番外編1:彼の視点〜雷が落ちた日〜

 俺、高橋健人の毎日は、灰色だった。

 完璧な仕事、周囲からの評価、整った容姿。他人から見れば、恵まれているのかもしれない。だが、俺の心は乾ききっていた。感情を表に出すのが苦手で、いつしか「氷の貴公子」なんて呼ばれるようになり、誰も俺に近づかなくなった。それでいいと、思っていた。


 あの日までは。


 仕事に疲弊しきった深夜、偶然ネットサーフィンで見つけた、一人のVTuber。それが「ルナ・セレス」だった。

 透き通るような、優しい声。心に寄り添うような、温かい言葉。彼女の弾き語りを聴いていると、ささくれだった心が、穏やかになっていくのを感じた。

 雷に打たれたような衝撃だった。俺は、一瞬で彼女の虜になった。


 それからというもの、俺の生活はルナ・セレス中心に回り始めた。配信は絶対に見逃さない。コメントを送り、スーパーチャットで彼女の活動を支援する。ハンドルネームは「K」。健人のKだ。単純だが、俺なりの愛情表現だった。


 彼女は俺の心の支えだった。彼女がいるから、明日も仕事を頑張れた。

 そんなある日、俺の部署に、新人が配属されてきた。佐藤葵。真面目だが、少しおっちょこちょいで、いつも何かに怯えているような後輩。正直、最初は「手のかかる新人」としか思っていなかった。


 だが、ある夜の配信で、ルナ様が言ったのだ。

「今日、会社で怖い先輩に怒られちゃって……」

 その内容が、その日の昼間に俺が佐藤にした説教と、あまりにも酷似していた。

 まさか。いや、そんなはずはない。声だって、違う。

 そう思い込もうとした。だが、一度芽生えた疑念は、消えてはくれなかった。


 そして、運命のキックオフミーティング。

 彼女が床に落とした、あのアクリルキーホルダー。それは、俺も血眼になって手に入れた、記念配信の限定グッズ。

 心臓が、大きく音を立てた。

 震える手でそれを拾い上げ、ポケットに隠す。会議の内容なんて、もう頭に入ってこない。


 会議が終わり、俺は彼女のデスクへ向かった。

「もしかして、佐藤さんが……ルナ様、ですか?」

 そう尋ねた時、彼女の顔が絶望に染まっていくのを見て、俺の心は歓喜に打ち震えていた。


(ああ、神様、ありがとう)


 繋がった。

 灰色の世界にいた俺と、光の世界にいる彼女が。

 どう接すればいいか分からず、表情は固まったままだったが、内心では、人生最大のガッツポーズをキメていた。

「バレた」あの日。それは彼女にとっては絶望の日だったのかもしれないが、俺にとっては、運命が動き出した、記念すべき日になったのだ。

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