第36話 孝徳天皇と仏教
孝徳天皇は、姉である宝皇女(皇極天皇、斉明天皇重祚)の退位後に、皇太子であった中大兄皇子を抑えて即位した。とはいえ、中大兄皇子は皇太子の身分を維持していたので。表立った争いは起きていなかったと考えていいだろう。
孝徳天皇の在位中、最初に神祇祭祀が行われたのは即位の時である。
孝徳天皇と宝皇女、そして中大兄皇子が群臣を前にし、槻の下で結束を天神地神に誓った。
――君は二つの政無く、臣は朝にふたごころあること無し。
誓う相手が天神地神であるならば、それは倭王族が受け継いできた神祇に則ったものと思われる。けれど宣誓の内容は、後に中大兄皇子らが飛鳥宮に移ってしまうことや、蘇我石川麻呂の反乱など、これから起きる不穏な出来事を暗示しているようである。
孝徳天皇の下で政権を担ったのは中大兄皇子以下、乙巳の変に深く関わっていた左大臣阿倍内麻呂と右大臣蘇我石川麻呂、倭国仏教の有力僧である僧旻、そして中臣鎌足だった。
中臣鎌足は内臣という役位を与えられていた。政治に直接参加するというよりも意見を求められる立場で、今でいえば政府の有識者会議と似たような役割を担っていたとされる。乙巳の変までに孝徳天皇と阿倍内麻呂の信用を得ていた結果だろう。
蘇我石川麻呂は着任早々に神祇の大切さを孝徳天皇に説いている。動機としては、乙巳の変で滅ぼされた蘇我宗家とは異なる路線をいくことを自ら明らかにし、かつ王族神祇を担う中臣氏の出である中臣鎌足を懐柔しようとする意図も透けて見える。
一方で孝徳天皇は改新の詔から間を置かず、全国の豪族に寺院を造ることを命じた。
寺院を造ることができなければ王権が助力することを約束し、仏教を教え広める十人の教僧を定め、王権内に僧頭という管理部門をおいた。この時の孝徳天皇の詔に従い、阿倍寺や山田寺が作られたと考えられる。
仏教の地盤固めを行った後に、孝徳天皇は豪族の葬送儀礼を規定する薄葬令を出した。薄葬令は、それまでの祖霊祭祀に大きな変革をもたらす決まりごとだった。
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