Episode.05:食事は楽しく
シャルとネアスが隣り合って座り、向かいにルークが陣取る座席。席はソファー席で、ルークは他人が座らないこともあり、中央に鎮座している。
ルークの視線から目を逸らすように、ネアスとシャルはそっぽを向いていた。
「――でだ。言い訳、言い分はあるか?」
今現在、ネアスとシャルの二人はルークに言葉で詰められていた。
その理由は単純。食堂で全力疾走して、あわや食事を持った他生徒にぶつかりかけたからだ。
ルークから問われた言い訳、言い分。もちろんないわけではない。ネアスにとっては、何よりも代え難い絶対的理由が……。
「それは理由にならない」
「――まだネアスは何も言ってない」
口を開けることもままならない間に、ルークはピシャリと言い放った。そのことに納得がいかないネアスは、むっとした表情でルークを睨む。
そんなネアスの態度を見たルークは、小さくため息をつく。
「ネアスの理由は、お腹が空いたとか。ご飯がなくなったら嫌だとかだろ?」
「うぐっ……」
ルークの考えは、ほとんど正解であった。ネアスは夕食を取れなくなるかもしれない。という恐怖が体を渦巻いていたため走った。
もしも食べれないなんてことがあったら、今のネアスでは眠ることもできないほどに辛い。
「ほら、やっぱりそんな感じだったろ?」
ネアスは黙り込む。バッサリとルークに言い訳が一刀両断され、ぐうの音も出ない。ネアスはこれから学生だ。ただの世間知らずの子供では居られない。
周囲にも配慮して行動をしなくてはいけない。ルークの話は至極当然で、当たり前のことである。
きっとルークがネアスとシャルに伝えたいことは、そういったこと。
「シャルは?」
「……えと、羽目を外し過ぎたと思います。はい……」
いつもの元気はどこへやら。すっかり大人しくなってしまったシャルは、消え入りそうな声で反省を口にしていた。
彼女とて、もちろんあるのだろう。浮かれすぎて、周りのことを全く考えられていなかった自覚が。
「オレもさ。正直オマエらに対して偉そうに説教するくらい、完璧な人間でもなければ。駄目なとこも、間違えることもあるけどよ。でもさ――」
ルークは後頭部を掻きながら、バツが悪そうにしょぼくれているネアスに、シャルに視線を向けた。その赤味がかった瞳は、真っ直ぐに二人の姿を捉える。
「つまらないことで、他所様に迷惑を掛けるのは違うだろ? 実際ぶつかりかけてたし」
ルークの言う通りである。いくらご飯がなくなることを恐れていても。いくら羽目を外していても。他人に迷惑を掛けて良い理由にはならない。
「うぅ……すみません」
瞳を潤ませたシャルは、心底申し訳なさそうに、頭を下げた。ネアスも続くように「ごめん」と呟いて頭を下げる。
「よしっ! 暗い話はお終いだ。さっさと食べようぜ。せっかくのご飯が冷めちまうぞ」
ルークは「美味しく食べないのは、作ってくれた人にも、食材にも失礼だろ?」と笑った。全く持ってその通りである。
ネアスとしても、食事を美味しく食べないことは、食への侮辱であると考えている。食べ物は美味しく食べてなんぼ。美味しくない状態にするなど、堪ったものではない。
「そう言えばシャル」
「うぅん? どうかした? ルーク」
ネアスが食事を口の中へと放り込んでいる間に、ルークはシャルを呼ぶ。
パンをもしゃもしゃと頬張りながら、ネアスは視線だけを二人の元へ向ける。果たしてルークは、シャルになにを訊こうとしているのだろう。
「どうだ同じ部屋の人と仲良くやれそうか?」
「ああー……。えーとね」
「ん。ネアスも気になる」
それはネアスも気になっていた。ルークに同調するように頷くネアスだが、問われた本人であるシャルからは、歯切れの悪い答えが返ってきた。
