第7章:甘い罠と、崩れ落ちる世界

 社員旅行から帰ってきて、私の心はふわふわと浮かれっぱなしだった。高橋さんへの恋心を自覚してからというもの、彼の些細な言動一つ一つに、一喜一憂してしまう。仕事中に目が合うだけで顔が熱くなるし、秘密の作戦会議では緊張してしまって、まともに話せないこともあった。


 そんなある日、VTuber「ルナ・セレス」の元に、とんでもないビッグチャンスが舞い込んできた。

 業界最大手のVTuber事務所「アストラルライブ」に所属する、人気VTuber「猫宮ミヤ(ねこみや みや)」さんからの、コラボ配信のお誘いだった。


 猫宮ミヤさんは、チャンネル登録者数30万人を超える、トップVTuberの一人。そんな彼女から声をかけてもらえるなんて、夢にも思わなかった。

「すごい! すごいよ葵ちゃん!」

 自分のことのように喜んでくれる由美。そして、もちろん高橋さんも。


「素晴らしい機会です。ミヤさんはトーク力に定評がある。多くのことを学べるはずです。全力でサポートします」

 秘密の作戦会議で、彼はいつになく熱っぽく語った。その応援が、私の背中を強く押してくれた。


 事前の打ち合わせもスムーズに進んだ。ミヤさんは画面越しでも分かるくらい可愛くて、気さくな人で、「ルナちゃんの歌、前から聴いてたんだー! コラボすっごく楽しみ!」なんて言ってくれて、私はすっかり舞い上がっていた。


 そして、運命のコラボ配信当日。


「はーい、みんなこんミヤ~! 今日はスペシャルゲスト、ルナ・セレスちゃんが来てくれてまーす!」

「みなさん、こんばんは。ルナ・セレスです。今日はお招きいただき、ありがとうございます」


 序盤は、打ち合わせ通り和やかに進んだ。お互いの活動について話したり、リスナーからの質問に答えたり。コメント欄も《神コラボ!》《二人とも可愛い!》と、好意的なもので埋め尽くされている。

 ――でも、どこか違和感があった。

 ミヤさんの笑顔が、少しだけ、貼り付けたように見えたのだ。


 そして、配信が中盤に差し掛かった頃、その違和感は、はっきりとした悪意に変わった。


「そういえばルナ様ってさー、中の人、都内のデザイン会社で働いてるって噂、本当?」


 突然、ミヤさんが爆弾を投下してきた。打ち合わせには、一切なかった質問だ。

「え……? あ、えっと……」

 そんな個人情報、肯定できるわけがない。私が言葉に詰まると、彼女は楽しそうに笑って続けた。

「あはは、ごめんごめん! 言えないよねー! でもさ、この前、配信で先輩に怒られたって話してたじゃん? 結構厳しい会社なの?」


 ギリギリのラインを攻めてくる、意地悪な質問。

 まずい。すごく、まずい。これは、私を貶めるための罠だ。

 コメント欄の空気が、一変する。

 《え、特定情報?》

 《都内のデザイン会社…ねぇ》

 《特定班、動け!》

 不穏な文字が、画面を埋め尽くしていく。


「ミヤはさー、ルナちゃんの声、どっかで聞いたことあるような気がするんだよねー?」

 彼女は、わざとらしく首を傾げた。その瞳は、笑っていなかった。

 ああ、そうか。彼女は、私のことが気に入らなかったんだ。急に人気が出てきた、個人勢の私を潰したかったんだ。


 頭が、真っ白になった。

 どうしよう。なんて返せばいい? どこまで話した? 何を話しちゃいけない?

 思考がぐるぐると空回りして、パニックで何も考えられない。

 黙り込んでしまった私を見て、ミヤさんはさらに畳み掛ける。


「あれー? どうしたのルナちゃん? もしかして、その厳しい先輩も今、配信見てたりして?w」


 やめて。

 もう、やめて。


 喉がカラカラに乾いて、息ができない。コメント欄の悪意が、津波のように私に押し寄せてくる。

 画面の向こうで、猫宮ミヤが勝ち誇ったように笑っている。

 世界が、私の足元から、ガラガラと音を立てて崩れ落ちていくのが分かった。

 配信事故。その三文字が、絶望的な響きを持って、私の頭に突き刺さった。

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