、彼の声を掻き消したからだ。
「ふざけるなよ!」
肩を震わせたルークが教室に入って来た。レオが大声だったのもあり、廊下にも聞こえてしまっていたようだ。
ルークの後ろから、これまたムッとした表情のシャルが続いている。
「言っていいことと、ダメなことがあるだろうが! 今の発言は、完全にライン越えだぞ」
「そうだよ。ネアスに謝るべきだと思うよ。ネアスに悪いところがあっても、いくらなんでも、それは酷すぎるよ……」
シャルは目を伏した。手は固く握られ、自身の内にて跋扈ばっこする激情を堪えるように。
突然の乱入者に、レオは一瞬ポカンとした表情を浮かべたが、今はその逆。歯を剥き出しにし、唇を噛んでいる。
「さっきからなんなんだよテメェら。関係ねーヤツが出しゃばってくんじゃねーよ。勝手に口を出して来たと思えば俺への非難。一体何様だぁ?」
「何様? 別に友達に酷い悪口を言ったんだ。出しゃばる理由くらいにはなるだろ」
ルークはレオを睨みつけた。レオも負けじとルークを睨む。
この国……否。全ての人間に対してであるが、AIみたいだという言葉は、最大の侮辱である。
人間としては認められない。そういった風に受け取ることもできるくらい、攻撃性の高い煽り文句である。
「ネアス、大丈夫?」
「ん、別に気にしてない」
シャルがネアスの顔を覗き込む。
かなり心配している様子だが。言葉の通り、ネアスは特段気にしてはいない。
どんなことを言われようと自分は自分。気にするだけ損というものだ。
それより心配なことは……。
「悪いとは思わないのか!?︎」
「ハッ! アイツだってしてねーだろ。もしあれで誠意を込めた謝罪のつもりなんだったら、一から勉強し直した方がいいと思うぜ? 母親にでも教えてもらえって、テメェの口から伝えてやれよ」
「いい加減にしろ! オマエこそ教えてもらった方がいいんじゃないか? あんな暴言、他人にいっちゃいけないんだって、もう一度教わってこいよ」
「んだとテメェ!」
「同じこと言い返しただけだろ。わざわざキレんなよ」
言葉と言葉の応酬。両者一歩も引かず、激しい舌戦が繰り広げられている。
一足即発。切っ掛けさえあれば、すぐにでも暴力沙汰に発展しそうな危うさを孕んでいる。だが、それはいけない。
ネアスがこの場を収めようと間に入れば、逆に問題が悪化することは目に見えている。今のレオがネアスの言葉に耳を傾けるはずがないし、そこで更なる悪態をネアスについてくるのならば、ルークを刺激することとなってしまう。
ネアスは助けを求めるように、隣りに立っているシャルへと視線を向ける。
シャルであれば、上手くこの事態を収拾することが可能かもしてない。そんな希望を抱きながら、シャルを見たのだが、
「ごめんネアス。今の私じゃ、収められない」
シャルから発せられた言葉は、ネアスが求めていたものではなかった。
どうしてなのだろう。普段であれば、シャルがいの一番に止めていそうな状況なのに、だ。
「きっと私でも止められないし、止める気もないんだ。だって、私もすごく怒っているんだよ? 流石にさっきの言葉は、礼儀に欠き過ぎているもん」
静かに、そう。音も立てずに炎がシャルの身を包んでいた。決して消えることはなく、一呼吸するごとに新たな薪を焚べられているかと錯覚するほど、静寂にて炎が上がっていた。
ルークが怒っているように、シャルも怒っている……激怒しているのだ。
だからこそ、ルークを止めない。シャルは強く言い切った。
ネアス教室を見渡す。残念ながらアウルの姿はない。
ネアスと話をしたあとからの講義は、アウルの担当ではなかった。今は他クラスか、職員室で準備でもしているのだろう。
必死に周囲へと視線を走らせる。眼球が右に左に、速いペースで往復を繰り返していく。どれだけ探しても、居ないものは居ない。この行動はただの逃避であり、無意味。
「わかんねーヤツだなテメェはよー!」
「ふん! こっちのセリフだ。なんだったら決闘で決めるか? オマエが負けたらネアスに謝罪するって条件でな」
「ハッ! いいぜ、やってやんよ。大体生意気だったんだよテメェは。『センティメンター』になるだなんて、無礼にもほどがある狂言をくっちゃべってて不快だったんだ。いい加減ハッキリさせてやんよ。テメェなんかが目指していいものじゃあないってな!」
この学園には、主に軍兵科が使用する訓練場が存在する。
一年生が利用することはほとんどないが、上級生は頻繁に利用している者もいるらしい。今回のように、揉め事の解決に利用されることもけっして少なくはない。
お互いでルールを定め、心ゆくまで戦い合う喧嘩。ネアスが危惧した通り、大事となってしまいそうである。
「シャル……」
「大丈夫。ルークなら負けないから」
藁にも縋るような思いで、シャルへ声を掛けるが、シャルは怒りからかネアスとの考えに齟齬が生じていた。
彼女も彼女で冷静ではない。怒りに飲まれ、正常な判断ができていない。
このままでは、ルークとレオが戦うことになってしまう。それもこれも全てネアスのせいだ。責任をルーク一人に背負わせて、ネアスが呑気に見ているなど有り得ない。あってはいけない。
「――待って」
ルークとレオの言い争いに乱入した第三者の声。突然の声に驚くように反応した二人と、隣にいるシャルは第三者の声として割り込んだ、ネアスへと首を向けた。
「んだよ。なんか文句があるってのかクソ野郎。結局テメェは他人の後ろで……」
「――違う」
「なにが違うってんだよ」
明らかに苛立った様子のレオは、机を指で強く叩きながらネアスを睨む。
――自分の責任くらい、自分で背負う。
「戦うのはネアス。ルークじゃない」
「ハァ!?︎ 何言ってやがんだ」
「おいネアスっ! 馬鹿なこと言わないで、俺に任せておけ!」
ルークの叫びに、ネアスは首を振って答える。
ネアスとルークは友達だ。しかし、頼りっきりになるのは友達とは言えない。
二人は平等な関係の友達なのだ。どちらかが片方のためだけに大変な思いをしたり、苦しい思いをするのはおかしい話。
だからこそ、今はルークの力に頼らない。ここの線引きは大切だ。
「テメェ戦えんのか? そんな弱っちそうな体で」
ネアスの体には筋肉がない。身長がない。恵まれた骨格がない。攻撃に動じない体重もない。ないないだらけで、ほとんど他人より劣っている。
もちろん優れている点はある。とはいえ、戦いという力比べに関しては、これ以上ないくらいに向いていない。
これが学園の決闘でなければやりようはあるが、今回は学園の決闘。ほとんどネアスが使える手札はないに等しい。
それでも、
「愚問。一応ネアスも軍兵科志望、戦う力はある。それともネアスから逃げる気?」
それでも吠える。
戦う力があると、大見得を張った。
試すかのような発言で、レオの事を挑発。彼の性格上、断ることはないはずである。
「ハッ! 後悔してもしんねーぞ」
「くどい。もしかして、ネアスに負けるかもと思っているの? あれだけネアスを見下しておいて?」
「言ってくれるじゃねーか。いいぜ、放課後に訓練場だ。先生に言うんじゃねーぞ。面倒くせーことになるからな」
「ん、わかった」
「逃げんなら今の内だけだ。とだけ言っとくぞ」
「ん、心配どうもありがとう」
レオは舌打ちを一つ鳴らし、ネアスの横を抜けて教室を出て行った。
先程までの言い争いがなくなったからか、教室はやけに静かであった。
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