もしかすると、なにか問題でもあったのだろうか。ルークも心配そうに、シャルを見ていた。
本人にしか理解できない複雑な感情があるのだろう。表情は決して晴れやかなものではなかった。
「悪い子、悪い子じゃないと思うよ。――ただ……」
「ただ?」
「ん?」
「少しびっくりしちゃったと言うか、なんて言うか……」
同居人に悪感情を抱いている様子はない。だからこそ表情が晴れないのだろう。
たとえネアスや、ルークでなくとも。容易く問題があることを想像できるくらいには、今のシャルの表情は、言葉以上に物事を雄弁に語っていた。
少し怖いのだと、シャルが心境を吐露したその時、
「あ! シャルっちはここで食べてたんだー!」
明るく、良く響く声が三人の耳へと届く。
声の方を見ると、紫髪を肩下辺りで切り揃えている少女が立っていた。丸型の眼鏡を着けており、知的な雰囲気を醸し出す彼女は、翡翠色のまん丸な瞳で真っ直ぐとこちらを覗いていた。
「セ、セネス……ちゃん」
「やっほーシャルっち! おやややや、そこの二人は目標高い系のルーク=ハワードくんに。食いしん坊系のネアスくんじゃん! 何を食べているのー?」
「ん、パンと温かいスープ。ネアスの好物」
「そうなんだー!」
苦々しい反応を示したシャルを他所に、ネアスと少女は談笑を始めた。その様子を隣で見ていたシャルは、微妙な表情をしている。
そんなシャルの反応を見てか、ルークが不思議そうに疑問を提示する。
「なあシャル」
「なに? ルーク」
「セネス……さんだっけか? どうにもオマエが苦手なタイプに見えないんだが……」
恐ろしい表情をしていたり、なにを考えているかわからなかったりするような人ではない。
シャルが苦手としていそうなタイプとは、到底思えなかったのだろう。
ネアスとしても、もっと堅物みたいな人物ではないかと想像していたが、真実はその逆。
距離の詰め方は異様に早いが、セネスという少女は、シャルが苦手にするような人柄ではない。
「いやー、実はね……」
「ねねっ! シャルっち、シャルっち!」
大きな声でシャルの名を呼ぶセネス。彼女の大声で、小さい声で話していたシャルの声はかき消えた。
セネスの大きな声により、自然と視線は彼女へと向き、正にセネスの独壇場。
彼女は瞳を輝かせ、大きく息を吸うと、まるでマシンガンの如く口から言葉が放たれる。
「さっきの続きだけどさー! シャルっちは人の生活を豊かにする発明がしたいんだよね? 具体的にはどんなところを豊かにしたいのか教えてくれない? 私はそこに凄く興味があってさー! エンパルマを利用した素晴らしい発明の数々は今や、数多とあるじゃん。どんな感情を利用した『エンレオナ』になるのかなー? シャルっちがどういう考えなのか私にも共有してもらいたいわけで、私自身シャルっちと同じように大発明をしてみたいって考えてるからさー。私も今、どんな『エンレオナ』を作ろうかなーって考えているんだけど、少しインスピレーションをもらいたい的な感じでねー。やっぱり新しい考えに触れないと、どんどん頭が固くなっていちゃってさー。ここで一発、なにかをきっかけにこの停滞期? であってるかな? プランク? なんか違う気がするけどいいや。それを取っ払って、次のステージに進みたい的な感じなんだよー。だからどんな意見や考えでも聞いてみたいなー。それがもしかしたら私のためになるかもしれないし、ならなくても『エンレオナ』に取り憑かれた人間としては、語らいたいと思うところも多いわけでねー。で! どうなの! 教えてくれない!? あとね、あとね……」
「はいはい。少しストップ」
「ふももももっ……」
ルークがセネスの口を塞ぎ、強制的に話を中断する。
息継ぎの隙もすらもないのではないかと、錯覚するほどに早口で捲し立てられ、ネアスは呆然と、シャルは完全に引いていた。
ルークが止めなければ、セネスは今もずっと一人で話していたことだろう。
今こうして彼女を見ていて理解した。きっと、部屋でも同じようなことがあったのだ。それならば、シャルが驚いてしまうのも無理はない。
シャル自身、好きなものがセネスと合いそうではあるが、初対面でいきなりこの話し方をされれば、驚かない方がおかしいほどである。
ネアスはスープを喉に流し込みながら、一歩引いた目線で分析していた。
ルークに口を塞がれたことには驚きつつも、今一度話し始めようとしているセネス。ルークは暴走状態という言葉が合う彼女を諌めようと、優しく声をかけた。
「ちょっと落ち着け。ほらシャルの顔を見てみろ、驚いているだろ? ほらあそこに座っているネアスも……おっと、アイツは論外だった」
いつもと変わらない調子で、食事を貪り続けるネアスに、ルークは呆れたような視線を向けてきた。しかし、如何なる時でも食事を続ける精神は、ネアスの美徳だと自信満々に言い張れる。
「え……あ。あぁと……」
セネスの瞳に、シャルの表情がくっきりと映し出された。彼女の瞳に、シャルはどのように映ったのだろう。
それは他人であるネアスにはわからない。ルークにもシャルにもわからないだろう。
それでも、顔を真っ青にしているセネスの顔を見れば、なんとなくの予想は立てられる。
「ご、ごごご、ごめんシャルっち! 私、好きなことを話し始めると、止められなくて……」
両手を顔の前で合わせ、勢いのままに謝罪。
長文をまるで詠唱しているように話していた時もそうだが。とにかく勢いが常人とは大違いだ。
謝罪に籠もっている熱量に、これまたシャルは驚いている様子。
しかし、しっかりと気持ちは伝わったのか、驚き一色だったシャルの表情は、いくらか柔らかいものになっていた。
「ううん。こっちこそ引いちゃったりしてごめんね。いきなりだったから、少し驚いちゃって……」
「そうだよね……。ごめん、私の悪い癖でさー。治したい、治したいとは思っているんだけど。どうにも治らなくてさー……」
悲しげな表情を浮かべたセネスは、がっくりと肩を落とす。悪い癖と言っていることから、自覚はあるのだろう。
その姿を不憫と思ったのか、ルークもシャルも励ますべく声を掛けようとしていたが、気の利いた言葉が出てこないようだ。腕をあたふたと動かすだけで、なにも口にしていない。
大豆で作られた、肉もどきステーキを頬張っているネアスの考えとしてはだが、治せないなら無理に治す必要はないと感じた。そもそもネアス達には関係がない。
それを無責任と思うかは、人それぞれ違うだろう。ネアスには、セネスのそれが無理をしてでも矯正すべき欠点とは、到底思えなかった。
「ん、気にしすぎ。つまらないことで悩みすぎると、ご飯を美味しく食べられない。ゆっくりと気持ちよく寝れもしない。第一に、ネアスはご飯を食べてる上で気にならなかった。ルークとシャルが大袈裟」
「――――」
ネアスの言葉に、セネスは面食らったように瞳を大きくして、何度も瞬きをしていた。静止して、じっとネアスを見つめる様子に、失礼なことでも言ってしまったのではないかと。
ネアスが自身の言動を振り返ってみる。どんなに考えても、失礼に当たりそうな箇所はない。それともネアスがズレているのだろうか。
なんとも言葉にし難い空気が流れていく中、これまた唐突にセネスは口を開いた。
「ありがとーネアスくん! 私、気にするのをやめるー!」
「ん、流石にそれは極端。飛躍しすぎだと思う」
一人で浮かれているセネスに、ネアスが一言付け足すが、聞こえている様子はない。先程のネアス達同様、気分の高揚のせいか耳に入らないらしい。
「ん、まぁえと……頑張って。……えと誰だっけ? ごめん覚えてない」
シャルが同部屋であるため、同じクラスということはわかるのだが。ネアスには目の前の少女の名前がわからなかった。
数時間前に、自己紹介は聞いたいたはずであるが、一度で覚えるのは至難の技。覚えていなかったとしても、しょうがないだろう。
シャルが何度か名前を呼んでいたことは覚えているのだが、如何せん食事八割、会話を聞くのが二割ほどの感覚であったため、これっぽっちも記憶にない。
「おお……。確かに覚えられないよねーまだ。私が得意な方だから実感わかないけど……。まだ、今日が始めましてだもんねー」
ルークに対して、椅子を詰めろとジェスチャーし、空いた隙間に腰掛ける。
そしてわざとらしい咳払いを一つしたかと思うと、瞼を大きく開き、片手を自身の胸に添えた。
「私の名前は セネス・リベラ! アウル先生流の自己紹介で言えば、嫌いな食べ物はピーマン。好きなことは、機械の分解! 夢は歴史に名を残す発明家になること! どうぞ、これからよろしくねー!」
翡翠色の瞳を爛々と煌めかせ、大々的に将来の夢を語るセネスの姿に「おおぉ」と、ネアス達三人から感嘆の声が漏れた。
「ん、よろしく。……えと、セレスも何か食べれば? おいしいよ。特にスープはオススメ」
美味しいものを共に食べることは、仲良くなるための第一歩だとネアスは考えている。それ故、ネアスなりに、だいぶ歩み寄った言葉でもある。
それなのに何故か、ルークとシャルの二人がネアスを睨むのだ。
自身にできる最大限、歩み寄る姿勢を見せたというのに、ネアスの成長を喜ぶわけでもなく、睨むとは酷いではないか。とネアスは不満そうな顔で、二人を睨み返すとセネスが申し訳なさそうに手を上げた。
「あー……ノンノンだよネアスくん。ノンノンというやつなのだよー」
「ん、なにが?」
左手の人差し指を左右に動かし、チッチッチと声に出しながら否定してくるセネスの姿に、ネアスの脳内は疑問符で埋め尽くされた。
ネアスが困惑していると、セネスは右手を大袈裟なくらい大きく回し、自分自身に指を差す。
「私の名前は セ・ネ・ス……だよー。セレスではないんだよなー。それがー」
「……んー」
セネスのカミングアウトに、ネアスは明後日の方向を向きながら唸る。
徐々に自分の発言と、セネスの言葉が紐付いていく。凄まじい圧を背中に感じ、だらだらとネアスは冷や汗を流した。
「おい、ネアス……?」
「ねぇ、ネアス……?」
凄みのある声で、ルークとシャルはネアスを呼んだ。
体中が震えている。二人の存在を自身の中でシャットアウトしようと、顔を合わせず、精一杯の抵抗を試みるも、それは意味をなさない。
前々からネアスは二人に言われていた。もう少し他人にも興味を持てと。直ぐには無理でも、知ろうとする姿勢は忘れるなと。
たとえ他人の名前が覚えられずとも、覚えられるよう努力せよと。
だがどうだろう。ネアスはセネスから名前を訊き、その直後に堂々と名前を間違えた。きっと二人はかんかんである。
「ん、ごちそうさま」
残っていた食事を一気に胃袋へと押し込み、すぐには飲み込めない分も頬を大きくして口に含む。
律儀に食事への感謝を口にして、ネアスはそそくさとこの場を脱するべく席を立った。そろりと逃げ出せば、捕まらないと思っていた。
しかし、ルークとシャルの腕は、ネアスの肩を掴んで話さなかった。
「どこに行く気?」
「どこへ行くんだ?」
「……ん。終わった」
ネアスは両手を胸の前で合わせ、合掌の形を取る。そして、誰に言うでもなく、小さく絶望感を含んだ言葉を呟いた。
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